出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 ディーン・フジオカ[字]
~コロナ禍でジャカルタの自宅離れ2年…新たな挑戦も~ディーン・フジオカさんが今日のゲストです。
◇ゲスト
『徹子の部屋』には6年ぶりの登場!ディーン・フジオカさんがゲスト。スタジオでは、過去に黒柳さんとビートボックスコラボした貴重なVTRも公開。涙を流して大笑いするディーンさんの姿も貴重!?
◇番組内容
日本の芸能界に彗星のごとく現れ、朝ドラで「五代様」として大注目を浴びたのが2015年。そして昨年、大河ドラマで再び同じ役を演じ話題に。香港でスカウトされ、長年アジアを中心に活躍していたディーンさん。朝ドラを機に仕事のベースを日本に移した後も、日本と海外を行き来していたが、コロナ禍で渡航がストップ。こんなに長く日本にいることは近年なかったと語る。自粛期間中は仕事に没頭し、新たなチャレンジもあったという。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- ダダ
- ダダダ
- ライブ
- 映画
- 可愛
- 画面
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(黒柳)今日は私の大好きな殿方が
お越しくださいました。
俳優の
ディーン・フジオカさんです。
どうぞ こちらへおいでください。
日本と海外を
行ったり来たりしながら
お仕事を
なさっていらっしゃいましたが
コロナ禍で
日本にとどまる事 約2年。
こんなに長く
日本にいらっしゃる事は
近年 なかったそうでございます。
ようこそ おいでくださいました。
ありがとうございます。
どうも しばらくでございます。
こんなに長く
日本にいらっしゃる事は
めったになかった?
そうですね。
もう 一度 日本を出てから
初めてですね 四季を通して
ずっと 日本にいたのが。
ああ そう。
はい。
2011年ぐらいから
日本で 仕事を
少しずつ始めてきたんですけど
ずっと行ったり来たりしながら…。
仕事がある時は日本で
ない時は 他の国の仕事をしたり
もしくは 自分の家に帰ったり
っていう感じだったんで。
おうちはジャカルタに?
そうですね。
当時は 台北とジャカルタを
行ったり来たりしてたんで。
2016年から 日本に
自分のベースを置くようになって
初めて
自分で 部屋を賃貸したりとか。
でも ずっと やっぱり
海外の仕事も続けてたので
行ったり来たりで
やってたんですけど
コロナになって 初めて
飛行機を1年以上乗らない
っていう生活になって
気付いたら もうすぐ…
もう2年ですね。
そうですか。
私は 去年の春先にですか…
お会いしましたね。
はい。 NHKで。
あの時は待ち伏せして。
何?
いや 徹子さん
お忙しいだろうなと思って
ちょっと いつお声掛けしていいか
わからなかったんで。
僕ら ちょっと 別のタイミングの
なんか 居残り収録みたいなのが
ありましたよね。
それで 徹子さんが
スタジオから出てらっしゃる
タイミングを計って。
なんか 学校の先輩に
ラブレターを渡しに行くみたいな
そんなシチュエーションだなとか
思いながら
あの時は
待ち伏せさせていただきました。
でも ちょっと お話しできてね
よかったです。
ありがとうございます。
2015年は
朝ドラの『あさが来た』で ご活躍。
彗星のごとく現れたと。
五代友厚の役を演じて
それから
「五代様」と呼ばれるようになって。
2度ほど同じ役なさいましたよね。
そうですね。
去年か。
大河ドラマで話題になりました。
これ その時の撮影風景。
フフ…! セットで… はい。
でも
同じ役の話がくるっていうのも
随分珍しい?
そうですね。
僕は初めてでした
こういう経験は。
どうお思いでした?
不思議な事が起こるんだなと
思いましたね。
自分の
俳優のキャリアだけではなくて
人生においても
ずっと縁がなかった
日本との縁を作ってくれたような
出会い…。
お会いした事はないけど
恩人のような存在だったので
まさか また5年後に
同じ人物を 今度は大河ドラマで
やらせていただくっていう運びに
なるとは
思いもよらなかったですね。
なんか 五代さんの影響で
曲をお作りになったとかって。
そうなんですよ。
なんか… 五代さんであったり
当時の その
偉業を成し遂げた偉人の人たちが
どういう気持ちで
当時 日々 生きて
活動していたのか。
どういう思いを後世に残そうって
考えていたのかなっていうのを
ずっと 撮影期間中に
考えてた日々だったので
それが 映像作品として
演じるっていう事で必要になる
エネルギーが なんか もっと…
たくさんになっちゃって
なんか
啓示を受けたみたいな感覚に
初めて なったんですよ。
「君は この曲を作りなさい」って
言われたような気持ちになって。
夢に…
枕に立つっていうんですか?
そうですね。
そういう感覚になったの初めてで。
それで もう 急いで
これだ! と思って
『Hiragana』っていう
タイトルを付けて。
ええ 聴かせていただきました。
とても 胸に染みるようなとこ
ありました。
うれしい。 ありがとうございます。
でも 朝ドラで注目されるまでは
あなたは アジアを中心に
ずっと活躍してらして。
そうですね。 最初は
香港で この業界に入りました。
それはスカウトとか
そういう…?
そうですね。
一番最初 モデルとして…。
可愛い。
そうですね。
モデルを始めて
そこから 少しずつ
演技の仕事を
やり始めるようになって。
それで その後
台湾にいらっしゃって。
はい。
言葉の問題は なかった?
何語? どんな風に?
いやあ 大変でしたね やっぱり。
香港だと やっぱり
英語と広東語 しゃべれれば
全く問題なかったんですけど
台湾 行ったら
全部 北京語でやらないと
仕事も生活もできなかったので。
あら…。
すごく 最初の数年は
きつかったですね。
その間 ご家族は ずっと
ジャカルタにいらしたの?
えっと…
実は 妻とは 台湾で出会って
その後に 家族のベースを
ジャカルタに置くようになって
それから ジャカルタと台北を
行き来するような生活に
なった感じですね。
今 お子さん
3人いらっしゃるんだって?
はい。
可愛いね。 双子がいて。
そうですね。
上が双子で 下 男の子がいて。
上は 男の子と女の子の双子なの?
男女です。 はい。
可愛いでしょ?
そうですね。
やっぱり ずっと会えてないので
もう 毎日 写真だったり
ビデオを見てますね。
可愛い?
なんか 自分が作った曲とかを
YouTubeか何かで見て
一緒に歌ってるビデオとか
送ってもらったりすると
すごく こう…
込み上げるものがありますね。
そうでしょうね。
きっとね そうだと思います。
なんか
3人目のご誕生の時でしたっけ?
プレゼントを…。
喜んでくださいました?
はい。
オルゴールみたいなやつ。
そうそう これ。
オルゴールの…
徹子さんの手に持たれてる
あれが楽譜になってる…。
そうそう。 ねえ。
あれ 紙でできてて。
そうそう そうそうそう。
目 離した瞬間に
ぐっちゃぐちゃにされちゃって。
そうなの? 子どもが
ぐちゃぐちゃにしちゃうとね。
クレヨンとかで
落書きしたりとかして…。
そしたら 音出ないですよね。
でも 喜んでました。
ああ そうですか。 そうそう…。
でも 自粛の時は
どうしてらしたの? それじゃあ。
ずっと 仕事してましたね。
もちろん 出る仕事っていうのは
量は減ったんですけど
例えば 曲を書いたりとか
新しい映画の企画書を
書いたりとか
脚本のもとになる原案というか
シノプシスみたいなものを
書きためたりとか
ずっと 作業してましたね。
ごはんなんかは
ご自分でお作りになってたの?
作りましたね。
なかなか やっぱり
仕事が忙しかった時は
料理を楽しむ時間もなかったので。
もともと 料理するのは
嫌いじゃなかったから。
素材を買い込んで 料理したり。
あと やっぱり 今 出前
すごい 便利になりましたよね。
そうね。 そうかしらね。
ええ。 だから
そういうものを
併せて使ってましたね。
それから 筋トレ?
はい。
すごいのね ちょっと…
お写真では あんまりだけど
ちょっと さっき
全部見せていただいたら
八つ割れっていうんですかね。
すごい 上 出てて
ビックリしたんです。
これ 写真集に出てるんですよ。
はい。
当時 映画の撮影で
そういう 体を鍛えてる役を
演じてまして。
あんな風になるのかなと思って
私も この人間の体が
1 2 3 4って
こういう風になってるんで…。
しかも それが キレイに…
筋肉がなってるって
お写真だったんで ビックリして。
こんな風になれるもんなんだなと
思って。
まあ プロのアドバイス
サポートがあったからですね。
やっぱり もう 四六時中
ずっと一緒に
食べるものから
トレーニングの内容から
睡眠のタイミングだったりとか
全部 監督してくれる
パーソナルトレーナーの方を…
付いていただいて。
一緒に… 撮影地が
日光の方だったんですけど。
ずっと一緒に付いていただいて。
もちろん そこに行くまでも
都内で とことん…。
自分の人生で 今までで
一番追い込んだっていうぐらい。
ディーン・フジオカさんは
俳優でもいらっしゃるんですけど
歌手でもいらして
非常に多才と伺っておりますが
楽器は どんなものが
おできになるの?
去年末まで
ツアーを回っていたんですけど。
そのショーの中では
ギターとピアノを弾いてました。
すごい。 それは
途中からお始めになったの?
ピアノはですね
母親がピアノの先生だったんで。
すごい。
子どもの時に
まあ 嫌々やらさせられて。
で まあ 我慢ができなくなって
ギターに逃げたっていう
感じでしたね。
フフフフ…! そうですか。
なんか 初めてお出になった時に
ビートボックスを
教えてくだすって。
もう 私が
それがなんだかわからなくて。
そのあとも
セッションしたんですけど
そのVTRがありますので
ちょっと ご覧ください。
笑っちゃいますよね。
面白かったですね。
「そのラップなんですけど
今 ちょっと ここで
やっていただけない? って
言ったら お困り?」
「ああ…」
「どうしようかな えっと…」
「じゃあ
ビートボックスっていうのを
やっていただいてもいいですか?」
「私はどうすればいいの? 私は」
「(ヒューマンビートボックス)」
ハハハ…!
まさか徹子さんが これ…。
「ちょっと…
ちょっと 数が多いかしら」
「ダダ ダダダ ダン
ダダ ダダダ ダン…」
「はい ダダ ダダダ ダン
はい ダダ ダダダ ダン…」
♬~「21st century boy, 」
♬~「freak decoy
slam it like Troy, 」
♬~「life’d
never be just a toy」
♬~「First I started blurry
now my day’s getting starry, 」
ああ 面白い。 真剣に
やってましたよね 2人で この時。
♬~「let it pray 24/7
that’s the way to heaven」
「わあ すごい! すごい!」
「全然 途中ですけど」
「あれからね ちょっと…
ちょっと進歩しましたよ」
「じゃあ…」
「やっていただければ」
「やります?」
「うん」
「じゃあ 持ってきてください
ギター。 ギターで…」
「僕 ギターで」
♬~「ダカダカ ダカダカ
ダン ダン」
♬~「ダカダカ ダカダカ
ダン ダン」
「(ヒューマンビートボックス)」
「(ヒューマンビートボックス)」
ハハハハ…! 最高ですよね これ。
「♬~(ギター)」
「ヘイ!」
「♬~(ギター)」
「ヘイ!」
「♬~(ギター)」
「ヘイ!」
どうなってるの…。
「♬~(ギター)」
「ヘイ ヘイ!」
ハハ…!
フフフフフ…!
「♬~(ギター)」
♬~「アー…」
♬~「イエー ハー ハー」
「ありがとうございます」
「(拍手)」
いやあ 面白い。
すごいの
やらせていただいちゃって。
涙 出てきちゃいました 僕。
ハハハ…! ねえ。
強烈でしたね 僕ら。
でも なんとなく
成り立ってるっていえば
成り立ってるような感じ。
グルーヴは ちゃんと…。
そちらが ちゃんと
やってらっしゃるからだと
思いますけども。
ありがとうございます。
フフフフ…! 面白かった。
でも ディーン・フジオカさんは
各国で人気があって
2020年はアジアツアーが…
でも 中止になっちゃって。
そうなんですよ。
2019年にアジアツアーをやって。
来年もやりましょうって
言ってた中で
中止になってしまって コロナで。
でも ピンチになる時は 何かを
生み出す事にもなるんですって?
そうですね。
僕は 基本的には やっぱり
ポジティブな面を見ていたいなと
思って 生きているので。
そういう事があったからこそ
じゃあ 例えば 世の中
配信ライブっていう風に
変化していったと思うんですけど。
じゃあ
配信ライブをやるっていう事は
どういう事なのかっていう
自分の中で自問自答を始めて。
従来のライブコンサートを
ただ生放送で見てもらう
っていうのと
配信ライブって ちょっと
違うんじゃないかなって思って。
だから なんか すごく冷静に…
自分が もしお客さんだったら
例えば スマホとか
テレビの画面でも
コンピューターの画面でも
そういうスクリーン越しに
何かパフォーマンスを
見ている時に
たとえ
どんなに自分が好きな曲で
素晴らしい
パフォーマンスだったとしても
なんか
15分とか20分とか経ったら
普通に… わかんないですけど
トイレ行ったり
なんか 電話 鳴ったとか
なんか ちょっと洗い物しちゃおう
みたいな感じに
なっちゃうんじゃないかなと
思って。
どうやったら その画面に こう
注目を引き付けられるかって
考えた時に
ホラー映画のひな型って
ありますよね。
5分に1回 コツコツ… ちょっと
ビックリさせてくるみたいな。
私は怖いからホラーは見ない…。
僕もそうなんですよ。
ホラー 苦手で。
でも まあ なんか その…
ここで驚きを
何かしら入れるみたいなのが
決まってるっていう リズムが。
ここでくると思わせて
こないみたいな。
これを そのまま
配信ライブのフォーマットに
すればいいんだなと思って。
それで 自分の場合は
「Plan B」っていうタイトルで
配信ライブを実験的にやりました。
それかな。 配信ライブの映像が
あるそうなんで
ちょっと ご覧いただきます。
♬~
♬~「握りしめた画面じゃ」
♬~「退屈消せない」
なんか 次 何が起こるのか
わかんないって
ずっと思わせられるか
どうかだと思ったんで。
なるほど。
ええ。
♬~
あえて あんまり 光とかも
ちょっと暗くて よく
わかんないような感じにしたり。
♬~
♬~「Yo 誰が東京人?
(Tell you what)」
♬~「#TokyoTrip
can’t get away with it」
♬~「Hi konichiwa
我是藤岡」
♬~「Oi怕都遺忘了我的臉」
すごい。
大変でした これ。
めちゃくちゃ大変でした。
すごい。
これが現行のライブに まあ こう
生かされてるんだそうですけど。
そうですね。
去年 有観客で日本国内のツアーを
やったんですけど。
ええ。
お客さんが会場で
一緒に歌ったりとか
騒いだりできない中での
ライブしかできなかったので。
ステージ上で どういう演目が
あるべきなのかなって考えて。
それで
物語が必要だと思ったんですね。
1時間半とか2時間ずっと
こう 大きなうねりとしての物語が
あれば
多分 お客さんも
そこにいる事を選んだ意味を
感じてくれるんじゃないかなと
思って。
まず 脚本が必要だと思って
それで 脚本を作って。
そのプロットをもとに
ライブの演出を
各部署とともに
作っていったっていう。
うまくいきました?
そうですね。
思った以上に… 自分の想像以上に
手応え 感じました。
やっぱり そこに物語がある事で
1つの楽曲で
到達できないところまで
ライブ全体で
こう 感情の高ぶりみたいな
魂が共鳴する感覚っていうのを
感じてもらえたんじゃ
ないかなって。
まあ
想像しかできないんですけど
ステージ上から客席を見た時に
すすり泣きされてる方とかが
いたりする姿を見ると
間違ってなかったんだなっていう
手応えは感じましたね はい。
話 違うんですけど
舞台にお上がりになる前に
なんか 羊羹を召し上がる
習慣があって。
そうなんです。
なんか… そうですって?
サプリとして。
うん。
なんか やっぱり 羊羹って
ノイズが少ない あの…。
食べ物?
食べ物ですよね。
砂糖っていうか 糖分をとるのに
すぐエネルギーに変わるし。
もともと 僕 茶道のお稽古の時に
先生が お菓子を… 和菓子を
出してくださるっていう時に
いつも
「グルテンアレルギーで
小麦が入ってるものが
食べれないんです」って。
そのたんびに
羊羹は食べれるから どうぞって
出していただいてたんですね。
羊羹っておいしいなって
まず そこから出会いがあって。
そのあとに まあ いろいろ
ライブだったりとか
体を思いっきり動かす時に
どうやったら 体を一気に グッと
持っていけるかっていうのを
スイッチみたいなものに
できるかなって考えた時に
あっ 羊羹って
本当に サプリみたいな
一番いいスイッチになるな
って事に気付いて。
それから 試すようになったら
すごく調子いいですね。
私はね 芝居の時に やっぱり
いろいろ考えた揚げ句の果てにね
芋羊羹を…。
あっ やっぱり
徹子さんも そうなんですね。
私 芋羊羹 食べます。
はいはい はいはい。
芋羊羹おいしいですよね。
芋羊羹の方がやわらかいし
ちょっと甘いし。
だから 私は
芋羊羹を食べる事にしてます。
みんな考えて それぞれね。
そうですね。
そうかと思うとね
おにぎり食べないとやれない
っていう人もいるんですよ。
そうですよね。
でも 私は おにぎりなんか
食べたら もうね そっちに
全部 引きずられて もうね
頭がぼんやりしちゃうので。
重くなっちゃいますよね。
そう。 だから もう
芋羊羹ぐらいが… ひと切れ
ああいう芋羊羹 食べるぐらいが
ちょうどいい。
うーん…。
すごくわかります その感覚。
じゃあ お互い
芋羊羹 食べて頑張りましょう。
頑張りましょう。
もうすぐ 映画が公開になるって?
はい。 えっとですね
『Pure Japanese』
というタイトルなんですが
1月28日 金曜日公開で
このアクション俳優キャラクター。
すごく 一見 誠実そうな男
立石っていう
キャラクターがいるんですけど
彼が 日本人度を測れる
ヘルスキットみたいなのと
出会って
登場人物たちが ちょっと
人生が狂っていくっていうような
狂気に走る
とにかく バイオレンス満載の
アクション映画となってます。
すごいですね
あなたが
そういうのをおやりになるって。
これが 僕 初めて
自分で企画プロデュースした
映画の作品で なんか…。
あっ それこそ さっき 日光で
撮影をしてたって言ってたのが
この作品です。
あっ そうなんですか。 ええー…。
でも あなたが
そういうアクションを
おやりになったりするっていうの
驚いちゃう。
そうですね。 アクション
もともと すごく好きで
中華圏で仕事をしてる時は
仕事でもですけど
プライベートでも
アクションチームの
一員みたいな感じで
一緒に練習したり 食事したり
みんなで反省会したりとか
一緒に映像 撮ったりとかして。
だから ずっと アクションは
もっともっと やりたいなとは
思ってたんで。
そうですか。
ええ。
じゃあ また 面白いものが
見られると思います。
ぜひ ご期待ください。
でも まあ
こんな風にしてらっしゃると
なかなか ご家族にも
会えないでしょうから
早く お子さんに会いたいとかって
あります?
そうですね。 やっぱり
飛行機が もっと自由に
飛べるようになったら…。
うーん… やっぱり こう
隔離期間さえなければ
すぐにでも
会いに行きたいんですけどね。
でも お会いになったら まあ
どんな事がしたいですか?
うーん…。
おいくつぐらいなの? 3人が。
今 上がですね 7歳になって
2人が。
下が4歳になって。
だから もう普通に
みんな しゃべってるわけですよ。
上が双子だから 7歳 7歳。
それに3歳。
はい。 でも やっぱり
まだ 日本語がなじまなくて。
今でも こう ビデオ通話とかで
「日本語 ちょっと
しゃべってみようよ」とか言って。
「何 食べる?」とか
そんな事を教えてるんですけど。
まあ 一緒に そうですね。
また こう
時間を過ごせるようになったら
そろそろ 日本語…
日本文化とかに
触れる機会を作ってあげたいなと
思いますね。
そうですよね。
うん。
日本にも一緒にいられるとね。
そうですね。
日本のいろんなものを…
あっちにないようなものを。
でも 今は お互いに
映像で送り合ったりできるので。
毎日 何かしら
コミュニケーションは取ってるので
それは本当にありがたいですね。
どうも 本当に
ありがとうございます。
ありがとうございます。
『徹子の部屋』は
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