出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 元宝塚・榛名由梨&安奈淳[字]

~元宝塚コンビが「ベルサイユのばら」秘話を~榛名由梨さん&安奈淳さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
元宝塚トップスターとして共に活躍した榛名由梨さんと安奈淳さんがゲスト。今日は“ベルばら”の名曲『愛あればこそ』を一緒に披露♪
◇番組内容
大人気少女漫画『ベルサイユのばら』が原作である同名舞台の初演で、榛名さんはオスカル役を演じた。翌年、オスカル役を安奈さん、アンドレ役を榛名さんが演じて大人気に!「ベルばら」ブームと言われ、公演のチケットを求めて長蛇の列が出来るほどの熱狂ぶりだったと当時を振り返る。2人の出会いは榛名さんが中学1年生、安奈さんが小学5年生の時。その後、夢を叶えて宝塚へ入団し、今では64年来の付き合いになるという。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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  1. 宝塚
  2. 本当
  3. オスカル
  4. ピアノ
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  7. コドモアテネ
  8. ショー
  9. フフフフ
  10. 元気
  11. 榛名
  12. 長谷川一夫
  13. お父さん
  14. 全然
  15. 大変
  16. 部屋
  17. アンドレ
  18. お二人
  19. 安奈
  20. 一緒

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

♬~(2人)「愛、愛、愛」

(黒柳)この曲で大人気に。

元宝塚のトップスターのお二人に
おいで頂きました。

榛名由梨さんと安奈淳さんです。

『ベルサイユのばら』では
長谷川一夫さんが演出をなさって

演技の指導をなさったと
伺っております。

まあ 色々と…。

よろしくお願い申し上げます。
(榛名)よろしくお願いします。

なんといっても
『ベルばら』というのは

大変 一世を風靡したもので
ございまして。

『ベルサイユのばら』の事
なんですけど。

『ベルばら』って みんなが言って。

その時に出ていらした方々
なんですけど。

宝塚の先輩 後輩?
はい。

2年先輩です。
こちらが先輩?

私の方が。
でも 榛名さんは 今回 初出演?

はい。
いかがですか?

私 いつも 『徹子の部屋』を
大好きで見ていまして。

色んな人が いっぱい出てきて。

で 徹子様の 質問っていうか
もう 本当に なんか

知りたい 知りたい
こういう事も聞きたい

ああいう事も聞きたい
っていうのが

もう 私も同じような気持ちで
いつも見ていて。

ええ。
やっと出して頂けまして

ありがとうございます。
ありがとうございました。

お互いに
なんと呼んでいらっしゃるの?

こちらは下級生だから
美樹ちゃん。

本名が富岡美樹って…
美樹ちゃんって呼んでいます。

宝塚って 上級生と下級生と
ちょっとの差でも

断固として
上級生 下級生がある…?

はい。 もう 永遠に。
永遠にね 死ぬまでね。

はい。 死ぬまで。
死ぬまで?

じゃあ こちらが
美樹ちゃんとおっしゃって。

私は ショーちゃん。

それは いいんですか?
ショーちゃん。

ショーちゃんっていうのは
山下正代さんとおっしゃって。

「正しい」 「代」で… ショーちゃん。

正代って。
はいはい。

でも 今でも歌っていらっしゃるの
すごいですよね。

安奈さんは
ランチショーをおやりになる。

やったんです。
あっ 本当だ。

♬~「清らな人の姿にも似て」

♬~「白き香りのばら一つ」

♬~(2人)「ああ ベルサイユに」

♬~「ばらが咲く」

♬~「ああ ベルサイユに」

♬~「ばらが咲く」

でも こういう高い声

どうやってキープして
いらっしゃるんですか?

ああー。 練習してる?
私はボイストレーニングに…。

やっていらっしゃる。
はい。

私も いっとき 東京にいた時は

ボイストレーニングの先生の所
門たたいて…

下級生だったんですけど。

教えてって言って
行っていましたね。

そうですか やっぱり。 知り合って
何年ぐらいになるんですか?

こちらが小学校5年生
私が中学校1年生でした。

すごい。
だから 10歳かな? 私。

でも すごいですよね。
それが 今も上演されてね

大人気の舞台になっている
っていう

『ベルサイユのばら』に
お二人は ご出演になっていて。

あの頃 すごかったでしょ?
人気が。

もう 最初の頃…

私たちがやり始めた頃は
そうでもなくて

だんだん 皆さん…
口コミっていうんですか?

「あなた 見ていないの?
見なきゃ損よ」みたいな感じで

ねえ 千秋楽になったら
すごかったよね。

あそこの外の所が…
宝塚の周りが… 東京はね。

あの辺 もう
道が いっぱいでしたね。

あっ これ その頃 並んでる人。
あっ 東宝の周りだ。

日生劇場の所から ずーっと…

あそこの日比谷公園から
ずーっと…。

すごい並んでる。
列で。

本当 あの頃 並んでいましたね
みんながね。

すごかったですね。
そうですか。

お父さんが並ばれるんですね
あの頃。

ちっちゃなお子様に
なってきたんで ファンの人が。

1人で行かせられないからって

お父さんが代わりに並んでます
みたいな。

お父さん かわいそうに。
お父さん かわいそうに。

1974年の初演でオスカル役を…。

私はね オスカルを
させて頂いたんですけど。

私でいいのかなとか

まだ そんなの
わからなかったし

劇画も決まってから

読ませて頂いたり
したぐらいで。

それで 翌年 安奈さんが
オスカル役をおやりになって

榛名さんがアンドレ役をやって。

はい。
再び人気爆発っていう。

そうですね。
すごいですよね。

でも 同じものだけど

役柄が そういうふうに
変わったりなんかして…。

初めは だから 初演で榛名さんが
おやりになっているから

そのまま移行して

オスカルは榛名さんで
私がアンドレ

という感じだったんです 初め。

でも どう見ても
こちらの方が大きい。

背が高いんですね。
背が高いし。

で 逆になるんで。

男の人の方が低くなったら
絵面としてもよくないし。

そして 植田紳爾先生も
「あんた オスカルやっていたら

オスカルだけで終わるで」って
言って。

フフ…。
だから 違う役の方が…。

「安奈淳さんも
オスカル役者にピッタシだし

それで ショーちゃんが
アンドレやったら

また そういう違う…

役者として違う役をやった方が
プラスになるでしょ」

って言われて
そうだなと思いました。

そこの… 池田理代子さんが
描いてくださったんですけど。

これがオスカルさんで
こちらがアンドレさんですね。

オスカルとアンドレ。
はい。

こちらがオスカルと
マリー・アントワネット。

なるほどね。
すごい奇麗よね。

奇麗。 可愛いわ。

宝塚公演の人気について
原作者の池田理代子さんも

『徹子の部屋』で これについて
お話ししていらっしゃるので

ちょっと
ビデオ見て頂いていいですか?

「『ベルばら』とか そういうのは

こんなに有名になったのは
本当に…

宝塚でも 何年も何年もね
上演されたりとか」

「なんか いまだに
あれなんですよ。 宝塚って

『ベルサイユのばら』だけを
やっているところだと

勘違いしている人も
いらして」

「で 行ってみて
チケット買って入ったら

『ベルばら』じゃなかったって
言われる事があるんです」

「違うものもやるものね」
「そう」

「でも そんなぐらい
みんな 宝塚は『ベルばら』…」

「そうですね」
「でも あれですよね」

「長谷川一夫さんが
演出をなさったりとかね

大変な時代がありましたよね」
「はい。 本当に」

本当に 理代子先生
おっしゃるとおりで

もう あれから以降は

3階の方から団体のお客様が
下りてこられるのに

母が ちょうど下にいてて。

横でしゃべっているのを
聞いていたら

「今日の『ベルばら』 よかったな」
言うて

違う作品でも言っていらしたって。
ハハハハ…。 すごいわね。

でも 長谷川一夫先生が
演出なのに

やっぱり 宝塚
全然 ご覧になった事のない

おば様たちが

長谷川一夫 出演と思って
いらっしゃった方が

たくさん
いらっしゃるみたいで。

そうですよね。
帰りに みんな しゃべりながら

「今日は 長谷川一夫
出てへんかったな」と

言いながら帰った人も
いるみたいで。

おかしいですよね。

でも 演技指導について
『徹子の部屋』で

長谷川一夫さんが
お話ししていらっしゃるところを

ちょっと
ご覧頂いてよろしいですか?

「その『ベルサイユのばら』という
宝塚のね

お嬢さんばっかりのとこで
演出をなすって

また これが
大当たりだったんですけど」

(長谷川)「ラブシーンで
歌を歌うっていうのは

いいポーズでやらなきゃならない
っていう事を

忘れちゃうんですよね」

「もっと顎を引いて
もっと伸ばしてやらなきゃね」

「“オスカルー!”と
こう こなくっちゃね

いけないっていうような事を
言うでしょ」

「“先生 痛いわ”って」

「で ここへ寝させて
こうやって こう…

こう 接吻しなきゃならない
ポーズがあったら

これは 寝ている子が
たまらないっていうの」

「背中を こうやってね…
こうやらなきゃならない」

「そういう時には
こうやっている手を

ずっと
こっちにずらしていくんだと」

「すると いやが応でも
こういう姿勢になって

顔が ここにあるから

こっちの顔と こっちの顔が
こうなるだろうと」

「お客様から見たらね
いい格好に見えるの」

「本人からしてみたら
この腰は こう ねじっているの」

「下にいるのは こうやって
体を こうやらなきゃできない」

「それが芸っていうのかな?」

うん。

あの時 ずっと

もっと詳しく
おっしゃったんですけどね。

美しく見せるためには
どんなに苦しくてもね

頑張んなきゃいけないって。

それで 持ち前にね
やれない人がいるとね

先生はね こうやってね…
先生って 長谷川一夫さんはね

下に寝ている人にね

「向こうの“は”の34を見い」
とか言ってね。

こちらの人は
「“に”の56を見い」とかって。

そっちの方を見て やんなさいって
おっしゃったとかってね

おっしゃったから
随分 大変だったんだなと思って。

もう ラブシーンはね 相当ね

こう 離れていてから
じんわりと ねじってから

ゆっくりと こう…。

2階 3階のお客様にも
大きく見えるように…。

そんな ちょぼっとしていたら
だんごみたいに こんな所で

何しているか
わからないからねっていう。

そういうね… そういう言い方。
「だんごみたいに見えるで」って。

どうです? おやりになってみて。
そういうの初めてでしたから。

結構 ねえ ラブシーンって 普通に
直接的にバッとやっていたから。

そんな じんわり
やった事がなかったから

やっぱり 大変でしたよ。
でも そういう時は あれですかね。

これが終われば 終わるぞ
っていう感じ?

それとも…。
そう…。 その次が もう

早変わりなんですよ。
早変わりの事で もう…。

それどころじゃない?
それどころじゃない。

フフフフ…。
フフフフ…。

でも 大変ですね 俳優って。

みんな ああ いいな なんて思って
見ているのに

そういうふうにやりながら
心の中では

次 終わったら すぐ走って行って
あそこで替わらなきゃなとかって。

衣装 替えなきゃなとかって
思っていらっしゃる。

第1期 『ベルばら』ブームを築いた
お二人に

『愛あればこそ』を
ご披露頂きます。

それでは お願い致しましょう。
どうぞ。

♬~

♬~

♬~

(拍手)

ありがとうございました。

いかがですか?
これ お歌いになる時の気持ちは。

ものすごい回数 歌っていますよね
この主題歌はね。

舞台でも 五百何十回って
やっていたんで。

もう 寝ても覚めても ねえ
スーッと出てくるのよね。

歌詞もね。 なんか 音が鳴ったら
スッと出てくるっていう感じで。

覚めても… 寝ても覚めても?
寝ても覚めても。

すぐ出てくる。
すぐ出てくる。

そうですか。 お互い
ご両親が宝塚ファンで

幼少期から
英才教育を受けていらしたって。

ああー。 英才っていう感じでは

うちは 多分
なかったと思うんですけれども。

でも
コドモアテネっていうのが…。

コドモアテネは
予備校みたいなね 学校…。

そういうのがあるんですってね。
あるんです。

日曜学校みたいな。 日曜日だけ。

日曜日だけ。
日曜日だけ。

でも その前に 私は小学校から
バレエ 3年生からと

5年生からピアノと歌とは
母が… 父も

習いに行くって言ったら
習わせてくれていましたけど。

うちは 何しろ 父も母も

ものすごく宝塚ファンで。

子供が生まれて 女の子だったら

宝塚に入れようと
思っていましたから。

オギャーと生まれた瞬間から

宝塚… この子は宝塚っていう。

これ そう?
妹さんと…。

妹さんと一緒のとこ?
そうです。

でも 宝塚コドモアテネに通って
稽古を受けたっていうけど

その稽古は どんなでしたか?

コドモアテネは もう
遊びに行っているような感じやね。

そうそう。 もう 遊びに…。
宝塚の街に行くだけで

うれしいわみたいなね。

私は もう 全然 宝塚に入ろうとか
そういう気持ちじゃなくて

本当に 遊びに行くような感じ。
へえー。

いくつぐらいですって?
コドモアテネに通うのは。

中学3年までが
コドモアテネに入れる年数で…。

そこで歌ったり 踊ったりとか?
はい。 そう…。

だから 声楽とバレエと日舞は

3つ 授業が
ちゃんと分かれていて

何時からは日舞とか
着物 着替えて。

お互いの事は
覚えていらっしゃるの?

私はね 割と
小学校5年だったんだけれども

ちょうど
コドモアテネの渡り廊下の所に

ピアノがあって。
ピアノを いつも…

ピアノの前で こう なんか…
ピアノを弾いているような

ムードなんですよ。
ムード…。

文学少女みたいな。
だから ピアノが大好きでね

いつもピアノの前にいます
っていう そういう姿を見て

あっ 可愛らしい人
色 真っ白で… みたいな。

宝塚 絶対 受かるわって
見た時 思っていましたね。

安奈さんは でも

宝塚にお入りになるつもりは
なかったの?

そうなんです。 私は もう
実は 美術の学校に行きたくて。

でも 両親が
「宝塚 宝塚」だったから

それに背いてはいけないと思って

一生懸命 まあ ねっ
お稽古していましたけども。

でも 宝塚退団後も
連絡を取っては

お食事とか お互いの家族同士の
交流もあったんですって?

交流はね 結構 お父様がね…。

美樹ちゃんが
東京へ出て行ってしまったら

関西におられてね まだ。

寂しい時はね
うち どうぞみたいな感じで

お正月 一緒にね
お祝いしたりとか

結構していました。

娘の代わりに。 フフフフ…。

知りません。
そう。 知らない。

全然 そんなん
しゃべっていないもん。

そう。 フフフフ…。
とにかくね でも うちの母が

58で亡くなったんですけども。
あらー。

ちょうど
その時 私 帝劇に出ていまして。

あらー。
全然 お葬式も…

もちろん 死に目にも会えなくて。

で うちの父が ちょっと
パニック状態になりましてね。

彼女が全部やってくれたんです。
あっ そうなの。

お葬式の事?
そうです。 死に化粧まで…。

一緒にね 病院からね

ストレッチャーで
マンションに帰る時…

お父様が その前に
市民病院に近い所にって

マンション
引っ越されたんですね。

その前は宝塚の方に
お住まいだったんで。

で そこへ連れて帰るのに
私 飛んで行って。

まだ温かかったの お母様。
もう 温かかったのに

悲しくて もう
連れて帰らないといけない

っていって 私 その時に

すごい 代わりせないかん
っていうのがあって

それで 一緒に…
エレベーター 入らないんですよ

この ストレッチャー。 立てて

私と お母さんと抱き合って
こうして上がっていって

そして お部屋に お寝かせして
それで お化粧も全部して

お父さん こっち来るまでに
色んな段取り

つけなくちゃいけないから
電話して。

私の知恵 振り絞って
色んな事やって。

随分 だけど お若いだろうに
しっかりしていらっしゃいますね。

私 なんか 慣れていたんかな?
そういうのに。

おいくつぐらい? 大体。
40前?

40前。 30代。 30代の後半ですね。

随分しっかりして
いらっしゃいましたね。

だから とにかく うちの父も…
妹もいましたけども。

ショーちゃんには
足向けて眠れないっていうぐらい

感謝しています。
急だったからね。

あなたは舞台に出ていらして
お母様が亡くなった事を

お聞きになったの?
つらかったでしょ?

っていうか なんか
信じられなかったですね

しばらく。

『一絃の琴』っていう

宮尾登美子先生の
舞台だったんですけども。

その役がですね…
一番初めに出る場面が

私が風呂敷包みかなんか持って
出てくると

幼なじみの男の人が出てきて

「おばちゃん どうしてる?」
っていうのが最初のセリフで。

私の また 最初のセリフが

「死んじゃったの」っていうのが
初めのセリフだったんですよ。

あら。
それで その時は

相手の役者さんも
うちの母が亡くなった事を

聞いていらして それを言うのが

ものすごくつらかったと
おっしゃっていて。

私も 「死んじゃったの」って
言ってから

なんともいえない気持ちでしたね。
ねえ。

でも 本当の事だからって

それを
本当のように言うっていっても

なかなか 芝居って
そういうふうにもいかないでしょ。

でも その時の事を思い出すと
やっぱり もう 泣きそうに…。

そうですよね。
私なんて 『源氏』の東京公演の時

お母さん 目の前に座っていたよ。
うん。

会いに来てくださったみたい。
あっ そう。

上の端の方の
通路から3番目ぐらいの席

ずっと歩いて行ったら
お母さんが座って見ている 私を

もう 亡くなってはるのに。
えっ?

お母様 もう
亡くなられていたんだけれども

客席に座っていらしたんですよ。
それが見えた。

母が お礼を言いに来たんだなと
思います。

確かに いらしたの? そこに。
お母さんの顔だったんですよ。

いや お母さん
見に来てくださったんやって

思いながら…
歌いながら 冷静を装って

ずっと戻って行って
次の時にもいるかな

いるかなと思って
目線 パッと見たら

いなかったんですよ
もう そこだけで。

あっ 本当。
はい。

不思議体験ね。
うん。 はじめましてだったわ。

私 そういうのの…
霊感も何もないから

びっくりした。
色んな事がありますね。

榛名さんは舞台生活60周年記念。
はい。

それで ミュージカルに
今度 ご出演になるんでしょ?

ええ。
何をなさるんですか?

そのね… 原作は岩下俊作先生の
『無法松の一生』よりの

富島松五郎っていう
人力車夫の役なんです。

えっ。
ミュージカルになっているんで。

あっ そうなんですか。

もう 歌が どんどん入ってきて。
あっ そうですか。

『永遠物語』っていう。
はい。 『永遠物語』っていいます。

『永遠物語』っていう…。
10月12日から16日まで

大阪のサンケイホールブリーゼ
っていう所でおやりになる。

すごいんですね。
なんでもやっちゃう。

1日1回だけ どうにか頑張って。

お二人のこれからの目標は
いかがですか?

どう?
私は もう 何しろ

皆様… 色々な方に
お世話になったり

応援して頂いたりに 恩返し。
恩返しができれば。

もう 榛名由梨が頑張っているから
私も元気が出るわとか

もうちょっと長生きしたいわとか。

もう お年 召している方が
多いので ファンの方も。

フフフ…。 だから 皆さんに
元気が出るようなパワーを

送っていけたらなと思いますね。
安奈さんは どう?

まあ 同じですけども。

本当に 私も年取ると
ファンの方も お年 召すから

80 90の人なんてザラなんですよ。
90?

はい。 90の方も
いらっしゃいますので。

私も歌える限り 命の限り
歌っていって

そういう人たちが…
聴いて頂いて…。

そうですよね。
元気でいて頂ければ

私も元気 もらえますし。
そうですよね。

同じぐらいの年の方が
元気でやってくださると

みんなも あっ あそこまでは
やれるんだっていう…。

そうですよね。
そうですよね。

お互いね 励まし合ってね
やっていけたら…。

食べ物なんかは
気を付けていらっしゃる?

なんか。
私の場合は

太ったり痩せたりが激しいんでね。

好きなものを食べていたら
太るんですね やっぱり。

だから やはり 運動。

フフフフ…。 別に太んない?
太らないんですよ 全然。

うらやましいな。
フフフフ…。

でも お元気で。
本当 ありがとうございました。

(2人)ありがとうございました。

『徹子の部屋』は

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