出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 鰐淵晴子[解][字]

~喜寿迎え、孫2人を溺愛中!亡き母へ感謝の思いを…~鰐淵晴子さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
喜寿を迎え、孫2人を溺愛するおばあちゃんになった女優・鰐淵晴子さんがゲスト。
◇番組内容
10歳で本格的に女優活動を開始し、エキゾチックな容姿で人気を集めた鰐淵さん。現在、往年の映画上映会でのトークショーは立ち見が出るほど大人気。鰐淵さんの父はヴァイオリニスト賢舟さん、母はオーストリア人でチター奏者のベルタさん。母は最愛の父が亡くなってから自身のこれまでの苦労について話してくれたという。東京大空襲の約1カ月後に防空壕の中で鰐淵さんを出産し、異国の地で育ててくれた母へ感謝の思いを明かす。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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  20. 何歳

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

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(黒柳)今日のお客様は

エキゾチックな女優として大活躍。

今や 77歳。

2人の孫のおばあちゃんに
おなりになった

鰐淵晴子さんです。

こんにちは。
今日は… こんにちは。

どうぞ よろしくお願い致します。
よろしくお願いします。

子役時代に出会った
大物女優さんのお話とか

色々な… 音楽家でもあった
ご両親についても

お伺い致します。
よろしくお願い致します。

こちらこそ
よろしくお願い致します。

懐かしくて うれしいです。
フフフフ…。

現在 往年の映画上演会での
あなたが出ていらした…

トークショーも
付いていたんだけど

立ち見が
出るぐらいだったんですって?

佐藤先生って…
映画評論家の方が

企画なさっている
プロジェクトなんですけれども。

昔の名画っていいますか

懐かしい映画を
選んで出してくださって

その中に私も選ばれていて

とってもうれしい…
幸せな事です。

ねえ。 小さい頃は 随分…

『ノンちゃん雲に乗る』
っていうのも そうですけども

色んなものに
出ていらっしゃいましたよね。

そうなんですよ。
『ノンちゃん』が一番

デビューっていいますか

皆さんに見て頂いた映画だと

思うんですけれども。
懐かしいです。

それに若い人も来ていました?

あっ 結構ね…
懐かしの映画っていうのが

結構 若い人に 今 ブームに
なっているみたいなんですね。

もちろん
日本画もそうなんですけど

洋画もそうですし。

ヌーベルバーグじゃ
ないですけれども

あの頃の映画っていうのは
結構見られているみたいですね。

お父様はバイオリニストの

鰐淵賢舟さんで
いらっしゃいまして

お母様 オーストリア人で

ツィター奏者の
ベルタさんと…。

ベルタです。 はい。
そう。 それで

お父様とお母様は
留学中にウィーンで

お会いになったんですってね。
そうなんです。

母も…
ツィターっていう楽器…

『第三の男』で使われていた
楽器なんですけれども。

それを習った時に…。
今 あそこで

弾いていらっしゃるの
お母様ね。

はい はい。

大ロマンスだった
らしいですよ。

みんなに反対されて
あの時代ですから。

すごい。 お母様 何回も
お会いした事ありますよ 私。

はい。 お父様も…
大変 お世話になりまして。

で お父様も NHK交響楽団の

コンサートマスター
やっていらして

うちの父も そうだったんで
なんか 交代みたいにとかね

色んなので…。
とってもよくして…。

ローゼンストックさん
っていう指揮者

いらっしゃいますでしょ?
ドイツの方。

で うちの母も呼ばれて
ドイツ語ができるもんですから。

それで ご一緒させて頂いて

とても よく
ご親切にして頂いた

っていう話は
聞いているんです。

本当ね。 あの頃
音楽も盛んでしたしね。

そうなんです。
でも お父様って 元々

お寺のご出身だったんですって?
そう…。

全然 関係なかったんですね。
ええー。

クラシック音楽とは。
新潟の方なんですけども 出身で。

で 坊主だったんですね。 坊主。
なんていうんですか? あの…。

それが バイオリニストに…。
そう。 8歳ぐらいの時から

そこで しごかれてっていうか…。

母親が アメリカ
行っちゃったもんですから

元来 孤独…
1人きりだったんですね。

あっ そう。
ええ。 独りぼっちで。

入門っていうんですか?
そこで修行して。

それで また たまたま
アメリカにいる

とらさんっていうお母さんが

来るか? っていう連絡が
あったもんだから

1人で荷物持って 船で

アメリカまで行ったらしいんです。
すごい。

なんか すごいんですよね
うちの父も。

42年前に『徹子の部屋』に
ご出演になったんですよね。

その時のVTRがございますので

ちょっと ご覧ください。
鰐淵さんです。

「今年から あれですって?
お嬢様が1年生におなりになって」

「やっとっていうか
もうっていうか

なんか そんな気分です。
ピカピカの1年生です」

「あっ 本当にね。 でも ピカピカの
1年生の方は平気だけど

お母様たちが皆さん ご緊張…」

「私 もう よれよれのお母さん
っていう感じで」

「いざ勉強っていう事になると
私の方が緊張しちゃうんですね」

「もう 彼女の方は
全然ケロッとして

“行ってくるよ”っていう感じでね
行ってくるんですけどね」

「また 送り迎え…
ちょっと遠いもんですからね」

「ですから 朝 ちょっと早めに
起きなきゃならないんですよね」

「朝が また弱いんですよね 私」

「でも お嬢様は とっても
しっかりしていらして」

「今のところ
私よりは しっかりしています」

「そうですか。
そして あれなんですって?」

「あなたの生活態度なんかにも
色々… なんていうか

忠告を… 影響を与えているの?」
「そうですね」

「“ママ もう しっかりしなきゃ
駄目じゃない”なんて…」

いまだに言われています。
本当?

いまだに同じ事 言われています。

うちの娘はね 本当に…

1人で
ドイツ留学していましたでしょ。

歌やって… オペラの方のね
勉強していたんで。

ケルン大学まで…
1人で卒業して。

私 何も言わずに…

育てるっていっても
わからないですし

とにかく自然のままに
育てたんですけれども。

なんか
頑張り屋なんですかね

ドイツで大学出て

帰ってきて
また歌の仕事したりとか…。

すごい。
で 子供まで産んじゃって。

フフフフ…。 2人も産んで。
ええ。 頑張っていますよ。

そうですか。
はい。

理沙さんは
2児の母になって…。

ああー 写真が出ていますね。
これ 理沙さん?

はい。 あっ 孫たちです。
これ 孫?

これは あなたと孫2人?

そうです。
せいちゃんと江恋です。

可愛いんですって? とっても。
可愛いでしょ?

可愛い。 すごく可愛い。
手前みそですけれども。

なんか 可愛くてしょうがない。
何歳と何歳?

えっ? 今 5歳と
それから2歳半ですかね。

可愛い。
はい。

ねえ。 すごく可愛い。
面白いんですよ。

なんか 笑う事が好きでね

で おしゃべりも好きで
せいちゃんなんか。

おばあちゃまね
これ こうするんだよって

教えてくれるんですよ。
フフフフ…。

それが また うれしくてね
なんか。 フフフフ…。

しっかり教育していますね
私なんかよりも 娘の方が。

娘が。 そうですか。
ご飯も ちゃんとね…。

隣に住んで
いらっしゃるんですって?

お隣に住んでいるんだって?
そう。 すぐ…

スープの冷めない位置
っていうんですか?

場所っていうんですか?

たまたま
そういう事になったんですよ。

で 孫と一緒に お料理をする時が
とっても…。

そうなんです。
時々 呼ばれるんですね

私 隣なもんですから。

で 1人で何やってんの?
みたいな…

大した事やっていないだろ

というふうに
思われているらしくて。

それで お料理もね

やっぱり 1人だと
なかなか大変じゃないですか

一から ずーっと
最後まで作っていくのもね。

それで
向こうは家族がいますから

例えば うちの…
私なんか… グラッシュ?

うちの母が作ってくれた。
グラッシュ。

そういう煮込みの料理とか
あとは スパゲティとかは得意で

そういうのを
作ったりもするんですけれども。

まあ せいちゃんって 上の子がね
ものすごく好きなんですよね。

最初 バイオリン
やっていたんですけれどもね。

フフ…。 もう やっていないの?
今は やっていないんですよ

なぜか。
また やるとは思うんですけど。

それ
期待しているんですけれども。

孫の料理映像というのがあるので
ちょっと ご覧ください。

「それで混ぜるの」

あら しっかりしている。
混ぜ混ぜ。

「おいしそう」

何ができるか… 卵かな?
卵焼き作っているのかな?

しっかりしている なんか。
しっかりしていますよね。

「それで これ 入れたら
混ぜるの。 かき混ぜるの」

「待ってね」

「もう 食べたーい」
(理沙)「フフフ…。 おいしそう」

「出来上がりだよ。 見せてあげて」
「出来上がり」

いただきまーす。
可愛いね。

無条件ですよね やっぱりね。
あれは なんだったんですかね?

スクランブルエッグみたいな…
ソーセージとスクランブルエッグ

みたいな感じだと
思うんですけども。

まあ お母さんの言う事は
ちゃんと聞きますね。

私が言っても あれですけど。
でも あなた…

子供だったあなたを知っている
私にとってみると

あなたに
孫ができるっていう事は…。

信じられないですよね?
うん。 信じられない。

私も まだ… いまだに
なんか ウソみたいな話で。

でも 女優になってほしいって

思っていらっしゃるんですって?
そうですね。

本人のあれがあるとは
思うんですけれども。

娘が色々… なんていうんですか?

ドイツ語 習わせたり
英語の学校 行ったりとか

色々 習わせているんで…

どうなるか
わかりませんけれども。

私は いけるんじゃないかなと
思っているんですけれどね。

それは 孫が?
そうなんですけど。

こればっかしは まだ…。

でも 歌もね 好きなんですよ。
あっ そう。

でね
娘がピアノ弾くじゃないですか。

そうするとね そばで
ちょこちょこ ちょこちょこ

弾いているらしくって。
江恋ちゃんっていうんですけどね

うちの孫娘。

弾くんですよ 一緒になって。
孫娘が。 フフ…。

私はね ラップじゃなくて
ショパンを弾いてほしいって

言っているんですけどね。

本当に そうなるかどうか
わかりませんね。

でも あなたは10歳で
『ノンちゃん雲に乗る』で

女優を
本格デビューをなさいました。

映画初出演の撮影の思い出って
何かありますか?

映画はですね…
『ノンちゃん』の時は 非常に…

お母様が原節子さんという事で。
それが すごいわね。

大女優 原節子さんが
お母様ですからね。

もう 大変なんです。
家にも遊びに来てくださって。

原節子さんが?
もう 近所中の人たちが人だかり。

そりゃ 人だかりよね。
大変な騒ぎになりましてね。

で なぜか
ドイツで撮影されたんで

ドイツのお話を
母としたらしいんですね。

それが楽しみで

「じゃあ お家に行くわ」
っていう事で

遊びに来てくださった…。
原節子さんが?

はい。 心臓が止まるほどの ねえ
お美しい方だから。

そのお母様がですよ
ノンちゃんのために

おみそ汁を
作ってくださるんですよ 朝

朝ご飯に。 で そこで
ノンちゃんは目を覚ましたり

あと 雲の上から戻ってくるのも
お母さんの

「朝ですよ。 ノンちゃん
起きなさい」っていう…。

映画の中でね それは。
映画の中でね。

それで目が覚めて
生き返るっていう。

雲に乗ったっていう事は
宇宙旅行しちゃったのかなって

私 今は
そう思っているんですけれども。

雲のおじさんとか出てきますしね

徳川夢声さんが演じるね。
徳川夢声さん。

なるほど。 大変な推理ですよね。
ハハハハ…。 すごい話なんです。

でも 当時
日本語の発音が難しくて

あなた お母様と
よく話していらしたので…。

しゃべれなかったんですよ 言葉。
あっ 日本語?

日本語を。
あっ そう。

言葉が
ごっちゃになっちゃうんですよね。

それで わからないものですから
なんか 変な日本語でね…。

それで
徳川先生のところに伺って

セリフ… 台本 頂いた
そのセリフのお勉強をさせて…。

徳川夢声さんが
色々日本語で教えて…。

すごい先生じゃ
ないですかね

徳川先生ってね。
すごいと思います ねえ。

当時としては
大変だったと思います。

でも 原節子さんと
親子役なさった

っていうのは
相当すごいですよね。

すごい事ですよね。

原節子さん
背が すごくお高くていらして

うわーって見上げるような感じで。

私には あんまり 言葉をかけて
くださらなかったんですけれども

お母さんと すごく

気が合ったようなんですね。
あなたのお母様とね。

まあ 奇麗な方でしたもんね。
すてきですよね。

長嶋茂雄さんとのお話は
なんですか?

そうですね。
川べりを散歩をするんですね。

多摩川の?
多摩川のね。

そうしたら お声かけてくれる
すてきな男性… 若い男性でね

いらして。 その方が
長嶋さんでいらしたのね。

いつ頃? それは。
私ですか?

私 まだ子供だったと思う。
あっ そうだったの。

父親に「僕はクラシックの
ファンなんですよ」って言って。

「レコード お聴きしてますよ」って
話しかけてくださって。

それが最初なんです。
ええー。

で その次の時に

なんかの雑誌の取材で
お宅へお邪魔して。

長嶋さんがフライパンを持って
お料理されているんですよ。

フフフ…。
すごいわみたいな感じで。

すてきな方ですよね。
あっ そう。 フフフ…。

おしゃべりが とてもお好きで。
うん。

それからは お会いにならない?
お会いしていないです。

うん。
でも 憧れてはいましたね

すてきな方だから。
うん。

でも 他の女優さんが
お好きだったみたいで。

フフ…。 そうなの?
「そうなんだ」

「私 ガッカリだわ」とか思った
記憶はありますけどもね。

あなたは 東京大空襲の

1カ月後に生まれたの?

あなたが生まれた。
そうなんです。

ちょうど終戦の年ですよね。
うん。

だから 父はいなかったんですよ。
うん。

兵隊に入って行っていましたので。

それで 母親が1人で防空壕で
誰もいないのに

1人で産んだっていう…。
あなたを?

ええ。
大変でしたね。

だから よく生きていたなと
不思議に思うんですけどね。

まあ 強い母親で。
本当ね。

お母様って オーストリアの方?
そう。 オーストリアの

ウィーン生まれです。
うん。

お母様 日本語も話せない
あんまり。

たどたどしいですよね。

うんうん。 そうでした。
ずっと そのペースで

たどたどしい日本語で

聞いてましたけども。

わかるには
わかるんですけれども

やっぱり 正式に
学校は行っていないので。

なるほど。
うん。

そういう感じですね。
当時の事 お母様は

あとで話したら…。
そうですね。

「私 やっぱり
苦労したよ」って言って。

あの時代だから。
ちょうど戦争があって

外 行けば
見かけが違うじゃないですか。

そうですかね。 そうそうそう…。
そうすると

まあ ちょっとした事で…。

スパイじゃないかとか。
そういう嫌疑をかけられたりとか

「つらい思いしたんだよ」
みたいな事は

言っていましたね。
それで 父親が帰ってきたんで

それは ホッとする部分が
あったんだと思うんですけれども。

いない時っていうのは
怖いですものね。

かわいそうでしたね
それはね お母様1人でね。

まあ あなたはね
生まれたんでしょうけども。

そうなんです。
どういうお母様でしたか?

きつかったですね。
あっ きつい? うん。

教育に関しては
ものすごくきつくて。

父親の方が逆に
とてもソフトな

柔らかい人でしたね。

ただ バイオリンを習う時は

厳しかったですよ。

最初は2人で こう…

父親が弾くんですよ
一番最初は。

父親が弾いて それを2回目は
2人で弾くんですね。

3回目に
私1人で弾くんですけども。

その時 できてないと
ボーンとたたかれますね 指とか。

大変。
大変。

でも あなたを
バイオリニストにさせようと

していらしたみたい?
そうなんです。

あっ そうか。
ただ まあ 残念な事に…

まあ 父親にとっては残念な事に

映画の方へ
行っちゃったもんですから。

あなたがね。 あっ そうか。
それで…。

それで すごく
悲しい思いをさせたな

っていうのは
いまだに 心に強く残ってますね。

なるほど。 でも まあ

原節子さんとご一緒に

映画にお出になったり…。
随分 映画の方には

長くいらしたの?
そうですね。

それは まあ

バイオリン弾くシーンが
あったりとか… 当時はね。

バイオリン絡みで
そういう事があったりとか

ありましたけれどもね。
でも 音楽からは

切り離せないんですね
どうしても。

だから まあ 娘も歌を勉強しに
ドイツへ行って

いまだに まだ
コンサートやったりとか

それから
ボランティアやったりとか

色んな やっぱり そういうのは
携わってますので。

なるほどね。
やっぱり

そのつながりっていうのは…。

だから チビたちも
もしかしたら

そういうの なんか
やってくれないかな

っていう気持ちは
あるんですけど。

まあ 今のところ
バイオリンは ちょっとお休みで

お料理の方にいっていて。
あと お絵描きも好きだし。

で また バイオリンに
戻ってきたらいいなとか…。

なるほど。 あなたは もう
バイオリンは弾いていない?

私ね やっぱりね
覚悟がいりますね。

覚悟。
覚悟。 あっ なるほど。

やっぱり
それだけやったんだから

悔しい思いするんですよね。
それは そうね。

やっぱり
状況がちゃんとそろって

例えば 何カ月か ずっと続けて
バイオリンをレッスンして

1曲 仕上げるとか
そういうのだったら

やっていいかなと
思うんですけれども なかなかね。

バイオリンって楽器も
難しい楽器ですしね。

まあ 難しいですよね。
でも お父様は86歳。

はい。
お母様は98歳で

お亡くなりになったんですって?
はい。 亡くなりました。

でも 随分 ご長寿ね
お母様 98っていうんだから。

そう。 しっかりした母親でね。

そうでしたね。
立派でしたよ。

本当。 フフフフ…。

喜んでいるかな? 今 聞いて。
フフフフ…。 どうかな?

お父様 お母様への思い
っていうのは どういう…。

ああー。 やっぱり
理想ですね 女性のね。

私は どこか やっぱり
ただ 女性として幸せ…

家庭を持って
子供 持ってっていうのは

すごく大切な事だし
必要な事だとは思うんですけど。

やっぱり 女性として… 女性でも

何か一つの事をやり遂げて
仕事ができるとか。

そういうところで
活躍してほしいなと。

自分を持っていてほしいな
っていうのがあるんですね。

なるほど。
だから 黒柳さんは理想ですよ。

フフフフ…。
あと エディット・ピアフとか

色々いるじゃないですか
すてきな方が。

ねっ。 シャネルとかね。
そうそう そうそう。

でも 最愛のお父様が
亡くなってから

お母様は
過去の話を随分してくださった…。

そうですね。
本当に惚れてましたね。

うん。
父親も母親も。

よく
ケンカしていたんですよ

昔は。

だけど 最終的にはね

「僕は別れない」とか
言っちゃって。

フフフフ…。
「そう。 どうぞ どうぞ」

みたいな感じ
でしたけれども。

仲良かったのね。
仲良かったと思いますよ。

ふーん。
「僕はベルタだけが心配なんだ」

って言ってましたもん 死に際に。
奥様の事を?

そうです。
はあー これが理想な…

こうは いかないよな
とかいって思って なかなか…。

でも お母様は途中から
日本にいらしたんですよね?

20代で…。
そうですよね。

ですから 自分の国よりも長く…。

もう 日本にいらっしゃる
っていう事ですよね。

でも 途中で
お父様が亡くなったのは

お母様にお気の毒でしたよね。

寂しかったと思いますよ
やっぱり。

口では 何も
言わなかったんですけれどもね。

何もおっしゃらなかった?

何も言いませんけれども
すごく憔悴していましたね。

それは そうでしょうね。

やっぱり
心細かったと思いますよね。

父しかいなかったじゃないですか。
自分の国の母親も

それから 妹もお兄ちゃんも
みんな 亡くなっていますし。

あっ そうなの。
1人でポツンと…。

ねえ。 あとは全部
日本の人ばっかりの中にね

いらしたんだから。
あの時代が またちょっとね…。

簡単に今は飛べるけども。
そうそう そうそう。

なんか あの… あれですよ。
飛行機じゃなくて列車で

ロシアから?
ロシアから列車?

そう。
それも すごいわね。

で 新潟から船とか
そういう感じかしらね。

そういう感じで来たんですって。

「だから 怖かったよ」とか言って。

今日は 鰐淵さんのご家族が
いらっしゃっています。

はい。
鰐淵さんのお嬢さんと

それから
お孫さんお二人と

お嬢さんの旦那様と。
そうなんです。

可愛い。
はーい。 せいちゃん。

江恋ちゃん。 江恋
こっち向いてごらん。

江恋ちゃん
こっち向いてみて。

あっ 見た。 可愛い。

ええー 可愛い。

可愛い盛りですね。
盛りね。 可愛い盛り。

なんか 本当に
純真無垢っていうか

見ているだけで…。
何歳と何歳ですって?

上が5歳で 下が2歳半?

2歳半です。
そうか。 2歳半と5歳。

可愛い。
ちょっと あなたに似ているわね。

ちょっと 似ているでしょ?
似ている。

うれしくなっちゃいますよ
もう 本当に。

ねえ。
ねえ。

今日は お会いしたくてね
徹子さんにね。

あっ そうなの? うれしいわ。

そう。 うれしいわね。 どうも。

でも あれですよね。
そんな ちっちゃい時に

子役で有名になった あなたが
結婚もなさって

それで 孫もできてってさ。
そう。 不思議な事です。

そう思います 私も。

本当に不思議です。
ねえ。

もう 私の人生
全てご存じみたいなところが…。

本当よね 子供の頃からね。
そうそう。

あなたは あんなに長く
子供の時からやっていらして

引退っていうのは
考えた事はない?

いや 引退って
あえて するのかな?

私みたいな立場の者が
みたいなふうに

思っているんですね。

だから そこまで大げさに
引退とかっていうより

やっぱり 来る者は拒まず。

それで やりたい時に
やりたい事をやってみたいな

そういう なんか… ボヘミアン?
ボヘミアン…。

かっこよすぎますね。
いいわね。

かっこよすぎ。 ボヘミアンかなと。

でも 仕事だって
色んな人に会えるのが…。

それだけでも
幸せだと思っているんですね。

そうですよね 本当。
これから なんか

やってみたい役とかって
あります? あなた。

そうですね。 役者さんって
やっぱり やる人によって

表現が違うから。

この間 たまたま すごい…
社長の役で…

偉そうな社長さんなんですね
その方がね。

それで
すごく威張っているんですよ。

でも それだけじゃ
つまらないから

ちょっと
コメディータッチにしたいな

っていうのがあって。
で どうやったら

皆さんに
笑って頂けるかなと思って。

それで 色々 ああでもない
こうでもないって

自分で工夫して
それで演出家に聞いたら

「あっ いいですね。
それもやってみましょうか」

みたいな感じで
言ってくださったんで

そういう面白さがあって。

だから 笑わせたり
泣かせる時は どんどん泣かせて

グーッと言わせるとか。

そういうふうに…。
やっていらっしゃる?

やっぱり お客様の心を…
なんていうんですか。

喜ばせてあげるっていうか
満足させてあげられるとか。

音楽も
同じだと思うんですけれどもね。

そういうふうにしたいなと
思っています。

あっ そう。
はい。

でも ご活躍でね 何よりです。
ありがとうございます。

本当。
徹子さんも 本当に

久しぶりにお目にかかれて…。
本当ね。 久しぶりに…。

5~6回は。
そうそう。

でも 本当に 『徹子の部屋』が
始まってすぐに

いらして頂いたんですものね。
本当に ありがとうございます。

どうも ありがとうございました。
本当 ありがとうございました。

『徹子の部屋』は

Source: https://dnptxt.com/feed

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