出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 原田美枝子[解][字]

~認知症を患い“私は女優”と…最愛の母が92歳で逝き~原田美枝子さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
朝ドラでの熱演が話題の女優、原田美枝子さんがゲスト。
◇番組内容
昨年、92歳で他界した母。80歳を過ぎた頃から認知症の症状が…。ある日「私、15の頃から女優をやっているの」と語り始めたという。15歳で女優デビューしたのは母ではなく、原田さん。その一言がきっかけで原田さんは母と向き合うようになった。3つのパートを掛け持ちしながら、原田さんと2人の兄を育てた母。実家の片付けの際に見つけたという母の若い頃からの写真とともに、その人生を明かす。また、今の気持ちを語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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  13. ヒサ子
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  19. 撮影
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

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(黒柳)朝ドラでの熱演が話題の

原田美枝子さんで
いらっしゃいます。

去年 お母様が

92歳で
お亡くなりになったんですが

お母様は
認知症を患っていらして

ご自分を女優だと思うように
おなりになっていたんですって。

そのお母様と
向き合っていらした原田さん。

どんなだったか いろいろ

今のお気持ちなど
伺いたいと思っております。

よくいらしてくださいました。
どうも。

もうね あなたの靴が
あまりに可愛いんでね

見とれて… フフ…!

そんな可愛い靴ってあるのね。
(原田)ねっ! 可愛いですよね。

色がね…。
ねっ! 可愛い。

お洋服も可愛いんだけど
靴 可愛い。 フフフ…!

さて 今年 主演映画で

認知症の役をおやりになった?
はい。

『百花』という
作品なんですけれども。

「百の花」?
「百の花」で『百花』といいます。

でも 認知症の役っていうのは…

身近で
お母様を見てらしたけども

どうなんです? そういうところ。

そうですね 今まで
何回か やってるんですけども。

そうですね…。

まあ その…
認知症になってしまった方が

例えば
私の映画とかドラマを見た時に

「いや そんな風に
やらないでよ」とかね

「そんなんじゃないわよ」って
言えないじゃないですか

多分 そういう状態に
なっちゃったら。

だから そういう状態に
なってしまった方に対して

失礼じゃないように
やりたいなと思って はい。

でも お母様が 92歳で
お亡くなりになったんだけど

お母様は 介護施設かなんか

入ってらした?
そうです はい。

最後の5年間ぐらい
お世話になって。

そういう時は面会…
あっ キレイ!

これは元気な時ですね まだ。

多分 60代とかかな?

キレイなお母様ね。

ヒサ子さんとおっしゃる?
ヒサ子… はい。

でも あれですか?

病院に入ってらした時に
お母様と面会はできたんですか?

そうですね…
最後の1年半ぐらいは

コロナの…
コロナが始まってしまったので

最後の1年ぐらいは
あんまり会えなかったですね。

でも 亡くなる前に

家族全員で会いにいらした事
あったんですって?

そうですね。
一番最後に 本当に…

もう 危篤状態にならないと
なかなか 面会ができない…。

あっ そうなの。
…状態だったんですね。

でも まあ 意識がある時に
呼んでくださって

それで 家族全員が
まあ 順番に会う事ができて。

で 母は その時に…

私が 誰か
わからないかもしれないんだけど

「ありがとうございます」って
言うんですね。

「遠いところ
ありがとうございます」って

私にも言ったし みんなにも
それぞれ 言ってたみたいで。

だから 本当に 最後の言葉は

ずっと 「ありがとう」「ありがとう」
って言ってたので

偉いなと思って。
本当ね。

それ 本当の お母様の
気持ちだったんでしょう きっと。

そうですね。
そう思いますよ。

なんか 人間って…
本当かどうか わかんないけど

亡くなる時に 本当の気持ちが
出るっていいますもんね。

そうですね。

つくづく 偉いなと思って…。

こう 生ききった感じが
するんですよね。

92歳でしたっけ?
はい そうです。

もう 全部… 気力も体力も
全部使い果たして

それも ほとんど
自分のためじゃなくて

人のために…
私であったり家族のために

なんか みんな…
面倒を見て 尽くして

亡くなったなと思うので…。

もう 本当に
ご苦労さまっていう感じですね。

ありがとうって…。
あなたの事は…

あなただっていうのは
認識してらしたみたい?

最後の方は ちょっと
わからない時もありましたね。

何歳ぐらいから
お母様は認知症っていう感じ…?

そうですね…

80歳になった頃からですかね。
80歳ぐらい?

はい。
ああ そうですか。

お母様は認知症だなっていう風に
だんだん表れた感じは

どんな事から?
一番最初は あの…

キャッシュカードが
使えなくなっちゃったんですよね。

暗証番号が
わからなくなっちゃって。

何枚か持ってますよね。

それで 例えば

銀行とか郵便局とか行くたびに
わかんなくなっちゃって

作り直しが何度もあって。

その辺から あれ?
おかしくなってきたかな? って

思うようになりました。

そのうちに あの…

「私 15の時から
女優をやってるの」って

おっしゃったって あなた
おっしゃられましたよね。

はい そうなんですよね。

あなた…
本当に あなたは15からなの?

そうなんですよ。
私は15の時にデビューしたので

多分 いろんな取材とか
そういう時には

きっと 15の時から
女優をやってるっていう風に

言ってたのかなと思うんですけど。

ただ 私は 20代ぐらいから

「女優」っていう言葉が
照れくさくて なんだか。

それで 自分の事を
「俳優」って言うように

なってたんですね。

だから…

「私 15の時から
女優やってるの」っていう言葉は

やっぱり
母の言葉なんじゃないかなと…

母が思っていた言葉なんじゃ
ないかなと思うんですよね。

あなたは 「俳優」という風に
おっしゃってた…。

そうなんですよね。
なるほどね。

でも
そのお母様のおっしゃり方が

昔のあなたと
そっくりだったんですって?

そうなんですよね。
それで その えっと…

母に面会に行くたびに
「今日は何したの?」って聞くと

「うん? 取材」とかね

そういう ぶっきらぼうな
言い方なんですよ。

だから 私が 多分 出かける時に
母が来てくれて

その時に 「今日は何?
なんのお仕事?」って言ったら

「うん? 取材」とかって 絶対に
言ってたんだなというのを

その時に知りました。
ご自分が ちょっと

ぶっきらぼうだったな
っていう事を反省なすった?

反省しました。
本当に 母に対しては

もう 当たり前のように
甘えてたと思うんですよね。

そうですよね。
そりゃそうだと思いますよ

みんな どの方もね。

だから そういう言い方を
してたんだろうなと

思うんですけど。
でも そのとおりに お母様は…

それがイヤだとか
なんとかじゃなくて

そのとおりに
「うん? 取材」っていう風にね

あなたと同じように
おっしゃったっていうのは

まあ 面白いって言っちゃ
失礼ですけども

不思議ですよね やっぱりね。
そうですね。 そうなんですね。

それで お母様が
施設にお入りになる時に

あなたが写真を
こう 片付けていらしたら

いろいろ 写真があって…。
そうですね。

段ボールに
2箱分あったんですけど

もう それは どうしようって…。

分量が多いので
どうやって取っておこうかな…

でも 取っておいても
見ないかもしれないと思って。

で 本当に いい写真を厳選して

両親の… 父の分 母の分。

で それを
1冊のアルバムを買ってきて

そこに入るだけを
並べようと思って。

それで編集するみたいに…。

あっ これは
父と母の結婚式の写真…。

いいわね!
すごい格好いいんですよね。

昔の写真って
なんか 味がありますよね。

これを一番最初に持ってきて
それから

父と母が子どもの時からのを
順番に並べていったんですね。

で その1冊の本… 本というか…。
アルバム?

アルバムを見た時に

なんか 大河ドラマを見るような

人生を バーッて

俯瞰で見るような気がして。

そしたら 自分の知らない

父と母の
青春のひとコマであったり…。

それが なんか…
本当に この人たちは

一生懸命 生きてきたんだ
っていう風に感じて

その1冊のアルバムの中に

人生が
パッと入ったような気がして。

すごく良かったですし

それを… 私が初めて
客観的に見れたんですね 親を。

ええ そうね。
はい。

その 客観的に見れたっていう事が
大事かなと思って。

だから
映画を作ろうと思ったのも…。

お母様は昭和4年生まれで
戦争中だから

やりたい事が なんにも
やれなかった時代ですよね。

そうですね はい。

学徒動員で軍事工場に行ってて。

それで ゼロ戦のボルトを
締めてたっていう話は

聞いた事があるんですよ。
うん?

ゼロ戦を造る所で

ボルトを締める作業をしてた
っていう…。

やらせられましたよね みんなね。

その時は 張り切ってた
っていう言い方をしてましたね。

若いし まだ15~16歳だと
思うんですけど。

で 自分たちも何かの役に立ってる
っていう感じで

一生懸命
やってたらしいんですけど

そういう事もあって

自分がやりたい事は
全くできない時代だったので。

そうですよね。
はい。

「あなた方は やりなさい」
っていう風に。

あなたがお子さんの時は お母様
とっても働いていらっしゃって

3つも お仕事 掛け持ちで
やってらしたんですって?

はい パートタイムでね。
そうですって…。

どんなパートを? 例えば。

えっとですね… お掃除とか

それが終わったら
うなぎ屋さんで働いて

そのあと
また 何かやって みたいな…。

子どもが帰ってくるまでに…。

全部 済ませちゃうみたいな。
はい そうですね。

でも あなたには やらせたい事は
なんでもやらせてくださったの?

そうなんですね。

「バレエやりたい」って言ったら
「どうぞ」っていう感じだし

オルガン… 「ピアノやりたい」って
言ったんだけど

最初は…
オルガンになっちゃったのかな。

とにかく
なんでもやらせてくれましたね。

「やりたい事やりなさい」って。
でも それは すごいですね。

それでも ご両親は いつも
幸せそうだったんですって?

そうですね。

そうですね…
一生懸命だったんでしょうね

生きる事にね。
そうですよね。

でも 確かに
昭和4年生まれのお母様は

本当に やりたい事っていうものも
本当に おできにならずに

一番大変な時期を…

大人に だんだんなっていく
っていう事だったんだと

思うんですよね
私 自分の事 考えても。

はい。

まあ まだ 子どもでは
あったんですけど

やっぱり いろんな事を

大人と同じように
考えてますもんね そういう時ね。

そうですね。
うん。

だから お母様が

そういう時に どんな事を
考えてらしたのかなと思うとね。

そうですね。

だから あの…
例えば お遊戯会とか

そういうところで
踊ったりするのも大好きで。

姉に… 母の姉に
数年前に聞いたんですけど

「ヒサちゃんはね 踊るの大好きで
いつも踊ってたよ」とかって。

ああ そう?
聞いてビックリしたんですけど。

だから そういうものが 自分にも

引き継がれているのかなとは
思うんですけどね。

でも
あなたのお子さんが小さい時は

お母様 随分
手伝ってくださったんですってね。

そうですね はい。

3人いましたので

もう大変だったと
思いますけど

よく見てくれました。

随分 みんな 大きくなったでしょ
この子たち。

はい もう大人です。

長男 今 いくつぐらい?

長男は34ですね。

大きい。
はい。 もう… はい。

じゃあ 他の女の子たちも
随分 大きくなった…?

そうですね。 なりました。

次女の石橋静河さんは

今 女優さんとして

活躍して
らっしゃるんですってね。

はい そうです。
あら 可愛い。

現在放送中の
大河ドラマにも

出てらっしゃる?
はい そうですね。

静御前の役を
やらせていただいて。

ああ そう。
はい。

あなたは
朝ドラに出てらしたんだけど。

そういう
お嬢さんのやつをご覧になる…

ものをご覧になる時は
どんな感じ?

そうですね
割とクールに見てます 私は。

クールに? すごい。
見てます。 いい時は

「すごい良かったよ」って
言いますし。

でも たまに
リハーサル室なんかで

隣同士になる事が
あるんですって…?

そうなんですよ。 今回 初めて

娘は大河ドラマに出てて
私は朝ドラに出ていて

隣のリハーサル室で リハーサルを
やってたっていうのが

1回だけあったんですね。

なんか 不思議でしたね。

同じ仕事をしてるんだな
っていう風に

つくづく思いました。
ちょっと会話はできたの?

そうです できました。
そう。

あなたは 最近…
話 違うんですけど

ピアノを
お始めになったんですって?

そうなんです。
『百花』という映画で

ピアノ教師の役だったんですね。
そうなの。

それで そのために
ピアノの練習を始めて

映画の中でも弾いてるんですけど。

そのお稽古に

ずっと グランドピアノを
弾かせてくれて。

グランドピアノを弾いたのが
初めてだったんですね。

アップライトも
ほとんど弾いた事がなくて。

練習してると ピアノの音の
気持ち良さっていうんですかね

それが あの…

全身が その音に包まれる…

いい音を出した時は
そういう いい音に包まれるので

なんか
すごく好きになっちゃって

撮影が終わってからも
続けているんです 今。

そう。 習ってらっしゃるの?
はい。

すごい。

でも 誰かのためにとか
発表会に出るとか

コンクールに出るとか
っていう事はないので

自分のためだけですけどね。
自分が上手になったらいいな

この曲 弾けるようになったら
うれしいなって思いながら

コツコツ練習してるんですけど。

野際陽子さんね

五百円玉が出た時に
それ ずっと集めてね

それで 全部ではないけど
随分集めたところで

グランドピアノ買ったのよ。
そうなんですか!

そうなんですか。
彼女の家に行くとね

ぎゅうぎゅう詰めにね
グランドピアノが入ってるの。

「すごいのね」っつったら
「そうよ あなた

五百円玉 集めて
買ったんだもの」って。

全部ではない…
少し足したんですって。

でも 買えたんですって。
そう。 いいですよね。

ねえ。
なんか すごくうれしいですね 今。

そうね。 だから ちょっとでも
ピアノなんか弾けたりすれば

そりゃね。
そうですね。

もう 本当に

昔の バッハとかシューマンとか
ドビュッシーとか

そういう
本当に優れた天才の方が

聴き取った音ですよね きっと。
そうです。

聴き取った音を
譜面に残してくれてる。

それを また 譜面から読んで
音にして

聴き取った音に近付けるように
練習していくっていうのがね…。

あの なんか…

ピアノを通して 優れた人たちと
対話してるような気持ちに

なってくるんですよね。

弾けないんですけど 全然。
今 どんな曲 弾いてらっしゃる?

今は ドビュッシーの
『月の光』っていうのが弾けたら

うれしいなと思って

1年がかりで
覚えるとこまでは覚えました。

偉い。 フフフフ…! そうですか。

それから 乗馬も
やってらっしゃるんでしょ?

乗馬もやってます はい。
すごい。

乗馬は…。 そうですね これは…。
あっ 可愛い!

これは…。
何歳から やってらしたの?

40後半です。

ああ そう。
はい。

もう 子育てが一段落した頃から
始めたんですけど。

これ 結構前ですね もう。

随分 あれね
馬 おとなしくしてますね。

そうですね はい。

乗馬は
今も やってらっしゃるの?

やってます。
すごい!

でも なんか やっぱり
大きい動物なので

そばにいると
なんか ホッとするんですよね。

ああ そう。
はい。

それで 言葉を
使わなくていいじゃないですか。

ええ。 そうそう。
やっぱり 仕事してると

人と たくさん会うので

その…
まあ 多少 疲れたりしますよね。

いろんな言葉 いろんな事が
聞こえてくるし。

そういうのを置いといて
言葉のない世界っていうか…。

馬との対話っていうのは

本当に こう
スキンシップであったりするので。

でも 乗馬大会で
優勝した事もあるんですって?

はい。
じゃあ 相当お上手なのね あなた。

いやいやいや
そんな事ないです。

レベルは そんな…
下の方ですけど。

でも 1位って

なかなか
取れないんですよ。

だから
すごくうれしくて。

これは
2020年ですかね。

あっ 2020年?
はい。

2020年に賞が取れた?
はい。 そうです。

でも 馬って可愛いわよね。
可愛いですね。

なんで あんなに 人の言う事を
聞いているような顔をして…。

そうですね。
ねっ 聞いてるような顔をして…。

聞いてるような顔してるけど
言う事は聞いてくれないみたいな。

そうそう! そうね。

でも わかってるのよね。
そうですね。

でも やっぱり…

自分の出した指示を
そのとおりにやってくれると

うれしくなりますね。
そうですよね。

今 映画撮って…
あっ もうできたんで

「百の花」と書いて『百花』という
映画に出てらっしゃる。

菅田将暉さんと
やってらっしゃるんですけど。

そこでお母さんを…。
そうです。 はい。

私は 認知症が始まって
いろんな事を忘れていくんですね。

ピアノ教師なんですけど。

で 息子である菅田さんが
お母さんの…

お母さんの面倒を
見ていくんですけど。

母は忘れていき

息子は
少しずつ思い出していく…。

過去にあった事とかを
思い出していって

母と息子の気持ちが

最後に
カチッとなっていくっていう…。

あっ いいです… ねえ 今どき…。

ちょっと見せて…
ちょっと見せていただきます。

(葛西百合子)
こんなにキレイなのに

いつか忘れちゃうのかしら…。
(佐藤雅之)葛西百合子さんは

あくまで あなたのお母さんです。
(葛西 泉)お母さん?

(泉)《また 母が遠くへ
行ってしまいそうな気がした》

〈記憶を失っていく母と

思い出を取り戻していく息子〉

(泉)お母さん 帰ってこない…。

〈2人には 空白の1年があった〉

(百合子)半分の花火が見たいの…。

胸が痛く…。
あれだけで…

あれだけで
なんかね 泣きそうになっちゃう。

なんかね。

思い出しちゃうんですよね
撮影してた時の事を。

ああ そう。
はい。

でも 初めは 自分に
あの役できるかどうかって

お悩みになったんですって?
そうですね。

若い頃… 20年ぐらい前の
映像があるんですけど

それを 私は

「1人の俳優がやった方が
面白いと思う」って

言ったんですけど…

言ったんですけど
自分ができるとは思わなくて。

若い時の役をね。
そうです。

他の俳優さんを立てる
っていう事もあるんですけど。

いいメイクさんとか

スタッフが すごく
いろいろ工夫してくれて

なんとか成立するように
してくれたんですけど。

20歳ぐらいの役?
はい。

あの男の子は
愛斗君っていうんですけど

菅田さんの
子どもの頃の映像ですね。

でも それ撮ってらっしゃる時に
お母様の事を思う事ありました?

そうですね ちょうど 撮影の…

あと1週間ぐらいで終わる
っていう時に

母が亡くなったんですね。

その時 亡くなったの?
はい そうなんです。

それで
結構ショックありましたけど。

でも
母が すごいなっていうのはね…。

みんながいる時だったんです。

それから 1日も撮影を休まないで
済んだんですよ。

ちょうど お休みの日に

あの… うまく
スケジュールを組めたので。

さすが 女優さんの母を
40年もやってきた人だな。

誰にも迷惑をかけずに
ピタッという…

スケジュールに
収めてくれたんだなと思いました。

なるほどね。

でも そのお母様が あの…

ご自分は女優だったんだって

最後まで
思ってらしたみたいなんでしょ?

そうですね。 そうなんですよ。
最後に会話が成立した時にね

「今日は何してたの?」
って言ったら

「うん? NHK」って
言ったんですよ。

ハハハ…! 本当?
それで 「何やってたの?」って…。

「うん? 長くないやつ」って
言うから

多分 単発っていう意味だと
思うんですけど。

「ああ そう。 今日は それで
どんなだったの?」って聞いたら

「うん? あのね お話だけ。
最初の日だから」って言って。

多分 それ 顔合わせの事だと
思うんですけど。

本当に そう言ったんですよ。

だから もう みんなで なんか…

もう 母の世界… 頭の中では

本当に生きてるんだな
そういう風にって思いました。

でも お母様は

おばあちゃんとかなんとかって
みんなに呼ばれてらしたんだけど

そういう時は
振り向かないんだけど

お名前を呼ぶと
振り向いたんですって?

そうなんです。
だからね やっぱり

名前って大事だなって思うし

生まれた時から
呼ばれてるわけでしょ

名前付けてもらって。
だから 母だったら

「ヒサ子」っていう名前
付けてもらって

「ヒサちゃん」とか ずっと
言われて育つわけですよね。

お母さんとか
おばあちゃんとかっていうのは

立場なんですよね。
そうよね。

だから 忘れちゃうんですよね
それは きっと。

だから 自分が呼ばれてるっていう
感じがしないと思うんですよ。

名字もね。 だけど 名前を呼ぶと
「えっ?」って すぐ向くから。

その お病気の時でもね。
はい。

だから なんか どんな時も

名前で呼んであげた方が
いいんじゃないかなって…。

でも すごいわね。
どんな時でも…

おばあちゃんとかなんとかって
言うと 振り向かなくても

ヒサ子さんって言うと

「えっ?」って
振り向くっていうのがね。

「私はヒサ子です」って。
はい。

みんな そうじゃないかと
思うんですよね。

多分ね。
じゃあ もしかしたら 今…。

その方がうれしいのかもしれない。
そう思います。

あなたは どんな人生を
歩んでいきたいですか?

これからですか?

わかんないな…。
ハハハハ…!

『徹子の部屋』は

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