出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 伊東美咲[字]
~ハワイへ移住!3児の子育てに奮闘する日々を~伊東美咲さんが今日のゲストです。
◇ゲスト
去年、12年ぶりのテレビ出演が話題になった伊東美咲さんが『徹子の部屋』初登場!
◇番組内容
かつてCMの年間起用社数で1位となるなど、人気絶頂の中で突然休業した伊東さん。現在では3児を育てるお母さんだが、身長171センチのその美しさは今も健在。ハワイでの子育て生活など、私生活を明かす。また、故郷・福島での祖父母との想い出など、自身のルーツやデビューまでの意外な遍歴を語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- 随分
- 奇麗
- 上手
- 食事
- 福島
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(黒柳)年間CM本数1位など
人気絶頂の中 出産なさいました。
突如 ハワイに移住して
話題になった
女優の伊東美咲さんです。
どうぞ こちら おいでください。
本当に お背が高くて…
171センチだそうですけども
それより もっと高く見えます。
よろしくお願いします。
ハワイで3人の子育てに奮闘中。
どうぞ お座りください。 すてき。
どうも。 よろしくお願い致します。
よろしくお願い致します。
やっぱり 171センチっていうと
随分 背高いのね。
そうですね。 もう 小学生時代から
162ありまして
本当に クラスで一番というか
学年で一番高いぐらい
小学6年生でありました。
160ぐらいの人って
割といるかと思うけど
170センチってなると
随分 際だって大きく見えますね
なんかね。
そうですね。
外国の人ぐらい…。
ありがとうございます。
でも お奇麗で
何よりでございます。
でも おじい様とか お父様とか
弟さんとか
みんな 背高いんですって?
おたくは。
そうなんです。
それぞれ 175から180ありまして。
あっ そう。
はい。
ですので 家系といいますか…。
皆さん 大きい…。
そうですね。
あなた自身は お子さん
3人いらっしゃるんですって?
そうなんです。
すごい。 どのぐらいの大きさ?
長女はですね もう 今 小学…
日本でいうと
小学6年生なんですが
アメリカでいいますと
中学2年生になりまして。
ハワイにいらっしゃるからね。
そうなんです。
今 身長でいいますと
やはり 160超えていまして。
じゃあ 大きい。
はい。
洋服ですとか 靴のサイズなんかも
私と ほぼ同じでして。
あっ そう。
一緒に共有させてもらっています。
いいわね
小学生の子とね 共有できて。
そして その次が男の子で7歳。
そうですね。
それで 3歳の女の子と。
はい。
ちょっと まだ7歳 3歳
手かかりますかね?
そうですね。
やはり 中学生と小学生と
幼稚園っていう事ですから
やはり 朝なんかは
特に忙しくしておりますね。
でも 5年前に 突然
ハワイに移住なすったっていう…
そのお話は あとで伺うとしても。
かつて 年間のCM本数
第1位という事で…。
これ 2006年の事でございますが。
まあ 当時の写真を拝見…
お奇麗なんですよ。
数々の映画 ドラマにも
ご出演になって。
『電車男』とか『ごくせん』
それから 同郷の先輩の
西田敏行さんとは
『釣りバカ日誌』をはじめ
何度も共演していらっしゃる。
西田敏行さんと
仲がいいんですって?
そうなんです。
やはり 西田さんのご出身が
福島という事で 同郷ですから
何度か映画ですとか
ドラマで ご一緒させて
頂いたんですけれども
本当に よくして頂きまして。
その当時ですけれども
娘のように可愛がって頂きました。
でも あなた 随分 背高いね
こうやって見るとね。
でも 西田さんと一緒にいると
方言が出たりするんですって?
そうですね。
西田さんも こう 作品の中で
アドリブでも… 本番でも 方言を
ちょっと 使ったりされますので
ちょっと ドキッとしたりする事も
あるんですけれども
いつも ムードメーカーで 現場を
盛り上げてくださったりですとか。
あと 撮影が終わりますと
必ず お声がけを頂いて
食事に誘ってくれるんですね。
あっ そうなの。
本当に スタッフ 20~30人
勢ぞろいして
いつも 焼き肉屋さんに
よく行っていましたね その当時。
そうですか。 なんか 西田さんに
教わった事ってあります?
本当に たくさんの事を教わって
今 その当時の事を
振り返りますと
西田さんが手を握ってくださって
「美咲ちゃん わかるかな?」って。
「このぬくもりで
芝居するんだよ」っていう
本当に すばらしいお言葉を
頂いた事が
今でも心に残っていますね。
そう。
特に西田さんの手だと 分厚くて
温かいっていう感じしますね。
こういう 人間の体温を
しっかり感じて
相手と
お芝居するんだよっていう事を
教えてくださったんですね。
だから 私にとっては 本当に
芸能界の父のような存在ですね。
でも 西田さんとの共演は
ご家族も お喜びでしょ?
そうすると。
そうですね。
本当に 福島を代表するというか
日本を代表する
すばらしい俳優さんですから
ご一緒できるだけでも
ありがたい事ですけれども
本当に 家族や親族一同 喜んで
作品を見に来てくれました。
そうですね。 うれしい。
また いい方ですよね あの方。
で 面白くてね。
はい。
で 二十歳の時に
モデルにスカウトされて…
芸歴25年という事ですけども。
デビュー当時 もう
背がお高かったの? その時は。
そうですね。
もう 当時で171ありましたね。
じゃあ もう 随分大きいわね。
はい。
でも あんまり
芸能界には興味がなくて
保育士になる
おつもりだったんですって?
そうなんです。 短大で
幼児教育の資格を
取りまして
将来は幼稚園教諭…。
どこか 幼稚園に
勤める予定では
あったんですけれども
ちょうど 卒業の時期に
スカウトをされまして。
一度は お断りしたんですけれども
何度か お誘い頂いて
それで この世界に
入る事になったんですけれども。
最終的な決め手は なんでしたか?
決め手としましては
幼児教育でしたら
恐らく 福島の地元に帰る。
そして 芸能の仕事でしたら
都会に残るっていう
そういう
大きな決断だったんですけれども。
恐らく 都会っていう所に
憧れもありましたし
最初に決まったお仕事が
アサヒビールのイメージガールで
すごく大きなお仕事を
頂いたんですね。
で 1年間 キャンペーンで
全国 回るお仕事だったんですが。
そういった すごく大きな
きっかけを頂いたので
ぜひ
やってみようというふうに…。
なるほどね。
でも 高身長でいらっしゃるのは
子供の時から あなた自身は
コンプレックスだったんですって? 結構。
そうですね。 その当時 やはり
地元では
なかなか背の高い方というか
男女を比べても
私が頭一つ分 大きくて。
フフフフ…。
そうですね。 なので やはり
目立つ存在では
あったと思うんですけれども
どちらかというと 少し
コンプレックスではありましたね。
もう 165ぐらい
あったんですって? その頃。
そうなんです。
あっ そう。 そしたら
学校で一番大きかったぐらい?
そうですね。
男女比べても 私が一番高い…。
病気の男の子をおぶって
帰った事あるんですって?
そうなんです。
病気の子が…
地元の子なんですけれども。
その頃 集団登校といって
登下校は集団で…。
みんな 一緒に…。
そうなんですね。
で 熱を出した同級生がいたので
「じゃあ おぶって帰ってくれる?」
っていうふうに
先生から言われまして
それを買って出たといいますか…。
重かった?
はい。
みんなでサポートしながら…。
でも 落っことさないで
家まで連れて行って…。
そうですか。
幼少期は おじい様とおばあ様と
一緒にお住まいになって
いらしたんですって?
そうなんです。
じゃあ 随分 色んな事
教えておもらいになったでしょ?
そうですね。
本当に 祖父母は
多彩な人間でしたね。
お料理もそうなんですけれども
着付けもやっていたりですとか…。
おじい様は なんか バイクに
乗ったりした方なんですって?
そうですね。
祖父は すごく多趣味で
料理ももちろんなんですが
大型バイクも
所有していたりですとか…。
そうですね。 その頃で
すごく 私から見ると クールで
かっこいい祖父でしたね。
ええー。 いいわね。
あなたから ご覧になってね
おじい様が そんな
バイクに乗るなんて
なかなかね…。
そうです。
それで なんか 春 夏 秋 冬の
旬がわかる食事を
作ってくださったのも
おじい様?
そうですね。
両祖父母が
すごく料理が得意でして
食には 本当に恵まれましたね。
春夏秋冬
本当に 季節の食材を使って
食卓に
ズラーッと食事が並ぶんですね。
なので 本当に
なかなか 自分が 今
それだけの料理を 毎日
子供たちに出せるかっていったら
なかなか できる事ではないので。
本当に そういった食事を
作ってもらったっていう事は
私にとっても
本当に 基盤というか
財産になっていますね。
イナゴも食べたんですって?
そうなんです。
祖母が 学校帰りに
ちょっと 田んぼに行こうかって
誘ってくれて
それで 一緒に
近くに田んぼとか畑が
たくさんあるんですけど。
一緒に田んぼに行って
それで 祖母と一緒に
イナゴ捕りをして。
袋いっぱいに
イナゴを捕ってくるんですね。
それを 自宅に帰ったら すぐに
沸騰したお湯に そのまんま入れて
で 湯がいて
砂糖じょうゆで炒めて。
結構おいしい?
そうですね。
パリパリして おいしいと思う。
これは 本当に 体によくて
カルシウムだから
っていうふうに…。
もう 本当に
孫たちの健康を考えて
たくさんの食材で…。
イナゴもそうですけれども
春になると 一緒に山に登って
山菜を採ったり…。
タラの芽とかフキノトウ。
その当時で 本当に 週に1回
天ぷらが出てきたような…。
あら いいわね。
だから そういう食事が やっぱり
今も恋しくなる時があります。
私もイナゴ食べた事あります。
なんか カリカリして
おいしかった。
そうですね。
体によさそうと思いました。
なんか お母様の実家は
昔 庄屋さんだった?
そうですね。 ですので
祖母の実家の方に行きますと
本当に コイの養殖ですとか
養鶏場
あと 山があったりしまして。
本当に 幼少期から
自然に触れ合う時間が
多かったですね。
それは いい事でしたよね でもね。
そうですね。
そういうのに慣れちゃうと
今 ハワイにいらっしゃると
小さい時と同じような感じで
いいでしょうね きっと。
色んな記憶とかが
よみがえってきたりしますね。
そうですね。
それから 空気とか風とかね。
そうなんです。
ええー。 じゃあ お子さんたちも
そういう所で育っているとね…。
はい。
神田うのさんは
20年来の親友なんですって?
そうなんです。
20代の頃 ドラマで
ご一緒させて頂いてから
もう 20代 30代 そして 現在まで
本当に よくして頂いています。
なんか ウェディングドレスも…。
あら 可愛い。
あなたのウェディングドレスも
デザインして
くださったんですって?
そうなんです。 うのさんが
プロデュース デザインされた
ウェディングドレスを
結婚式で着させて頂きまして。
ちょうど教会が すごく
奥行きのある教会でしたので
後ろのデザインが すごく こう…。
後ろに垂れている部分がね。
そうなんです。 華やかなものを
うのさんから
贈って頂いたんですね。
あっ よかったわね。
奇麗ね。 すてき。
これ ハワイで結婚式なすったの?
そうなんです。
ハワイの教会で結婚致しました。
で 今は 12歳 7歳 3歳と
お子さんがいらして
みんな 5年前ぐらいから
ハワイに
移住なすったんですって?
そうです。
なんでハワイがよかったですか?
元々 ちょっと ビジネスの関係で
ハワイに行くきっかけが
あったんですけれども
子供たちも その流れで
教育移住という事で
現在 5年目に入りました。
あっ そうですか。
ハワイでの子育てのよさ
っていうのは
どういうところがいいですか?
やはり もう 日常に
自然が広がっている
というところでしょうかね。
なるほど。 ご近所付き合いが
とても親切なんですって?
そうですね。 こう…。
あれ 子供? あそこで跳ねてんの。
そうなんです。
可愛い。
本当に周りの方に助けられて…
子供たちもそうなんですが。
古き良き日本の近所付き合いと
いいますか…
今 なかなかないと
思うんですけれども。
色々とお声をかけて頂いて。
学校の帰りに こうしたビーチに
連れて行って頂いたりとか
山登りに行ったりとか。
いいわね。 フフフフ…。
本当に周りの方と
サポートし合いながら
子育てをしていく環境にいますね。
そうですか。
それと 奉仕をするという…
人に奉仕を。
奉仕の精神が根付いている。
そうですね。
ハワイに住まれている
ローカルの方々なんですけれども
仕事に行く前に 皆さん
海に入られるとか
山に登ってから仕事に行く
っていう方も多いんですね。
そこで 朝 取れた
お魚なんかを刺し身にして
で 朝
連絡がかかってくるんですね。
今日の帰りの時に
クーラーボックスを
持ってきてくれたら
刺し身を渡すからっていうふうに。
そういった学校の校庭内で
物々交換といいますか…
させて頂いています。
自然も多いのね それはね。
学校 地域をよくしよう
っていう気持ちも
みんなにある。
そうですね。
周りの方々が 学校や
本当に地域をよくするために
どういうふうに
奉仕活動をしたらいいのかとか
それを常に
皆さん 考えていらっしゃる
そういう姿勢を 結構
ハワイに住んでから
学んでおります。
いいですよね
小さい子供の時からね
そういう事を覚えていればね。
それから タロイモ畑があって
福島の自然を
思い出させてくれる。
そうですね。
タロイモ畑を見ますと
福島の実家の風情を
思い出しますね 懐かしいなって。
あっ すごい。
そうなんです。
へえー。 広々としているわね。
はい。
そう。 でも 大変ね。
子供が朝7時に登園するんで
朝5時に起きて
3人分のお弁当を作って。
そうですね。
お弁当を作ったりですとか
やはり
学校の始業時間が早いんですね。
7時から7時半までに登園をして
もう そこから
授業がスタートしますので。
すごい。
感覚的には 日本よりも
30分とか1時間くらいは
早いですね。
その代わり 早く帰ってくる?
そうなんです。
逆に終わりの時間が2時ですとか
下の3歳の子は
11時半に終わりますので
送って行ったら また すぐに
お迎えに行くような
ちょっと慌ただしい毎日では
あります。
あっ そう。 だけど まあ
あと ゆっくりできるから
子供たちにとってはね。
そうですね。
放課後の楽しみというのが
増えますので。
そうよね。
また こう 自然と触れ合う時間が
増えますね。
なるほどね。
子供たちの体には…
その時 運動できるしね。
はい。
よくできているんだと思います。
お嬢さんの… 何番目のお嬢さん?
絵が とっても上手な
お嬢さんが…。
長女ですか? はい。
幼稚園の時に
お描きになった絵が…
すごく いい絵があるんですって?
そうなんです。
長女が通っていた幼稚園が
芸術に すごく力を入れる
幼稚園でして。
すごいわね これ。
頼朝か誰か
そういう時代物?
菅原道真公の絵なんですが
天神像の絵を卒業の記念に
描かせて頂きまして。
ええー。 よく こんな事
描けるわね
でもね
なんかを見たにしても。
そうですね。
そのアートのクラスが…
すごく力を入れている
幼稚園でしたので
ありがたい事に
東京藝大の博士から
直接 ご教示頂くレッスンが
あったんですね。
そこで
アートに目覚めまして
模写なんですけれども
させて頂いて。
これは 現在
北野天満宮さんに
ご奉納させて
頂いております。
随分 名誉でしたね
それは。
あっ そうなの。
でも 上手ですもんね。
幼稚園って
書いてあるけれども。
そうですね。
幼稚園の卒業の記念に
描かせて頂きました。
随分 お上手ね。
木にしてもね。
そうですね。
こういう日本画も
そうですけれども…。
そうですね。 様々な絵を
幼稚園で模写させて頂いて…。
すごい上手。
そうです。
あっ そう…!
これは どなたの事を描いたの?
これは 私の誕生日に
やはり 好きで
絵を贈ってくれるんですけれども。
私のイメージだそうです。
でも あなたみたいね ちょっとね。
似てる。 フフフフ…。
ありがとうございます。
このまま ずっとね 上手なまんま
いくといいですよね。
で 今日はですね ちょっと
絵をお持ちさせて頂きましたので
1点 ちょっと
お見せしたいんですけれども
よろしいでしょうか?
もちろん いいです。
あら。 私?
徹子さんの肖像画を
描かせて頂きました。
そのお嬢さんが
描いてくださったの?
そうなんです。
今 何年生?
今 日本でいうと6年生…
12歳ですね。
でも 可愛いわね すごく。
この番組に出演が決まった
という話を娘に伝えましたら
ぜひとも 徹子さんの肖像画を
描きたいって…。
あら すごく可愛い。
そっくり。 ねえ。
そう思います。
あどけない感じもしていて
なんかね すごく可愛い。
でも 上手ね。
私の感じが
頭の毛なんかね よく出ているし
なんとなく
生き生きしていますよね。
そうですね。
どうも ありがとうございます。
お嬢さんに
よろしくおっしゃってください。
とても喜んでいたって。
すごく可愛いと思います。
とっても喜んでいたと
お嬢さんに お伝えください。
はい。 ありがとうございます。
あなたがお撮りになった
色んな写真
お持ち頂いたんですけど。
見せて頂きます。
はい。
あら。 なんか… 海? これ。
これはですね プルメリアのお花と
あと 青空ですね。
空?
はい。
ええー。 奇麗。
日常が自然にあふれていまして
どこを撮っても
本当に 絵になるといいますか…。
あら 奇麗。 ハワイ。
なかなか 私も 20代の頃
忙しくしていた時期は
なかなか 自然と
触れ合う機会っていうのが
本当に少なかったものですから
今 こうして
自然に触れ合っている時間
っていうのは
私の中でも 本当に
癒やしの時間ですね。
あれ… 下の方にいるのは
あれ アザラシ?
そうなんです。
野生のアザラシなんかも
本当に ビーチに行くと
横たわっていたりしまして。
あっ 本当。 びっくりしちゃうわね
こんな大きいの。
そうなんです。
へえー。
ああいうの ひなたぼっこして
暖まっているんですかね。
そうなんですね。
ふーん。
これ クジャクですか?
そうなんです。
また 動物園に行きましても
こうやって クジャクですとか
本当に
放して飼われているというか…。
ふーん。
やっぱりね 自然がね…
空気がいいから。
そうなんです。 動物とかと
触れ合う機会も多いので
本当に 子育てには
すばらしい環境だなと思いますね。
うわー 奇麗。
夕焼け?
そうなんです。
学校帰りに
ビーチに寄る事もありますので
子供たちと お友達と
みんなで走り回って。
夜景が… 沈んだら じゃあ
また明日っていう感じで。
いいわね。
はい。
あなたは いつも 10年後の姿を
思い浮かべて
いらっしゃるんですって?
そうですね。 5年 10年スパンで
その未来を考えて
行動しようというふうに
思っていまして。
20代は芸能の仕事をさせて頂いて
30代は出産 子育ての時代で
40代は
じゃあ 臨床心理士を目指して
人様のために 何か奉仕をしたい。
ここから その先っていうふうに
つながるんですけれども。
徹子さんのように 長らく
ユニセフの親善大使という事で
30年以上も
やられているというふうに
認識しているんですけれども。
本当に そういった
すばらしいご功績を
私たちの世代が
引き継ぐといいますか
受け継いで
そして 若い世代たちにも
伝承していかなきゃ
いけない時期かな
というふうにも思います。
それは
いい考えだと思いますよね。
みんなが そうやっていけばね…。
そうです。
そうですか。 ご自身の
10年後の目標っていうのは
なんかあります?
10年後…。
少し 子育ても
落ち着いていますので…。
そうだわね。
そうですね。
自分の時間というものも 今よりも
取れるようになりますから
臨床心理士として 子供たちとか
青少年の心のケア
っていうところにも
きっと携わるんじゃないかな
というふうにも思いますし…。
なるほどね。
ハワイでやっていらっしゃるのは
英語でやっていらっしゃるの?
日本語になります。
日本語でやっていらっしゃるの。
そうですか。
まあね ハワイは 日本の方も
たくさんいらっしゃるし。
日本でおやりになっても
いい事だしね それはね。
そうですか。
とにかく そういうふうに
人にサポートして生きる仕事が
したいというふうに
思っていらっしゃる。
はい。
女優の仕事もそうですけれども
社会貢献というところにも…。
お子さんに どうぞ よろしく。
それから
私の絵を描いてくださった
お嬢さんにも
よろしくおっしゃってください。
ありがとうございます。
どうも ありがとうございました。
『徹子の部屋』は
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