出典:EPGの番組情報

所さん!事件ですよ「78年前のフィルム 映っていたのは…」[字]

戦後77年。戦争体験者が年々少なくなるなか悲惨な記憶をどう後世につないでいくのか?50万人近くが命を落とした本土空襲の裏で行われていた「ある実験」を通じて考える

番組内容
78年前に作られた1本のフィルムの存在が去年、明らかになった。31分間のモノクロ映像には、植物やゴムを燃やし、大量の煙を発生させる様子が記録されている。製作したのは「第八陸軍技術研究所」。専門家によれば、これは太平洋戦争中に重要拠点を煙幕で覆うことでB29の空襲から守ろうとした実験映像だという。50万人近くが命を落とした本土空襲の裏で何が起きていたのか?日米それぞれで行われた「実験」を通じて考える
出演者
【司会】所ジョージ,木村佳乃,【出演】ryuchell,東京大学史学編纂所教授…本郷和人,ホルコムジャック和馬,【語り】吉田鋼太郎

ジャンル :
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

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  14. 本郷
  15. 佳乃
  16. 投下
  17. 日本家屋
  18. ryuchell
  19. アメリカ
  20. お願い

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

♬~

何? これ。

こちらは 去年 その存在が
明らかになった一本のフィルム。

その名は…

「要地遮蔽」?

煙 出したいんだ…。

31分間の映像には
さまざまな素材を燃やし

大量の煙を発生させる様子が

克明に記録されている。

すごい黒煙。

フィルムを製作したのは

「第八陸軍技術研究所」という機関。

どうやら
太平洋戦争時に

日本陸軍が行った
実験のようだが

一体 何なのか?

真相を探るため 訪ねたのは

日本陸軍と海軍の資料を
保管・公開する防衛省の研究機関。

おはようございます。
どうも よろしくお願いします。

担当者に映像を見てもらう。

(取材者)煙幕?
はい。

ほう…。
なるほど 煙で。

重要拠点を守るには
どんな煙が有効か。

それを探るために
実験は行われたという。

こちらの研究機関には 実験に関する
詳細な資料が残されていた。

資料には 昭和19年6月に

川崎市にある軍需工場で

煙幕実験が行われたと記されている。

昭和16年 真珠湾攻撃から始まった
太平洋戦争。

当初は 日本の優勢が続いた。

しかし…。

その後 日本軍は 各地で敗北を重ね

昭和19年7月には

サイパン島が連合軍に占領された。

そうした状況下で行われたのが

川崎の軍需工場での
煙幕実験だった。

川崎のコンビナート地帯ですので
非常に重要な場所になるんですね。

実験から1年後の昭和20年7月25日。

川崎の軍需工場が攻撃された。

このとき 工場を守るため
煙は たかれたのか?

(木村)あっ そうなんですか。

(木村)なるほど。

全然 効果は期待できないです。

戦況の悪化とともに始まった実験
要地遮蔽。

しかし この原始的な手法は
B29の攻撃の前には無力だった。

それが 事の真相のようだ。

えっ? フィルムを
保管してらっしゃったんですか?

取材の終わり

長年にわたり 要地遮蔽のフィルムを
保管していたお宅で

話を聞けることになった。

(チャイム)

こんにちは。
こんにちは。 どうも はじめまして。

よろしくお願いします。

(取材者)こちらが…。
はい。

これ 父の遺影ですけれども。

フィルムを保管していたのは 父親の…

7年前 95歳で亡くなった。

この年だけ
12月卒業だったんですよね。

戦争のあれで。
(取材者)「帝国大学工学部」。

かなりのエリート…。
工業化学ですね 主に 専門は。

(取材者)「陸軍第八技術研究所を
命ぜられる」って書いてあります。

記録によると 精一さんは

陸軍兵技中尉として

煙幕実験に参加していた。

そこから先…

フィルムが見つかったのは
父・精一さんが まだ元気なころ。

部屋の片づけをした際に
押し入れから出てきたという。

(取材者)一度 聞かれたんですか?
ええ。

で 聞いたら…

結局 父・精一さんは

フィルムの内容を
生涯明かさず この世を去った。

父の死後 初めて
フィルムを見たという娘夫婦は…。

いやあ… 日本軍がここまで
せっぱ詰まってたんかな…。

戦後 長きにわたり
沈黙を守り続けてきた

一本のフィルム。

戦争体験者が 年々 少なくなる中

二度と過ちを繰り返してはならない
というメッセージを

私たちに届けるため

再び 姿を現したのかもしれない。

亡くなるまで 実験について
何も打ち明けなかった

田野岡さんの気持ちとは

どのようなものだったのでしょうか?

今夜は 50万人近くが命を奪われた…

所さん! 事件ですよ。

すごいフィルムが出てきましたね。
びっくりしましたね。

あそこまで
せっぱ詰まってたんですね。 本当ですね。

空襲から身を守るために

煙で隠したっていう。
本当ですよね。

ちょっと びっくりしました。
まさか 空襲を避けるために

煙で視界を悪くする…。

そうだね。

さあ 今日も専門家の皆さんに
お集まりいただきました。

よろしくお願いいたします。
(木村)よろしくお願いします。

ryuchellさん…

でも それって やっぱり…

(ryuchell)沖縄にいたとき
小学校のときとかに

ひめゆり学徒隊の方が…

戦争の悲惨な体験をしてきた方々の
お話を聞く機会が

すごく多かったんですよね。
なので しっかり…

…と 改めて思いましたね。

平和学習って 確かに
そういうことだよね。 本当ですね。

今 平和だから 何も 今 戦争の話
しなくていいじゃんなんて

なっちゃうじゃん。
でも 平和を維持するのには

一応 考えないとねっていうのは
あるからね 考える時間は必要だよね。

(本郷)本当に 今ね ryuchellさんが
言ったとおりだと思うんですよ。

近現代史の専門家と話してると

どういうわけか…

そうなんですか。
(本郷)ええ。 それってね

どっちかっていうと…

(本郷)例えばですね 本当に…
レイテ島っていう所に

8万4, 000人っていう兵隊さんが
送られていて

そのほとんどが
実は 亡くなっているんです。

(本郷)そういう きちんとした研究が
進んでないっていうのが現状です。

これは…

それが 日本には 残念ながら
ないのかなっていうとこですね。

戦争の話っていうと
何か 人間の残虐性とか

何か そういうもののほうが出てくるんで
あんまり話さないほうがいいよって

何か こう なっちゃうんじゃない?
う~ん… なるほど。

さあ 所さん 佳乃さん。
話は まだ 終わりじゃありません。

煙を使って
空襲から重要拠点を守る研究が

日本で行われていたのと ほぼ同時期に

アメリカでも 空襲に関して

ある研究が行われていました。

あら 何でしょう?
(木村)何でしょう?

所さん! 事件ですよ。

ディレクターが向かったのは
米軍岩国基地がある山口県。

(取材者)ごめんください。
はい どうぞ。

よろしくお願いします。

原爆や本土空襲について
長年研究している…

アメリカでの研究とは
何だったのか?

こういう写真があるんです。

(取材者)これは… 日本家屋みたいな。

そうですね ええ。

写っているのは日本家屋。

しかし よく見ると 作業員が
日本人のようには見えないが…。

聞けば これは アメリカ ユタ州の

グレートソルトレイク砂漠につくられた
実験場。

1943年 内部まで精密に再現された
日本家屋が 突如 誕生したという。

一体 なぜ?

これは アメリカ本国の実験場で…

シミュレーションをするんですね。

(取材者)焼夷弾の投下を
シミュレーション…。 はい。

焼夷弾とは 家屋を焼き払うことに
重きを置いた爆弾。

爆発で攻撃目標を破壊するものとは
異なる。

これは 日本家屋に
焼夷弾を落とす実験映像。

(木村)木造ですからね すぐ…。

無数の小さな炎が上がり

やがて
大きな炎となって家を焼き尽くした。

焼夷弾を使う
一つの大きな目的っていうのが…

工藤さんによれば アメリカ軍は
日本を空襲するにあたり

新しい焼夷弾の開発に
取り組んでいたという。

焼夷弾っていうのは
イメージとしては

斜めに入ってくるんですよね。

屋根にたどりついたあとは

この屋根は貫通するけども

もう…

できるだけ
発見されにくい所にとどまる。

そうすると 火が回る
ということになるわけですね。

(木村)嫌な実験。

複数の異なる焼夷弾を投下させ
狙いどおり

屋根裏 もしくは 2階でとどまる
焼夷弾を探ろうとした。

その結果…。

これは もちろん
ミニチュアなんですけども。

爆撃の際には このM69を

上下19本ずつ 計38本 束ね

鉄の容器に入れて投下したという。

(木村)
へえ~ こんなになってる…。

下降しながら 斜めに入ってきて
真上に来たら こういうふうに…。

上空で鉄の容器が外れると

38本のM69が無差別に降り注いだ。

さらに…。

中の薬剤も…

それが この粘着性の高い
ゼリー状の焼夷剤。

爆発すると この焼夷剤に
火がつき 飛び散る。

すると…。

わざわざ 日本家屋を建設して行った
実験の結果

日本の街を焼き尽くす焼夷弾
M69は選ばれた。

サイパン島の基地から
日本へ空爆に向かう

B29の搭乗兵たちに

アメリカ陸軍航空軍の司令官は
次のように語った。

こうして 終戦までの間に

数え切れないほどの焼夷弾が
投下され

50万人近くが犠牲になった。

(木村)嫌だ 戦争って…。

空襲で 大勢が
犠牲になった背景には

日本側の事情もあると
語る人物もいる。

ここか。

訪ねたのは
大阪にある弁護士事務所。

失礼します。 すいません
今日はお世話になります。

どうも お待ちしておりました。

昭和20年の大阪空襲に関連した
裁判を担当し

空襲被害に関する研究をしている…

犠牲者が増えた
日本側の事情とは 一体?

(取材者)「防空法」?
そうです。

こちらは 昭和17年に発行された
空襲されたときの手引書。

棒と縄を組み合わせた
「火叩き」の作り方や…。

(木村)ちょっと
こんなんで さっきの…。

ぬれたむしろの かぶせ方など

市民ができる消火方法が
紹介されている。

さらに

当時の新聞には まるで 焼夷弾が

危険ではないかのような記述まで。

これ 見てください。
「手袋の威力」。

「焼夷弾も熱くない」。
手袋を使えば 安全 安心ですよと。

しかし 空襲の際 市民は
本当に 防空法に従ったのか?

まさに この…

こちらは 昭和20年7月 青森市内に
米軍機から まかれたビラ。

そこには「近日中 青森を含む
いくつかの都市の中から

4つを爆撃するので 市民は
逃げるように」と書かれていた。

これを見てね うわっ 怖いと思った
青森市民の人たちは

知り合いの家とかにですね
避難していった。

それに対し 当時の青森県知事は

防空法を盾に
次のように語ったという。

「避難をした市民に断」。

「無届けで
勝手に逃げた者に対しては

食糧配給を停止するぞ」。

ということはね もう
食べていくことができない。

生きることができないわけですよね。

そして 多くの市民が街に戻った日。

青森は空襲を受け 大勢の市民が
その命を奪われた。

(玉音放送)「堪え難きを堪え
忍び難きを忍び」…。

防空法が廃止されたのは
終戦の翌年のことだった。

はあ~…。 これ でも 青森県知事だって
そのときは あれだよね

国に従ったわけだからね。
もう… そうでしょうね。

だから
思うのは あれですね 戦争も何も…

(木村)そうですね。

そうすると 暮らしにくくなってくじゃん。

これも同じような感じだよね。
そうですね。

所さん 佳乃さん。
VTRにありました防空法に関して

少し 補足いたします。
(木村)ねえ 防空法なんて…。

公布されたのは昭和12年。

空襲の際の被害を軽減することが
目的でした。

当初は 夜間空襲の際に
攻撃目標とならないように

照明の使用を制限する「灯火管制」や…。

(木村)電気消してね。
そうですね これも…

黒い布を巻いたりしますよね。

大規模な事業者に対しては
消火訓練への参加を

義務づけることなどが
定められていました。

それが 昭和16年に改正されます。

新たに加えられたのが 灯火管制の間は

退去 すなわち 避難の 制限または禁止。

そして 消火活動の義務化などが
加えられたんです。

専門家によると これらは

小規模の空襲に対しては
効果を発揮したものの

戦争末期の大規模な無差別爆撃に対しては
結果として

犠牲者を増やすことにつながったとも
考えられると指摘しています。

なるほど。
あれでしょ…。 国民のためのじゃなく

勝つためのとか。
勝つためにね そうですね。

所さん 佳乃さん。
本当に ひでえな これ。

一般市民の犠牲が出ると知っててね

あんな研究をしていた米軍も またひどい。

それから
日本の政府が方針を変えなかったこと。

それも 本当に ひどい話ですね。

でも やっぱり…

もしかしたら 今のままの
世の中だったら…

本当だよね。 だから…

そうですね。

それこそ 僕も 慰霊の日 6月23日に

毎年 SNSで発信をしてるんですけど

やっぱり 反応してくれる方
反響を頂くのは やっぱ

平和について関心がある
若い方だけなんですよね。

それしか方法ないんじゃないかなって
思いますね。 そうだね。

さあ 本郷さんは いかがでしたか?

もうね 今日は ちょっと
ボケてる場合じゃねえなと思って

ボケは封じてますけどね。
ハハ…!

だとしたら やっぱり 報道のしかたも

ちょっと やっぱ
考えたほうがいいのかもしれない。

例えば ウクライナ戦争で

その犠牲が どんなにひどいものか
っていうことを

日本の放送局 テレビなんかは
あんまり見せないですよね。

それが 本当に正しいのかどうかね。

それこそ 子どもたちが
何か 危険だからっつって

はさみ取り上げるみたいな
そういうようなことに

なっちゃってねえかなと思って。
そりゃ そうだね。

はいはい。

アメリカが
日本向けに新たに開発した焼夷弾ですが

効果を高めるため
日本に関するさまざまな情報が

集められていたようです。

こちらは 1944年 昭和19年に

アメリカ軍が作成した機密文書。

一体 何が書かれているのか
現地スタッフに教えてもらう。

ここに 「Fire-fighting」って
項目があるんですよ。

消防についての項目が。

資料には「日本人は 火災に対する訓練が

行き届いている」「火が大きくなる前に

素早く
消すことができる」といった分析が

紹介されている。

このリポートを書いた人物の経歴が
こちら。

外資系の火災保険会社に勤務し

開戦直前までの18年間
日本に駐在していたという。

こうした意見をもとに投下される
焼夷弾の量は

計画当初の3倍以上に増やされた。

18年間暮らした国を焼き払うために
アドバイスをしなければならない。

そこにも 戦争のむごさが
あるのではないでしょうか。

そっか…。 この能力にたけてるから
っていう情報が あっち行っちゃうと

たけてるんじゃ もっと いかなきゃ
ってことになっちゃうんだね。

もう 勝つために手段を選ばないですし

そりゃ そうなりますよね
戦争が起こるとね。

所さん 佳乃さん。 また
沖縄の話になっちゃうんですけども。

(木村)あっ そうなの?
(ryuchell)はい。

その時期に…

やっぱ 東京の若い方とかは

やっぱ 僕 上京してきて
若い人同士でしゃべっても

やっぱり 戦争についての意識が
薄いなって

正直 やっぱり思ってしまって。

例えば…

本当だね。
(本郷)所さん 佳乃さん。 戦争ってね

結局 最終的に
力と力が激突するわけですけど。

私も そう思います。
だから 感情的になって

相手を たたきつぶしてやろう…。
さっきのね 誰だっけ…? 司令官が

「日本人なんか みんな たたきつぶせ」
みたいなことを言ってたじゃないですか。

だから 冷静に 良識ある判断を
一人一人が持って

それで 落としどころを見つけていく。
そうだね。

これ 何か こう… 戦争を
始める人もいるわけじゃないですか。

そういう人たちって たぶん 何かね…

甘いもの食べてね けんか腰になるやつ
いないから。

そういうふうになりそうになったときは
周りの人間が

「まあまあまあ ようかんでも食べて」と
出せって話よ。

ようかん食べて「この野郎!」なんて
言う人はいないんだから。

確かに。 気分転換って大事ですよね。
どうも ばかな話で すいません。

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