出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 美空ひばりさん生誕85周年[字]

~美空ひばりさん生誕85周年!今明かされる秘話~長男・加藤和也さん&付き人・関口範子さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
美空ひばりさん長男・加藤和也さんと、28年間ひばりさんの“付き人”をしていた関口範子さんがゲスト。今年は「美空ひばりさん生誕85周年」ということで「母・美空ひばり」の素顔や、ひばりさんの思い出を語る。
◇番組内容
実はひばりさんは晩年に、萬屋錦之介さんと自分のためにお揃いの「下駄」を作っていたそうで、最近その現物が出てきたという。その裏に隠されたひばりさんの錦之介さんに対する想いとは…。そして、今まであまり公開されたことがなかった貴重な1970年のブラジル公演の映像も披露。その生き生きとした姿に黒柳さんも感激する。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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  10. スタッフ
  11. フフフフ
  12. ブラジル
  13. 燦太
  14. 病院
  15. 一緒
  16. 今日
  17. 最後
  18. 写真
  19. 周年
  20. 大好

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

♬~「いつかは沈む 太陽だから」

♬~「涙にぬれた 恋の季節なの」

(黒柳)今年は 美空ひばりさん
生誕85周年という事で

ご長男の加藤和也さんに
来ていただきました。

ようこそ おいでくださいました。

今日は ひばりさんの
今までない貴重な映像を

お見せしたりとかですね

いろんな貴重な品々も
持ってきていただきました。

どうも
よろしくお願いいたします。

(加藤)よろしくお願いします。
ありがとうございます。

美空ひばりさんは
1937年生まれの…

5月29日に
お生まれになりました。

そして 今年で
生誕85周年っていう事ですよね。

はい おかげさまで。

で 1989年 52歳で亡くなるまでに

昭和の歌姫として
君臨なさいました。

和也さんは 現在50歳で

ひばりプロダクションの
社長でいらっしゃいまして。

ひばりさんが
お亡くなりになった時は 17歳。

そうでした。
ねえ。

まだ お若くて。 今は50歳。

ひばりプロダクションの
社長をしてらっしゃいます。

そうですか。

でも いまだに
多くのファンがいらっしゃるのに

驚いていらっしゃるってね。
そうですね。

もう これは 亡くなった時に
これから先 母が…

肉体がいなくなった状態で
どうなるかっていうのは

私も手探りで
ここまできましたけど…。

ちょうど33年経ちますけれども
おかげさまで 皆さん お元気で

ファンの方も お元気で
いらっしゃってくださって

毎年 イベントですとか
新しく出す出し物とか

とても楽しみにしてくださってて。

我々も それが張り合いになって。
そうですよね。 うん。

おかげさまで まだ 美空ひばり…。

もう 肉体はないですけど
まだ現役でやらせていただいて…

本当 感謝しております。
本当 本当。

まあ 改めて 85周年という事で

今日 スタジオに お衣装
持ってきていただいたけど

このお衣装 ちょっと
解説していただいていいですか?

簡単に申しますと
これがですね… 紫の方は

母が ずっと 座長公演 務めてた

新宿コマ劇場で使用した
衣装になります。

たくさんあるんですけど
今日は ちょっと

代表的なもの持ってきました。
紫色 お好きだったんですって?

そうです。 もう 生涯の
テーマカラーだったので。

もう 家の中も紫だらけで。
ああ そう。

あっ そう… ピアノかなんか紫…。

そうなんです。 はい はい。
おっしゃるとおりで

ピアノまで
紫のピアノ 使ってましたので。

こちらは まあ…

ファンの方は
ご存じの方いると思うんですけど

こちらは 舞台じゃなくて

テレビの出演の時に着用した
ドレスで。

まだ 家に… 何も捨ててないので
もう ほぼ全部

チャリティーで出したもの以外は
ほぼ全部あるんですけれども。

思い出深い衣装を持ってきました。
あっ そうでしたか。

いかにもね こう
ゴージャスって感じが…。

そうですね。
でも 亡くなる4年前ですか。

一度だけ
ご出演くださったんですけど

ちょっと 映像をご覧ください。
はい。

「美空ひばりさんは
例えば カラオケとか

ああいうとこ いらして お歌いに
なる方じゃないのかと思ったら

どんどん お歌いになる時
あるんですって?」

「もうね カラオケ 大好きで

よそへ行って歌いますとね
もう とにかく…

もちろん ギャラをもらうつもりで
歌ってるわけじゃないですから」

「そうするとね
自分の歌じゃなくて

やっぱり 人の歌を
どんどん歌いたくなりますね」

「ご自分の歌を
お歌いにならないの? その時は」

「やっぱり 自分の歌を歌うと

意識的に 何か…
ギャラをいただかないと

歌っちゃいけないんじゃないか
っていうね

やっぱり そういう気持ちが
湧いてくるんですかね 私は」

「幼い頃からの習慣で。
フフフフ…!」

「特に今は いろいろ…」
「ありますから はい」

「そうなんです。 ですからね
ほとんど 人の歌ですね」

「この間 ひな祭りで
女性の友達だけを呼びまして

男子禁制だったんですけど

我が家の3階で… 新居の3階で

明け方まで歌いました」
「まあ… そう!」

「そういう時間が
一番楽しいんです 私」

「忘れてしまうんですね」

はい。
どんな歌をお歌いになるの?

あのですね 本当に いろんな…

今 本人 言ってたとおり
いろんな歌を歌うんですよ。

確かに リクエストされると
自分の歌も歌うんですけど。

あっ そうなの?
基本的には 多分

普段 自分が歌いたくても
歌う場所のない

名曲というんですか。
うん。

『黄色いさくらんぼ』を
歌ってたのが 一番印象的でした。

どういう風に聴いてたら
いいのかなと

思いましたけど 私も。
珍しい歌を

チョイスするなっていう。
そうですね。

まあ 自由でしたよね
そこら辺のとこはね

非常にね。
はい そう思います。

どういうのじゃなきゃダメ
っていうのじゃなくて… ねえ。

まあ ひと言では
言えないかもしれないけど

ひと言で言うと どういう母親?

おふくろですか?
うん。

僕の中では
もう 完全に2人いましたので。

ですから 家でいる
加藤和枝という人の顔と

母親の顔と…。

やっぱり こう 出かけていく時に
もう メイクするところから…

私は いつも
変身って言ってたんですけど

私の中で
おふくろの事を見送る時に

もう… それまで
ベタベタしてるんですけど

もう 化粧を始めたところから
近付けない感じになるんですね。

ああ そう。
それは もう 誰に言われなくても

僕自身が… あっ もう 別の人に
なっちゃったっていう…。

もう… 美空ひばり?
はい ありました。

そこからは近付けなかった

っていうのがありましたね。

小さい時でも?
小さい時… はい。

でも 随分 小さい時の写真が
たくさんあるのね。

はい。
いっぱい撮ってもらいました。

そうですよね。
はい。 あの時…

家族が みんな生きて
元気でいてくれたので

あの時が やっぱり
幸せと言っては 本当に…

今も幸せなんですけど。
ええ。 でもね…。

また違う幸せがあった時期でした。
はい。

おばあ様もいらしてね。
そうですね。

みんな元気でいてくれたので。
お母様もいて みんな元気でね。

ひばりさんの貴重映像が
ございます。

それは 1970年
ブラジルのサンパウロの公演で

お歌いになった時のものですけど
ちょっと ご覧ください。

うわっ すごい!

♬~「勝つと思うな」

♬~「思えば負けよ」

♬~「負けてもともと」

♬~「この胸の」

♬~「奥に生きてる 柔の夢が」

♬~「一生一度を」

♬~「一生一度を」

♬~「待っている」

♬~「一度決めたら」

♬~「二度とは変えぬ」

♬~「これが自分の 生きる道」

♬~「泣くな迷うな」

♬~「苦しみ抜いて」

♬~「人は望みを」

♬~「はたすのさ」

♬~

まあ 元気いっぱい。
はい。

でも ほとんど これは
公開してらっしゃらない?

そうなんです。
だいぶ古いフィルムでですね

貴重な映像なんですけれども。
ええ。

このブラジル公演が 当時…

私も語り草で
聞いてる事なんですけど

当時のスタッフさんたちにですね。

珍しく うちの母が とても怒った
っていう話なんですけど。

ええー!
あの… ブラジルに 当時

日系移民の方たちが
たくさん行かれて

ご苦労されてた時期で。

で 本人の耳に入ってくるのが
遅かったらしいんですけど

ブラジルで やっぱり 皆さん
母の歌を聴きたい

美空ひばりの歌を聴きたい
っていう方が

たくさんいらっしゃった時に

当時 母も忙しかったですから

当時… 今では
早く行けるんでしょうけど

当時 2日以上かかる行程で…。
ブラジルまでね。

行くのは無理だろうっていう事で

母の耳に
入らなかったらしいんですね。

これが なんかの拍子に
依頼が来てるっていう事を聞いて

そういう事は
早く教えてくださいと。

私の歌をね 遠くの国で
聴きたいっておっしゃってる

日本人の方たちが
たくさんいらっしゃるのに

そういう所に行って
歌えないっていうのは

どうかと思うっていう事で
実現したのが

今のサンパウロの…。
あっ そうだったの。

3日間 一番大きな体育館で
させていただいたらしいですけど

3日で 3万5000人の…。
すごいですね。

もう それこそ
ブラジルの中心地からの方も

結構いらっしゃいましたけど
聞くところによると

アマゾンの…。
そんな方から?

ええ。 あの奥まで
入植された方たちも

見に来てくださったっていう…
はい。

今 映像にも出てましたけど

『人生一路』って うちの父が
作った曲なんですけど。

あっ そうなの。
後ろで コンダクトしてたのも…

今 父が振ってました。
本当に!?

そうです。
そうですか。 ああ そう。

はい。 そういう映像になります。

じゃあ もう
全然 お母様 元気な時…。

はい。 もう 一番
元気だった頃だと思いますね。

ああいう時
生き生きとしていらしたでしょ?

そうですね。 やっぱり
歌う事が好きだったので

やっぱり 求められてる所に行って
歌うっていう事が

とても喜びだったと思いますし。
そうですよね。 ましてや外国に…。

ひばり記念館には
先日 お邪魔してきました。

ありがとうございます。
ちょっと 映像

皆様に ご覧いただきますね。
はい。

(スタッフ)「加藤さん
こちらが仏間という事で」

「はい はい」
(スタッフ)「相変わらず やっぱり…」

「我が家の仏間になります」

(スタッフ)
「たくさん飾ってありますけど

これは ファンの方々が?」
「はい。 いつも あの…

ここを いつも
一般開放させていただいてて

お客様が お見えになった時に
逆に

お土産を持ってきてくださる方が
いらっしゃって」

(スタッフ)「そこに 下駄みたいなのが
置いてありますけど

それ なんですか?」
「はい」

「これはですね あの…

先日 ファンの方が
持ってきてくださった…

私も よく存じ上げている

熱烈なファンの方が
いらっしゃるんですけれども」

「母は ご存じな方も
いらっしゃるかもしれませんけど

萬屋錦之介さんと
とても仲良くさせていただいてて」

「実は この下駄を

生前 母が

自分の下駄と… 錦之介さんに

こちらの方の下駄を
プレゼントしたらしいんですね」

「まあ これは
想像の域を出ないですけど

恐らく 2人で元気になって
どこか食事かなんか行く時に

何か 着物かなんか着て

そういう食事会みたいな所に

その時の下駄を履いて
遊びに行こうなんていう事で

交換というか… して
そのつもりで 多分

錦之介さんにプレゼントした
下駄だと思うんですけど」

あっ 本当だ。
はい。

それで なんで 錦之介さんの所に
渡らなかったんだろう?

そうなんですよ。
これは 実を言うとですね

ファンの方… 中町さん
っていう方がいるんですけど

本当に
古くからいらっしゃるファンで

ご夫妻で いつも
応援してくださってる方で

私も本当に お世話に
なってるんですけど いまだに。

その方が 先日ですね

この下駄を
持ってきてくださって…

錦之介さんの方の下駄をですね。

なぜかというと あの…

母のファンなんですけれども
母が亡くなったあとに

錦之介さんも ご病気になられて
入院されてですね。

まあ… 心の熱い方なので
そのファンの方が。

錦之介さんのお見舞いにも…。
ちょうど いつも

お散歩をする時間が
あったらしいんです 病院で。

その時間を狙って

お見舞いに行かれてた…。
錦之介さんの?

はい 錦之介さんの所に
その中町ご夫妻が

お元気ですか? っていう事を
何回か行かれてて。

錦之介さんが 「そういえば…」。

すごい記憶力だと思うんですけど
最後 新宿コマ劇場で…

ちょうど これが
最後の座長公演になるんですけど

『千姫絵巻』という
出し物をした時に

錦之介さんと
久々の共演をしたんですね 母が。

その時に もう 何度も
見に来てくださるファンの方で

いつも 最前列を
取られてたらしいんですよ。

錦之介さんが
「そういえば あなたたち

いつも 最前列で見てくれてたね」
っていうのを

錦之介さん 覚えてたんですって
その方たち… 顔を。

まあ そこまでね うちの…
「お嬢」って呼んでましたけど

うちのおふくろの事を…
和枝さんの事を

大事に思ってくださってる方に

僕も履く事もなくなるだろう
この下駄を

実は こういうなれそめで
2人で交換して持ってるんだけど

これ もう 履く事も
ないかもしれないから

熱烈な和枝さんのファンにね
もらってほしいっていう…

預かってほしいっていう事で

病院に入院中に
そのご夫妻に渡されたものが

つい最近
そのご夫妻も お年を召したので

あなたたちに
お返しするわっていう事で

この間 私が…。
両方?

はい。 お預かりしまして。
あら…!

ちょうど それが この
交換した下駄になるんですけど。

どっちも履いてなかった…。
一度もね 履いてないんですよ

両方とも。
だから 2人して 病気 治して

まあ どこかでね
お食事会とか 夕涼みとか

そういう時に履こうと
思ってたんじゃないかなって

思うんですけどね。
そうですよね きっとね。

でも いかにも なんか

錦之介さんと ひばりさんっていう
感じがしますよね。

そうですね。
なんか これ 2人で履いて

どこか遊びに行くぐらい
元気になってほしかったなって

これを見ると思います 私も。

でも あれでしょ? 錦之介さんは

ひばりさんが亡くなった時に

病院から ご遺体を…。

そうです。 お願いしてですね

ずっと 気には
していただいてたんですけど

もう いの一番に
ご連絡させていただいて。

あの… できれば
僕は 病院から 先に

準備で家に帰らなきゃ
いけなかったので

うちの
キャデラックのリムジンが…

仕事用の車があるんですけど
母が亡くなるまで乗ってた。

どうしても 霊柩車じゃなくて

これで 錦之介さんに送って
帰ってきてほしいって

お願いをしたら
快く引き受けてくださって。

私は その前に家に戻って
お通夜の準備してる間に

錦之介さんが
病院 行ってくださって

抱えるようにね 最後…。

ですから 家まで こう
送り届けてくださった…。

車に乗せて?
ええ。 錦之介さんなんです。

じゃあ お母様としては
本当に満足だったでしょうね。

もう それ以上ないかなって
私も思って。

無理を承知でお願いしたら
本当に快く引き受けてくださって。

ああ これは 喜んでるなと
思ったんですけどね はい。

本当は 心の中で 両方ともね
大好きだったんじゃないかなって。

それはそれで なんか
見てみたい世界ではありましたね。

そうですよね。 本当 いかにもね。

僕も それは
そう思ったりする事が…。

お二人とも
長生きしていただいて

楽しく2人で暮らしたのなんか
見てみたかった…。

そうですね。
今 こちらで 2人並んで

黒柳さんと しゃべってるとこを
僕が見たかったです。

本当よね。 私もそうです。
はい。

それでは コマーシャル挟んで

ひばりさんの付き人を
28年間 お務めになった

家政婦さんに
おいでいただいてるので

ちょっと
こちらに ご登場いただきます。

ちょっと コマーシャルです。

さて おいでいただいたのは
関口範子さんとおっしゃいまして

付き人を… 美空ひばりさんの
付き人をなさってらして

3年前には
他の家政婦の方たちと一緒に

3人で出ていただいたんですけど
今日は お一人でという事で。

今でも ひばり御殿に住み込みで
いらっしゃる?

はい。
そうですか。

美空ひばりさんって
どういう方でした?

優しいし

とても その…

思いやりが
ある方ですね。

だから
自分の嘘とか

そういうのを

すぐ見抜かれて
しまうんですね。

あっ そう。
はい。

じゃあ みんな
正直でいないといけない?

はい そういう事です。
あっ これ…

関口さん お若いですね これね。

このぐらいの時だったのね。

範子さんは二十歳からだものね…。
そうです はい。

あっ そう。 だから すごい若い。

美空ひばりさんと関口さんと
ご一緒の写真ですけども。

ああ いい笑顔で。
ねえ いい写真ね。

いい写真ですね。
ありがとうございます。

燦太っていうのが
前に来ましたよね。

はい。 ここ
出させていただきました 前回。

あら 燦太。
燦ちゃん。 燦ちゃんね。

燦太…。
燦太ね 元気だったね。

去年 なんか 11歳で…。
はい。

まあ…。
突然に…。

突然に?
はい。

そうですか。

なんか
ひばり記念館のアイドルで

可愛がられてたんですってね。
はい。

そうですか。

自分でトコトコ トコトコ
出て行ってですね

ちゃんと こうやって
ごあいさつして。

あっ そう?
はい。

お利口ね。
フフフフ…!

もう たまらない。
そうですか。

ちょっと VTRで 去年の
お墓参りの映像があるんですけど

ちょっと ご覧いただきます。

「あのね…
いっぱいいらない」

「まあ いいじゃん。
ここに…」

懐かしいな。

「お餅 持ってきましたよ」

いたんだ いたんだ 燦太。

フフフフ…!

ヨチヨチ… ヨチヨチしてる。

可愛いお洋服 着て。

お洋服 着せられて。

ハハハハ…!
ハハハ…! そうなんだ。

そうですか。
はい。

じゃあ お墓参りも一緒に?
はい。

もう これが 最後ね
みんなでね 行った時ね。

このあと 具合悪くなっちゃって。
あっ そうなの。 そうですか。

ひばりさんは 大の愛犬家…
犬好き?

特に ヨークシャー・テリアが
大好きで。

1回 猫に挑戦しようと
思ってですね

猫を買いに
行ったんですけど

ひと晩で
音を上げちゃったんですね。

猫?
猫は。

ちっとも懐かなくてね。
それで ずっと

チャッピーが主役になりました。

それがヨークシャー・テリアの…?
はい。

あの… 現在 DVDボックスが…

『美空ひばり 歌姫が抱いた夢』
っていうのが発売中?

はい さようです。
85周年に はい。

さっきのブラジル公演のも
入ってるんです? それに。

はい。 4枚組みなんですけど
その中の1枚に収録されてます。

すごいわね。 4枚組み?
4枚組みですね。

ええー!
じゃあ 随分 いろんなのがね。

じゃあ ちょっと
もう1曲 ご覧いただきますね。

元気ね。 フフフフ…!

♬~「まっかに燃えた
太陽だから」

♬~「真夏の海は 恋の季節なの」

♬~「渚をはしる ふたりの髪に」

♬~「せつなくなびく」

♬~「甘い潮風よ」

♬~「はげしい愛に 灼けた素肌は」

♬~「燃えるこころ 恋のときめき」

♬~「忘れず残すため」

すごい! 声のお強い方ね。
そうですね。

でも 本当に 楽しそうに

歌ってますね この時も。
本当にね。

歌うの大好きっていう感じが
伝わってきますよね。

皆さん 喜んでくださってたので。
本当。 それから

『美空ひばり Symphonic Works』
っていうのがあって

オーケストラと一緒に これは

東京フィルハーモニー交響楽団と
共演してらした…。

そうなんです。 いやあ 今回

私も 現場 ずっと立ち会わせて
いただいたんですけど

やっぱり ものすごいレベルの高い
演奏の方たちだなっていうのは…。

もう
素晴らしいアルバムになった…

していただきました。
そうですか。

何か ひばりさんの言葉の中で
忘れられないのってあります?

「お範はケセラセラだね」って

言われた事…。
ハハハハ…!

あなたの事?
はい。

「ケセラセラだね」って?
ピッタリだもん。

ピッタリ?
ハハハハ…!

何を言っても 「大丈夫ですよ」とか
言ってたんですね。

フフフフ…! 適当?
そうすると

「お前はいいね ケセラセラでね」
って よく言われてた…。

そうですか。 じゃあ
信頼していらしたんでしょうね。

はい。
ねえ きっとね。

でも そういう方々に囲まれて

本当に… いろんな悲しい事も
あったでしょうけども

まあ 幸せな一生だと
思うしかないですよね。

そうですね。 そう思います。

それから あれだけの歌を
天から授けられてね…。

本人が一番感謝してると思います。
そうですよね。

まあ いろいろありましたけど
本当に楽しかったです。

どうもありがとうございました。
ありがとうございました。

どうもありがとうございました。

『徹子の部屋』は

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