出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 滝川英治 [解][字]
~脊髄損傷を負った俳優が過酷なリハビリ乗り越え…~滝川英治さんが今日のゲストです。
◇ゲスト
昨年、筆を口にくわえて描いた絵本や東京2020パラリンピックの開会式に出演するなど、活躍が注目された滝川英治さんがゲスト。
◇番組内容
2017年、脊髄損傷の大けがを負った滝川さん。従姉妹の滝川クリステルさんは何度も見舞いに来て励ましてくれたという。体のさまざまな機能を失い過酷なリハビリも体験した。大阪に住む両親には実家に帰るよう説得されたが、1人で暮らす道を選んだ。しかし、1人暮らしを始めた矢先に父が急死。自分のことで心労がたたったのではないかと、今でも悔やんでしまうと明かす。そんな苦悩も知っているクリステルさんから手紙が届き…
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- お手紙
- ケガ
- ハハハハ
- パラリンピック
- フフフフ
- 気持
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
2017年…
今から4年半前ですけども。
ドラマ撮影中の事故で脊髄損傷。
車椅子生活におなりになった
今日のお客様
俳優の
滝川英治さんでいらっしゃいます。
東京パラリンピック
開会式に登場なさり
話題になりました。
出版した絵本が
異例の大ヒットとか…。
いとこは滝川クリステルさんです。
よろしくお願いします。
よろしくお願い致します。
なんか 今日
私を絵にしてくださったって?
はい。
ねえ。
ちょっと 徹子さん
パンダがお好きという事で…。
そうなの。 皆さん
見てちょうだい これ ねえ。
徹子さんを ちょっと
パンダ モチーフにさせて
描かせて頂いたんですけども。
徹子さん
怒っちゃうんじゃないかなとも
思ったんですけども。
頭を見れば 私だってわかるし
目の周りやなんか 描いてるのも
私みたいですし
首飾りもしてるし…。
一応 『徹子の部屋』の階段と
ちょっと 窓とかをイメージして
背景 描かせて頂きました。
『徹子の部屋』の階段なのね。
はい。
昔から いとこのクリステルも
徹子さんの大ファンなんですけど
滝川家 みんなが もう
徹子さんの大ファンなので
めちゃくちゃ喜んでました
僕の親とか… ここ
出演させて頂くっていう事で。
今日の方は 東京パラリンピックの
開会式に登場なさいまして
開幕の笛をお吹きになったのね。
はい。 映像で
出演させて頂いたんですけれども。
本当に光栄な事でしたし
たくさんの方から
「見たよ」って連絡も頂きました。
パラリンピックに
何かしら関わりたいっていうのが
事故直後から漠然とですけども
思い描いていた
一つの夢でしたので。
その夢を達成できたっていう
誇りと自負みたいなものが
なんか これから
様々な困難にぶち当たっても…。
その誇りが 僕の背中を
押してくれるんじゃないか
っていう
後押しになってくれてます。
なるほどね。 なんせ お背が
186センチで とてもお高いので
アクションが得意な
俳優さんでいらっしゃいました。
それから 漫画やアニメが原作の
舞台やドラマに
ご出演になっていらして
2.5次元俳優といわれて…。
こういう顔の方です。
ハハハハ…。
あっ これも あなた?
はい 僕です。
これが
当時 撮影していたドラマで
このドラマの最中に…。
あっ ケガしたの。
自転車で転倒しまして
脊髄を損傷しましたね。
2017年に… はい。
ロケが山梨県で
ちょうど下りの道だったので
スピードは
結構出してたんですけど。
でも 何十回も
練習は重ねてはいたんですけど
ちょっとした手違いで
転倒してしまって。
でも なんか その時 命が
危ないぐらいだったんですって?
ドクターヘリで
運ばれたんですけど。
正直 僕
あっ もう多分 死ぬんだな
っていうふうに覚悟しました。
転倒して 一瞬 1~2秒
空白の時間があって
目が覚めた時に
あっ こけたんだな
よし 起きようと思ったら
体が動かなくて。
で もう 首から下の感覚がなくて
だんだん 呼吸も苦しくなって…。
これが そうなんですけど。
呼吸が苦しくなって。
あら 大変。 すごい。
僕 死を覚悟しまして。
で スタッフさんに
もう 遺言というか
親の事であったりとか…。
あと 僕 当時 一人暮らしで
犬を飼ってたんで 犬
ちょっと 餌をあげてほしいって。
犬の面倒を
どうしても見てほしい
っていう事を伝えたりとか。
一番最初に
病院にいらっしゃったのは
滝川クリステルさん…。
そうなんです。 それ
のちのち 聞いたんですけども。
ICUで手術 終わって
目が覚めて。
目が覚めた時には
家族が来てたんですけども。
彼女は 本当に それからも
本当に 暇さえあれば 見舞いに…。
あっ そう。
何度も何度も駆けつけてくれて
また来たんかい みたいな。
フフフフ…。
すごく献身的に
介護してくれましたね。
あっ そうなの。
ご両親は 大阪に
いらっしゃったんですって?
その時。
大阪で。 僕が事故に遭った時は
ちょうど
両親2人で旅行に行ってまして。
あっ そう。
和歌山の方に行ってたんですけど。
この事故直後から目標を作って
目標が いくつかあった。
はい。
どんな目標?
事故 本当に
僕は死を覚悟しまして。
本当に もちろん
泣きじゃくりましたし。
ただ 手術 終わって
目が覚めた時に
すごく
周りの皆さんの悲壮感とか
あと 目に入ってきたのが
母親の涙だったんですよね。
その母の涙を見た瞬間に
僕の中の何かが
吹っ切れたというか。
あっ そう。
なんか 僕だけじゃない。
僕以上に周りが悲しんでるんだ。
これ以上
悲しませるわけにはいかない
っていう思いが芽生えて。
だから
今 お一人暮らしなんですってね。
はい。
それが すごいと思うんですけど。
お一人暮らしの時には
どのように?
まず 一人暮らしをしたいなと
思ったのが
やっぱり
自分に対してのムチというか
チャレンジ。
やっぱり なんとかして
できるんだっていう事を
証明したかった。
で 母親は
大阪に帰ってきなさい
仕事なんて できないよ
みたいな感じだったんですね。
でも その時に 僕は やっぱり
やりたい事もありましたし
実家に帰ると 絶対に…
母も高齢でしたから
共倒れしてしまうと思ったんです。
僕も どうしても 親に甘えて…
性格上 親に甘えてしまって
この生活で いいやって
思ってしまうような気も
してたので。
僕は やっぱり
どんどん どんどん 積極的に
アクションを起こしたいって
思ってたので。
それは もう
とにかく 親元を離れて
自分で挑戦していきたい。
そしたら 父親は
「わかった。 お前が
そこまで言うんだったら
お前が好きなようにやれ」と。
「ただ 二度と
大阪に帰ってくるなよ」って。
それも すごいね。
でも
僕は それが すごくうれしくて。
僕の背中を押してくれました
というか。
母は
僕の体を気遣ってくれた優しさ。
でも 父親は なんていうか
僕の心を気遣ってくれた優しさ。
すごく… 僕は 心が すごく
父親の言葉で癒やされたんですね。
そうですね。
すごく励みになって。
なんとか… 父に
そこまで言われたんですから…。
嘆きもしないですし
絶対 一人暮らしを成功させたいな
っていう気持ちで
挑戦したんですけども。
もちろん 一人でできない事も
いっぱいありますんで
ヘルパーさんであったりとか
家族であったりとか
看護師の方が 本当に 1週間で
延べ20人ぐらいですかね。
20人ぐらい?
…ぐらい
ヘルパーさん
交代交代で来てくださって。
本当に皆さんの支えのもと
今 なんとか こう
生きていけてるんですけれども。
手は動く?
なんとか この左手が
ちょっと動くぐらいなので
ご飯を食べる時とかは
左手に装具をつけて
スプーンをつけて
これで こう 自分で食べる感じ…。
あっ 右手は動かないの? それは。
右手は動かないです。
脊髄損傷になると ここから下
感覚がなくなったりとかするので。
そうですよね。
胸から下が動かない。
なんか 事故後は 呼吸するのも
つらかったんですって?
呼吸も ままならなかったですし
ちょっとでも頭を起こすと
血圧が60以下になって
めまいが起きて
起立性低血圧に
なりまして。
こうやって…
これも 起立性低血圧を
徐々に慣らすための
リハビリなんですね。
立っているように。
はい。
VTRで 呼吸のリハビリ
っていうのは
どういうふうにやるのか
ちょっと見て頂きます。
はい。
これは もう
自主トレといいますか…。
これ パラリンピックで
笛を吹くっていう映像出演が
あったんですけども
これのために なるべく
肺活量を鍛えようと思って。
なるほどね。
もう 肺活量が
本当に ケガする前より
5分の1ぐらいに減っちゃった…。
あっ そんなに? 5分の1?
はい。 全く声が…。
今も そうなんですけど。
やっぱり どうしても 大きな声が
出せなくなってしまって。
なるほどね。
やっぱり 俳優って
声であったり 肺活量って
武器じゃないですか。
その武器を失ってしまったので
それが 結構
正直 つらかったですね。
だから 今のピューッてやつだって
随分できるようになった…。
できるようになりました。
最初 全く吹けなかったです。
あれね。
はい。
はあー!
すごいじゃない。
ハハハハ…。
私 そんな大きな声
多分 出ないと思う。
出してみますね。 はあー!
ハハハハ…。
フフフフ。 同じぐらい。
やっぱり
体を悪くなすった方やなんかが
あなたをご覧になってね
あんなふうに元気になれるんだ
って思うの すてきだって…。
今 座って
しゃべっていらっしゃる
っていうのも リハビリのたまもの?
リハビリになります。
…っていうか もしかしたら
この4年半で
徹子さんと
お話しできてるっていうのが
一番のリハビリかもしれないです。
フフフフ…。
事故当時 演じていらした役が
まだ抜けてなかったんですって?
やっぱり 6カ月間ぐらい
撮影がありまして。
で 役作りも 本当
半端なく しましたし。
キャプテンだったんですね
ロードバイクの選手の。
で すごく芯が強くて…。
セリフで
「俺は強い」っていう言葉が
あるんですね。
うん。
心の奥底にある弱さも
兼ね備えてるんだけれども
強い志を持った
キャプテンの役なんですね。
だから この役のまま
僕はケガをしてしまったので
なんか やっぱり 役者って…
なんていうのかな。
その役と共に
ずっと生きてるので
なかなか こう 役なのか
自分なのかって
わからなくなってしまう瞬間って
あるじゃないですか。
だから ケガして 目が覚めた時も
多分 彼の魂っていうのが
僕の中に
すごく宿ってたと思うんですね。
なんか それが すごく
僕を救ってくれたといいますか。
なんだろう。 多分
この役に出会っていなければ
今の僕は ここまで
生きてこれてなかったな
っていうぐらい
僕は感謝もしてますし。
なんか この体になったから
可能性が狭まるんじゃなくて
この体に甘えてしまう事で
可能性って
狭まってしまうんだなって。
そういうような
強い気持ちを持たせてくれたのも
この作品と出会えたからだと
僕は思ってて。
だから なんか…。
でも お母様とか
それから お姉様とかは
大反対だったんですって?
仕事する事ですか?
うん。
そうですね。 やっぱり…
僕は子供を持った事がないので
わからないんですけど。
親っていうのは
やっぱり 子供の体の事を第一に
考えるものだと思いますね。
だから 僕が仕事をしたいって
言った時は大反対でしたし…。
僕が入院中に
それを母親に話した時に
じゃあ 母親が 「元気になったら
仕事をやればいいじゃない」って
言ったんですね。
その言葉が 僕は すごく…。
じゃあ 俺にとって
元気になるって 何?
どこ? って。
何をベースで どの基準になったら
どこが元気なの? って。
今 こうやって
母さんと一緒に話して
元気に笑って しゃべれてるのに
発信もできるのに
じゃあ 今 これ
元気じゃないの? って。
それが 2年後 3年後
じゃあ ねえ 何をもって…。
「じゃあ
俺が歩けるようになったら
これが
元気になったって事なの?」って
すごく
僕が言い返した事があって。
やっぱり 今 この瞬間
今 自分ができる事を
なんでもいいから
コツコツやる事っていうのが
やっぱり 自分が前に進むための
推進力になるんじゃないか
っていう事を すごく母親に
感情をぶつけてしまった事が
あって。
でも お父様は あなたの事
とっても よくわかって
くだすってるんですって?
そうですね。
今は亡き父なんですけども。
あっ そうか。 その間に お父様は
お亡くなりになっちゃったの。
はい。 僕
1年間 入院してたんですけど。
うわ。 1年。
退院して 一人暮らしをして…。
一人暮らしを始めて
2週間後に亡くなりました。
あらー。
でも 父親は
僕が一人暮らしをすると言ったら
「わかった」と。
「お前がやりたいんだったら
やれ」と。
「その代わり 二度と
大阪には帰ってくるな」って。
心筋梗塞で
亡くなったんですけども。
本当に 父は すごく
応援もしてくれてましたし…。
父が亡くなって その次の日に
僕の家に宅配が届きまして
宛名が父親だったんです。
お父様からの贈り物?
贈り物が。 亡くなる数時間前に
送ってたらしくて。
本当に…。
なんだったんですか? それは。
僕が… 寝返りが打てないので
ちょっと 肩や腰が痛い
っていう事を言ってたんですね。
そしたら それに効く
湿布であったりとか
色んな食べ物であったりとか
色んなものが 段ボールに詰めて
送られてきました。
パラリンピックであったりとか
色んな… 絵本っていう夢も
本当に 父に見せたい。
父に どうしても…
ICUで漠然と語っていた夢。
それは なんの根拠も
なかったんですけど
僕が成し遂げたよっていう事を
周りの人であったりとか
父親に報告したいなって。
だから 俺も一人前になれたから
安心していいよっていうのを
父親に報告したくて。
だから どうしても
パラリンピック…。
絵本っていうのは
絶対にやり遂げたいっていう
気持ちになれました。
絵は
ペンを口でくわえたんですって?
はい。
で 色んな色で…。
とっても奇麗な本なんですけど。
1本の線 真っすぐの線
引こうと思ったら
30分ぐらい
かかったりしたんですって?
最初は苦戦しましたね。
なかなか こう…。
あっ 今 やっていらっしゃる。
どうしても震えてしまうというか
なかなか うまく描けなくて
線がブレてしまって。
これ 愛犬…
当時 飼っていた愛犬の
パールちゃんなんですけども。
で 絵本ですけど
これ 随分丁寧な…
色が いっぱい塗ってあって。
はい。 ありがとうございます。
随分 時間かかったでしょう
これね。
かかりましたね。
構想を含めると
本当に 3年 4年…。
ボッチャですね。
これが主人公の…
象をモチーフにした…。
象なのね。
象ですね。 で 一応 僕を投影した
キャラクターなんです。
あっ そう。
で 自転車 乗らせて…。
あっ そうか。
はい。
出版元で
駄目出しが多かったって…。
なかなか こう 本当に 個人的に
事務所 関係なく
自分で挑戦したいっていう思いが
あったので。
もう 片っ端から電話をして
こういう者ですけれども
今 こんな絵を
描いてるんですけどって。
でも やっぱり 門前払いですし
誰も相手にしてくれないですし。
あっ そう。
姉に手伝ってもらって
姉と一緒に ちょっと
ご挨拶させてもらったけれども
「ああー うちでは
無理です 無理です」とかいって
もう 諦めかけたんですけど
いや ここは諦めちゃあかんと。
親父との約束があると。
フフ…。
なんとしても… これは もう
自分にとっての
チャンスでもあり
絶対に これをやるんだ
っていう気持ちを強く持って。
そしたら なんとか
話を聞いてくださる所があって。
そう。 よかった。
じゃあ うちで出しましょうって。
ねえ。 それで 驚いた事には
発売直後に売り切れになって
異例の大ヒットという。
ありがとうございます。
心が明るくなるような本で
本当に すてきって思いました。
ありがとうございます。
あとで ちょっと
中 見せて頂きますけど。
ちょっと コマーシャル いきます。
はい。
この
今 話題になってる絵本ですけど。
『ボッチャの大きなりんごの木』
っていう
滝川英治さんが
お描きになった…。
中 ちょっと 見るとね
ものすごくね 元気な絵でね。
11匹も動物がね 自転車に乗って
自転車競走してるのね。
はい。 ありがとうございます。
ねえ。 色んな動物よ。
ありがとうございます。
ネズミなんか…
こっちの方の隅に
ネズミがいるんだけど。
ネズミも可愛い。
ハハハハ…。
滝川クリステルさんが 推薦
書いていらっしゃいますけど。
そうですね。
彼女は支えてくれましたし…。
本当。 子供の頃から仲良しで
恋愛の相談もしたりなんか
したんですって?
受けましたね 恋愛の相談。
フフ…。 そう。
クリステルさんは…。
一番右ですね。
小さい犬 持ってる…。
白いワンちゃんを抱いてるのが
クリステルですね。
その横が僕の姉で
その横がクリステルの弟で。
年齢が すごく
いとこ同士 近いので
本当に よく遊んでました
子供の頃も。 はい。
ご本人には
ちょっと 秘密なんですけど。
ご本人… はい。
クリステルさんから
お手紙を頂いております。
えっ? えっ? えっ?
ええー。
誰にですか?
あなたによ。
ええー!
あなたにです。
ちょっと待ってください。
本当ですか?
いいですか? お手紙 読みますよ。
そんな事…。
読みます。
はい。
「英治へ」
滝川さん
ありがとうございました。
ああ…。
どうですかね?
滝川さんのお手紙は。
(すすり泣き)
いやー…。
ごめんなさい。
いいえ。
うん。
ありがとう。
いやー 彼女は…。
本当に この4年半
支えてくれてたし
いつも 僕の事を
気にかけてくれてたし
色んなアドバイスもくれたし。
会うと 本当に 「英治は
すごいよ すごいよ」って
いつも褒めてくれましたし。
うん。
本当だ。 忙しいのにね。
うん。
もう感謝しかない…。
でも 僕は彼女に…
家族にも そうですけど。
僕の方がしてあげてる事って
何一つないなって。
なんの恩返しも
できてないなっていうのが
すごく僕の中であって。
どうやったら彼女を
喜ばせてあげられるんだろうな。
彼女のために何かできる事って
ないのかなって…。
でも あなたが
今 前向きにいこうとしてる事を
クリステルさんは
きっと 喜んでると思うのよ。
だから このお手紙も
そうだと思いますけど。
いや サプライズすぎて…。
フフフフ…。
でも 夢は…。
はい。
どういう…。
夢は でも
たくさんあるんですけれども。
なんせ やっぱり 同じような
障がいを抱えた人たちと
コミュニティーといいますか。
なんか 情報交換をしながら
今 僕たちは何が必要なのか。
それから 社会に
何を訴えていかないと
いけないのかっていう事を
共に感じて 共に考えて
アクションを起こす事。
そうする事で なんか 僕たち
ハンディキャップを抱えた
障がいがある方でも
社会の戦力になれるんだ
っていう事を強くアピールして。
それが 共生社会に
つながるんじゃないかなって…。
僕は歩く事を絶対に諦めないです。
そうですよね。
そして 今を
しっかり生きていきます。
お祈りしてます。
はい。 ありがとうございました。
『徹子の部屋』は
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