出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 林真理子[解][字]
~エッセイが世界記録に!瀬戸内寂聴さんとの最後の会話も…~林真理子さんが今日のゲストです。
◇ゲスト
エッセイスト・林真理子さんがゲスト。
◇番組内容
44歳で出産し育てた一人娘が昨年、社会人に!特別な感慨があったと語る。一方、コロナ禍での自粛中、家庭内は喧嘩ばかりだったが、家での仕事は集中することができ、7本の連載をこなせたという。なかでも週刊文春のエッセイ連載は長く、計1700回を超え、ギネス世界記録にも!手書きの生原稿など執筆の意外な裏側を。また、瀬戸内寂聴さんの逝去は林さんにとって大きな打撃だったとし、京都・寂庵で最後に会った際の会話も明かす。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- お書き
- 時間
- 主婦
- パタパタ
- 主人
- 手書
- 小説
- 浅田
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(黒柳)直木賞作家の
林真理子さんが
なんと エッセーが
ギネスの世界記録になりました。
おめでたい事も悲しい事もあった
劇的な1年だったそうで
ございますが…。
99歳で亡くなった
瀬戸内寂聴さんのお話も伺います。
まあ キレイなお洋服で。
どうも しばらくでございました。
ご無沙汰しております。
どうも。
なんといっても
一人娘が大学を卒業し
社会人1年目という事で。
お子さんは ねえ
生まれる前のお話から
ずっと伺っておりましたので
もう そんなに…
22歳におなりになった?
そうなんですよ。
すごいですね。
月日というものは…。
本当ですね。 あっという間でした。
この間 幼稚園 入ったと思ったら
本当に あっという間でした。
ねえ 本当に。
44歳で
出産なさいましたもんですから
一応 大変だったんだけど…
手塩にかけて育てた。
ただ 母の仕事に関心のない娘で
本を読まない…。
いや あの… 子どもの時から
本 読まなかったんですけども
今も読んでないですね 全く。
もう バカにされてますよ。
なんか あの…
彼女にとって 私は
ずっとテレビ見てるおばさん
っていう感じですね もう。
社会人になり 娘さんに
なんか 変化はありましたか?
多少… 多少ですけど
まあ あの…
初ボーナスで
ストール買ってくれまして。
あっ そうなの?
ええ。 手紙で
「これからも
ママよろしく」とか
書いてあったんで。
うれしかったでしょ?
うれしかったですね。
よかったですよね。
あら シャレてるものだこと。
そうです。 素敵な色ですね。
ねえ 素敵な色。
ありがたいですね。
へえー そうですか。
社会人におなりになった
お嬢さん ご覧になると
親としては どうですか?
これで 1つね
役割 終わった
っていう感じですかね。
もう 結婚はね
自分が連れてきた人なら
誰でもいいと思ってますので。
もう あの… よく…
よくやったっていう感じですかね
自分で まあ…。
まあね。
若いお母さんとね 一緒に
幼稚園活動とか
いろいろ大変でしたけれども。
まあね。
お弁当作りや いろいろ…。
娘のスケジュール
優先にしましたし
子どもの時はね。
大変でしたよね あなたね。
なんか あの… その…
お産みになる前からのお話が
いろいろと伺っていましたから
どんなに大変だったろうとね。
はい 本当に大変でしたけども。
でも あなたは コロナ以前は
毎晩のように外食なさって…
お食事なさって
いたんですけれども
自粛期間だか… 直前ですか。
外出に行こうと思ってらしたけど
ご主人に呼び止められて
叱られたんですって?
そうです。
「もう いいかげんにしろ」って
言われまして。
そして あの…
第1次のね 緊急事態の時は
お店も全部 閉まってましたので
行く所が
なくなってしまいまして。
お手伝いさんも2時で帰って。
私の楽しみっていうと
仕事を終えて
4時に 近くのスーパーに行って
料理する事だけが
楽しみになりました。
フフフフ…!
毎日。
それが続いてるの?
続きました。
旦那様は
どうしていらっしゃいました?
その間。
うちにいますよ ずっと。
もう… 定年退職しましたから
とっくに。
定年におなりになった?
そうですか。
それで どうしてるの?
あなた 旦那様と。
夫と? いや 私も あの…
夫婦仲 あんまり良くないのは
私が毎晩 出歩いてるからだとか
思ってたんですけども
ずっと一緒にいても あの…
良くないって事がわかって。
なんていう事… あなた。
いやいや でもね
もう あの…。
素敵な… 素敵な旦那様。
あの… 見かけはね
頭 薄くなりましたけど。
素敵 とっても。
太ってないし。
ジムで頑張ってます。
ジム行ってらっしゃるの?
はい。
すごい!
そして ほら 真面目な人ですから
自分でメニュー決めて
黙々とやってるので
なんか
私なんかとは違いますよね。
あなたも やってらっしゃる?
でも 運動。
やってるんですけど できたら
サボりたいと思うタイプですので。
夫は 非常に真面目に
コツコツやってます。
でも 旦那さんは 浅田次郎さんの
ファンなんですって?
はい そうなんです。
浅田さんのファンで
浅田さんのエッセーを読んでると
「毎日 1冊ずつ本を読んで
5時に執筆を終えて
夕飯を食べる」って…。
「どうして 同じ作家でも
こんなに生活が違うんだ」って
よく言われますので。
でもね…。
浅田さんは お酒
召し上がらないんですよ 1滴も。
私は お酒好きだし
割と 人と会うの大好きだし
しょうがないっていうふうに
言うんですけど
その辺が
わかってもらえないですね。
浅田さんと同じようにはできない。
できないですよ。
でも この頃は
夕食は毎日 作るように…。
作ってましたよ 一生懸命。
本当に頑張りました。
大変だったでしょ?
大変でしたけど
でも それが楽しくなりましたね。
あっ そうなの?
はい。
友達とね…
毎日 作ってる友達と交換して。
これは カレーという…
普通のカレーですけど。
ちょっと汚いな。
でも いいじゃない。
毎日 作ったものを
交換し合ってたんです。
写真に写して?
ええ。 友達と
「今日は 私 これ作りました」。
「今日は手巻き寿司です」とか。
本当だ 手巻き寿司だ。
うん おいしそう。
なんていうんですか?
もう あの…。
何?
天ぷら揚げたりとか。
これは 天ぷらですけども
頑張って…。
右は 海ブドウかなんかかな?
沖縄の。
そうそう。
でも 2時間かけて作ってね
買い物の時間も含めて。
20分で食べ終わられるから
がっかりですけども
しょうがないですよね 本当に。
お買い物に行って 帰って
作ってって
随分の長い時間ね…
何時間もかけているのに
家族は ピュピュッと
20分で食べちゃう。
だから
主婦の方って大変だなって。
毎日 これ やってらっしゃる…。
「主婦の方」って
あなたも主婦でしょ?
私も主婦ですけど ほら
他の人の手も借りたりしてるので
普段はね 本当に。
でも 普通の主婦は大変だなと
お気付きになった。
でも あの… 自粛生活中に
気が付いた事があるそうで。
はい。 なんていうんですか?
自粛生活って 2~3年
もう あっという間に
過ぎたじゃない…。
時の経つのは早いなという感じで。
夫ともね あと何年いられるか
わからないんだったら
共に老いて ねえ。
どっちが先に逝くか
わからないけど そんな…
今更 けんかして
ああだこうだ
別れるんだ なんだかんだ
しょっちゅう
けんかしてますけども。
そうなの?
もう 仲良くして あと… ねえ。
10年と思ったら 仲良くしよう
っていうふうに思いました。
そうですか。 でも 普段
おうちに いらっしゃらないから
あれだったんだと思ったけども
うちにいても同じ…。
そうです。
うちにいても 同じように
仲悪いんだって事に気付きました。
やっぱり けんかするんだって。
うちにね ずっといたら
夫も穏やかに こう
楽しく生活を送れるかなと
思ったら そんな事もなく。
やっぱり うちにいても
「ここが汚え」とか あの…
「こんなとこに
こんなものを置くな」って
ガミガミ ガミガミ言われて
本当に 頭にきましたけれども。
まあ それも含めて
夫婦でやってきたから
しょうがないかなっていう
境地ですかね 今は。
なんか あれでしたね
ご主人は5歳年上で
36歳の時に お見合いをなさって
4カ月の
スピード婚っていうのでね
とっても おめでたい
おめでたいって みんなで。
なんか
書いてもいらっしゃったし。
でも 素敵… 素敵な旦那様なの?
よく続いてますよね。
石油プラントの設計?
そうです そうです。
エンジニアで あの…
いろんな 中東なんかに
行ってましたので。
あの まあ… ちょっと
世界的視野も持ってるかなと
思ってました。
仕事?
仕事一本槍の人でしたので。
現在は もう 退職なすったの?
退職してます。
もう 72ですからね。
そうですか。
あなたの どういう存在ですかね?
ご主人は。
71か。 夫ですか?
見てるかもしれませんから
言えませんけども
なんか あの…。
あの… あれですよ。
うち帰ってきて
荷物 バーンと投げ捨てると
また あとで言われるからと思って
一応 片付けるって…。
だから 本当に 夫がいなかったら
どれだけ だらしない事
してるだろうなと思うと
ありがたいかなと。
うん。 フフフフ…!
人に これだけ気を使う人が…
使うので
これ以上
傲慢な人間にならないように
神様から与えられた人で
ありがたいなと
思うようにしてます。
私 年取ったからですけども
外の方にも 非常に
優しくできるようになったのは
やっぱり 結婚生活が
あったからだと思ってますけども。
それは何よりでございましたわね。
ハハハハ…! はい。
でも 今… すごいのは あなた
今でも 7本
連載 抱えていらっしゃる。
そうですね。 週刊誌3つですね。
週刊誌3つ…。
すごいわね でもね。
あと 月刊誌ですね。
『週刊文春』の連載が
「同一の雑誌に エッセーが
載った回数 世界一」に
認定されて
ギネスを おもらいになったって。
どのくらい…
何回ぐらい連載なすったの?
1700回。
ええー すごい!
黒柳さんもギネス保持者…。
でも それは この
『徹子』の番組でですからね。
素晴らしいですよね。
ありがとうございます。
今 1700回かな…。
1700回だと思いますけども。
そうですか。 『徹子の部屋』は
「同一司会者による最多放送回数」
っていうので
1万1000回以上っていうので…。
すごいですね! 1万1000回。
うん。
だって 45年ぐらいですから。
私の このエッセーが37年間。
相当 長いですよね でも それ。
相当ですよね。
オギャーって生まれた人がね
もう ちょっと… ねえ
中年に差し掛かろうと
しているぐらいですから
本当に…。
そうですよね。
私も
おばあさんになるわけですよ。
そんな事 あなた…。
でも ギネス記録で 世界一で
ご家族の反応は どうでしたか?
いや 全く反応ないんですよ。
ハハハハ…! 本当に?
だって 読んでないんですもん。
「あっ そう」とか言うもんで…。
なんか こう
私の仕事には
本当に 興味持ってないと…。
ご主人も?
持ってないと思いますですね。
でも あれですよ。 1983年から
エッセーを連載なさいまして。
38年っていうのも 相当すごい…。
それで その時は
その お書きになり始めた翌年に
『徹子の部屋』に
来てくだすったんですってね。
そうです。
ちょっと 映像 ご覧いただきます。
「割と人見知りしましてですね
出歩かないんですね」
「自分では 割と 小心な
普通の女の子じゃないかと
思ってるんですけど」
「“女の子”って言うとこが
ずうずうしいんですけれども」
「でも この間まで
二十歳代でいらしたでしょ?」
「そうなんです…。
大台に乗っちゃいました」
「本当に困ってしまいました」
「雑誌の対談 連載も含めて
月に10本?」
「はい。
前は もうちょっとありました」
「“1984年を占う”っていうのが
出てましたら
“林真理子”って欄がありまして
20人ぐらいの占い師が
勝手に人の事を占ってるんです
1984年を」
「みんなが 大抵
飽きられて売れなくなるって
ほとんどの方が
予想してたんですね」
「あなたの事を?」
「はい」
「私 負けず嫌いなものですから
おお 言ってくれるじゃねえか
てめえら! っていう感じで
ビリッと破りましてね
もうね 嫌っていうぐらい
出てやろうじゃないか
っていう感じ…」
すごい若い。
若い… そうね。
でも すごく前ですからね。
ひと昔前…。
すごいですね。
あの時 占い師が 全部…
全員 「消える」って…。
飽きられて 全員
「消える」って言われましたけど
よく持ったものですよ。
持った。 すごいですよね。
最近 ギネスを おとりに
なったりなんかしてるんですから
そりゃあ もうね…。
確かに うんと若いように
出ていらしたから。
まあね 若い女の子が
ちょっと なんか書く…。
そうです そうです。
いなくなるだろうと思ったら
全然いなくならないで。
あなたは
今どき 珍しいんですけど
原稿用紙に手書きですってね。
はい。
全部 手書きでやりますですね。
すごい。
パソコンもやりましたけども…
早いですね。
うわっ 汚い字ですね 本当に。
でも いいじゃない。
手の方が どんなにか みんな…。
これ 編集者の方が
1回 パソコンで起こしますから
もっと早く くれっていって
怒られますけど。
今は 若い作家の方は
パソコンじゃないと…。
初めからね。
受け取らないみたいですよ。
ああ そう?
もう かなりの年代の人たちしか
残ってないみたい…。
私も めったに書かないけども
書く時は手書きですよ 私も。
だって
ああいうの 持ってないから。
そうなんです。 手書き…
例えば 「16×42行で」って
言われるんですけど
頭の中でやってても
わからないんです。
瀬戸内寂聴さんが 去年
99歳でお亡くなりになった…。
どんなお気持ち?
ちょっとビックリしましたですね。
先生って なんか 永遠に あそこに
いらっしゃるような気がして。
先生は 「100歳のお祝い
やるからね」って
おっしゃったんです。
ああ そうなの?
2人で 対談用に
庭に出たんですけど
普通に歩いていらして
普通にお話しになってましたので。
なんか あれですよね。
パタパタ パタパタ
普通に
お歩きになってましたよね。
そうです そうです そうです。
ご存じだと思いますけど
先生のお部屋って ちょっと
階段があるじゃないですか。
私が お待ちしてたら
パタパタ パタパタって音がして
秘書の方かと思ったら
「ウフフ」とか笑って
「そう思わせようと思って
わざと音立てたの」なんて
そんな おちゃめな事を
おっしゃってた…。
本当に面白い方でしたよね。
知り合った… お知り合いになった
きっかけはありましたか?
30年ぐらい前に
対談で お目にかかりまして
それ以来
可愛がっていただきましたですね。
まあ 本当に…。
寂庵にも
何度も足を運びまして
あの まあ…。
まあ あの先生に
可愛がってもらってる
っていう方 多いですから
私だけじゃないと
思いますけど。
あの先生は 本当に
人間に対する好奇心が
ものすごく おありでしたから。
もう 来る者拒まずで
いらっしゃい いらっしゃい
いらっしゃいっていう感じ…。
面白い方でしたね。
本当に面白い方でしたよね。
もう あけすけに
いろんな事をおっしゃって
「先生 そんな事 言って
いいんですか?」とか
お酒飲む時…。
ゴシップも大好きだったし
ご自分の事も
なんでもおっしゃって
もう すごかった。
もう ああいうところ
大好きでしたね。
なんか へべれけになってね…
酔っ払ってね
階段上がっていって
階段の上で ガーン! って
手すりに顔ぶつけて
顔半分 すごい事になって。
でも 寝ちゃったんだって?
そしたら
次の日 血だらけになってて
そこから あざになってて
ここの…。
講演かなんかがあって
行かなきゃいけないのに
目の下から ここに 真っ黒い
あざになったんですって。
しょうがないから そこに
ドーラン こう 付けたんだって。
そしたら 「先生 随分
今日は厚塗りですね」って
言われたんだって。 そんな事…。
そしたら みんながね
それよりも そんな年で
へべれけになるっていうのが
わからないって。
先生 対談の時もね 必ず
ヘアメイクを お付けになって…。
ああ そう?
…ましたよ。
それはすごいですね。
すごい…。
ヘアはなかったけど
メイク… メイクは。
ちゃんと お気に入りの方がいて
薄化粧なさってて
それが とてもキレイでしたよね。
ああ そうなんですか。
最後にお会いになったのは
いつ頃?
6月です。 お正月号の対談で
恐らく メディアに出た最後だと
思いますけども。
まあ… いろんな話をして。
私の母が
101歳で亡くなったものですから
「真理子さん お母さん
どうだった? どうだった?」って
何度も お聞きになって。
「100過ぎたら
さすがに ちょっと…」。
「やっぱり そうだった?」って
ちょっと肩を落とされたのが
印象に残ってますけど。
そう…。
まあ ご自分が99だからね
101まで あと2歳ですものね。
「でも 先生は 寝たきりじゃないし
仕事もしていらっしゃるから
大丈夫ですよ」っていうふうには
申し上げましたけども。
うちの母の事は
よく気にかけてくださって。
ああ そうなの。
初盆の時には
素晴らしい盆ちょうちんなんかも
くださって。
それは 恐らく ご実家の方から
くださったと思うんですけど。
瀬戸内仏具店の方からだと
思うんですけど。
見た事もないような
素晴らしい塗りの…。
こんなちょうちん
見た事ないっていう
素晴らしいものでした。
絵が描いてあるの?
はい。
でも
瀬戸内さんがいなくなった今は
やっぱり なんか
違うところあります?
やっぱり 寂しいですよ。
私たち女性作家の大先輩だし
やっぱり 先生が
まだ やってらっしゃるって事で
私たち こう…
支えになってたので。
亡くなったら みんな ガタッと…
後輩の作家たちも みんな
悲しんでると思いますですね。
それから やっぱり
お書きになったものが
良かったですものね。
素晴らしいですよ。
もっとね テレビで そういう事を
取り上げてほしいと思うんですが。
伝記小説とか。
ねえ。 私 一番好きなのは
あの方の いろんな…
伊藤野枝とか。
『美は乱調にあり』ですね。
そう そう。
そういう 人をお書きになるのね
すごかったなと…。
素晴らしかったですね。
ほとんど読んでましたけど。
岡本かの子を書いた
『かの子撩乱』も
本当に素晴らしかったですよ。
田村俊子を
お書きになったから…。
それで もう 田村俊子って
忘れられた作家でしたけど
先生がお書きになった事で
また クローズアップされました。
私も 『白蓮』書いたりしてる時に
先生から いろいろ
教えていただいたりして
本当に…。
あっ そうなの。
真杉静枝っていう
女流作家を書いた時も
先生も
同じ時代 生きてたんで
いろんな事を
教えていただきましたですね。
もう 電話でも教えてくださったし
本当にありがたかったですね。
そういうところ 全然 こう ケチ…
ケチじゃないね。
自分が書いた方が ずっといいと
思ってたからじゃないですか?
そして 「先生がね もう
いろんな人をお書きになるから
もう 私たち 隙間家具みたいに
見付けなきゃいけないんですよ」
って言ったら
すごくうれしそうに
お笑いになったのを
覚えてますけども。
なるほどね。
あれだけ書いてらっしゃるとね。
そうなんですよね。
そして 『源氏物語』の訳という
大事業もなさいましたし。
すごい作家ですよ。
そうですよね。
でも 波瀾万丈の人生だったから
あれだけの作品が
書けたのかなとも思いますけど。
そうですよね。 あの先生がね
清廉潔白な生き方してたら
こんなに 心には
届かなかったと思います。
そうですよね。
先生が 最近の女の人は
なんか 不倫不倫っていって
どうたらこうたらって
おっしゃった時に 私が
「先生だって 昔 してたじゃん」
って申し上げたら
「私はね
命懸けでやってたんだから
今のと違う」っておっしゃってた。
だから あの時代は
そうなんだろうなと…。
まあ そうでしょう 本当にね。
だから まあ あれだけの…
あれだけの 人の心を打つものが
書けたんだろうなと。
でも… 江原啓之さん?
はい。
あの方から 「あなたは
瀬戸内寂聴さんぐらいまでは
書く」というふうに言われた…?
「長生きするよ」って言われました。
「瀬戸内さんぐらい長生きするよ」
って占ってくださって。
私が 「瀬戸内先生ぐらい
偉くなれるかな?」って言ったら
黙っちゃったんで。
ハハハハ…!
正直な方だなと思いました。
でも いずれにしても
それまで書けるんだったら
随分いいじゃないですか。
そうなんですよね。
80代までは書きたいというふうに
思っておりますけどね。
まだ… 80まで まだ…。
まだまだ ありますけども。
まあ 作家も体力勝負ですし。
そうですよね。
売れなかったら
注文も来ないですし。
そうね。
でも いっぱい… そんなに
あなた 今
書いてらっしゃるんだったらね。
はい。
ありがたいなと思いますよ。
2年 3年先まで
仕事が決まってるって事は
本当に ありがたいなと…。
何をご覧になっても
今度のあれに
書けるなとかっていうふうに
思えるでしょ?
そうですね。
まあ エッセーなんかは
テレビ見たりしながら
なんとなく 今週はこれ書こうと
思いますが
小説は もっと壮大なネタを
考えなきゃいけませんので
それは大変です。
小説の連載 決まっても
何書いていいのか
わからない時あるので
それは 本当に大変ですよね。
でも お続けになってますよね
あなたもね。
そうですね。 本当に 今年は…。
コロナの… コロナでも
1つ いいところがあって。
時間が たっぷりありましたので
時間をかけて
小説に取り組む事ができたのは
本当によかったですね。
ようございましたよね でも。
林真理子さんは
皇室のご結婚問題を描く
『李王家の縁談』…
本 出てるんですけど。
眞子さまが ご結婚あそばしたと…
もう あそばしましたね。
非常にタイムリーと
話題になって…。
どういう内容なんですか?
皆さんが 「あざとい」って
おっしゃる方いるんですが
これ 全く偶然で
3年前から書き始めてまして。
梨本宮伊都子の日記を基に
お嬢さんが…
方子さんという方が
朝鮮の皇太子に嫁いだ
日韓融合の結婚を
なさった方なんですけども
お嬢さんは。
その一連の事を書いてますね。
大正時代の話です。
ふーん…。
優雅な… 本当に まだ
宮家とか華族というものが
大変な… お金があって
全く 庶民と
かけ離れた時代の時でも
やっぱり
娘の縁談という事になると
お母さんが しゃかりきになって
いろんな事をやられてたというね
そういう本なんですけど…
まあ 歴史上の本なんですけども。
ちょうど 眞子さんのご縁談と
一緒になって。
これ 狙ってたんだろうって
言われるんですけど
全く そんな事ないんですよ。
偶然?
偶然。
そうですか。
プリンス…
プリンスホテル ございますよね。
あそこの… 赤坂の。 あそこが
自分のおうちだったんですよ。
すごくないですか?
李王家っていうのは。
全く かけ離れて
生活をしてるんですけども。
でも 本当に そのエッセーは…
エッセーの場合は
ギネス世界記録になり
小説も大評判。
これから… まあ
今 続けてらっしゃいますけど
何か もっと目指してるものは
おありですか?
そうですね やっぱり
後世に残る本を1冊っていうのは
いつも思ってます。
寂聴先生が 「作家は死んだら
次の年から本は消えていく。
本屋から」。
「私の中で残るのは
『源氏物語』だけ」って
おっしゃってたんです。
あっ そう…。
私も1冊は残して死にたいと
思ってますけど。
まだまだお若いから大丈夫。
ありがとうございます。
ぜひ 読ませていただきます。
はい。 本当によかったです。
よかったですよね。
じゃあ 失礼いたします。
♬~
『徹子の部屋』は
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