出典:EPGの番組情報
NHK地域局発 くまもとの風「傷ついた町に新たな息吹を」[字]
7月豪雨からおよそ1年半。球磨川流域では人口流出が続き、街の活気は失われたまま。そんな中、逆境をバネに新たなカタチで地域を再生しようと挑む人々の物語。
番組内容
令和2年7月豪雨から、およそ1年半。甚大な被害を受けた球磨川流域では人口流出が続き、街の活気が失われている。そんな中、逆境をバネに新たなカタチで地域の再生に挑む人々の姿を見つめる。▽壊滅的な被害を受けた熊本県八代市坂本町の老舗旅館。地元を離れる住民の思いを集め、「第二のふるさと」としてよみがえる。▽豊かな自然にひかれ家族とともに移住した男性。新たなアイデアで再び地域に人々を呼び戻そうと奔走。ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
あら~!
7月豪雨で 1, 000棟近くの建物が
深刻な被害を受けた 八代市坂本町。
復興計画の遅れや 水害への不安などで
3, 000人いた住民の多くは町を離れました。
しかし…。
豪雨から1年余り。
再生への新たな動きが。
自ら自宅の修復を始めた家族。
町を離れた住民との絆を取り戻そうと
地域の拠点作りに乗り出しました。
壊滅的な被害を受けながらも
先月 復活を遂げた 老舗旅館。
宿の再建に使われたのは
解体される家々から譲り受けた建具。
町の歴史と暮らしの記憶を
受け継ぎました。
(拍手)
奮闘する人々の姿を 見つめました。
7月豪雨の2年前。
坂本町で
一軒の旅館を取材していました。
創業67年の鶴之湯旅館です。
老朽化で休業していた宿を引き継ぎ
再建に取り組んでいた 土山大典さん。
営業を再開し 客足が戻り始めたやさき
突如襲われたのが 7月豪雨でした。
本当 トンネルの真上です。
命は 助かったものの
激しい濁流による建物の被害は
想像以上でした。
しかし 土山さんは
かすかな希望の光を見つけていました。
激流を耐え抜いた柱を 心の支えに
再スタートを切る決心をした 土山さん。
大勢の仲間と
復旧作業に明け暮れる日々が続きました。
一方 近くの集落では
被災した家屋の解体が
始まりつつありました。
そんな中 ふと土山さんの
目に留まったものがあります。
それは 廃棄された家財道具や建具の山。
明治後半に 工場が建設され
昭和の半ばまで
製紙業などで栄えた 坂本町。
歴史ある家屋が
いまだ多く残っていたのです。
提供を呼びかけた土山さんのもとには
協力の申し出が相次ぎました。
何でも。
中にあるものですか? うん。
この日 訪ねたのは 高橋良子さん。
母の実家の解体に胸を痛める中
土山さんの呼びかけを耳にしました。
昭和初期に建てられた この家には
古い貴重な建具が数多くありました。
宿の外観は 見違えるように。
間もなく 1年越しの再建が完了します。
すごくキレイですね。
キレイですね。
宿自慢の32畳に及ぶ 大広間。
その周りを囲む
飾りガラスのついた障子は
14の家屋から譲り受けました。
譲り受けた建具や家財は あちこちに。
かつて職人が工夫を凝らして作った
飾り扉。
家族の日常を照らし続けた 明かり。
坂本町で取り壊された
50軒以上の家屋の一部が
受け継がれました。
復旧作業を終えて 間もなく
宿のお披露目会が
開かれることになりました。
応援してくれた人たちに
直接 感謝を伝えたいと考えたからです。
たくさんの建具を提供した 高橋さん夫妻。
新しい宿には 懐かしい光景が。
多分… あそこの窓のとこ。
(拍手)
(拍手)
(一同)おめでとうございます。
ありがとうございます。
大勢の人が失った
ふるさと 坂本での暮らし。
生まれ変わった旅館は
その大切な記憶をつないでいきます。
これからは 正直…
豪雨の直後
坂本町で出会った一人の男性。
道野さんは 7年前
祖母が暮らしていた家に移住しました。
入ります。
本当たくさんのものを置いてました。
道野さんは 大正時代に建てられた家を
リノベーションしたばかりでした。
しかし 濁流にのまれてしまいました。
道野さんは 生活していた集落が
水に沈んでいくのを
眺めるしかありませんでした。
道野さんは 坂本を代表する商業施設
道の駅 坂本の駅長を務めてきました。
しかし…
道の駅は 今回の水害で
3メートル以上水没。
店内に 泥や がれきが流れ込むなど
壊滅的な被害を受けました。
片づけを始めたものの
道の駅を同じ場所で再開できるか
管理する市の方針は
決まっていませんでした。
道野さんは 従業員や生産者の安否確認に
走り回っていました。
ボランティア不足の中
道野さんは つてを頼って仲間を募り
清掃を進めました。
地域の核である 道の駅を
少しでも早く再開させたい。
その一心でした。
道野さんが 移り住んだきっかけは
子供時代にあります。
東京で生まれ育った 道野さん。
毎年 夏休みは
坂本にある祖母の家で過ごし
川遊びに明け暮れたといいます。
7年前に結婚し
子供に同じ体験をさせたいと
空き家になっていた祖母の家で
暮らし始めました。
しかし 隣近所で水につかった
家屋のほとんどは解体。
半数以上の世帯が 坂本を離れたままです。
道野さんの奮闘で…
坂本ならではの特産品も
少しずつ戻り始めています。
中身のあんこは やはり
坂本は 昔から白あん。
少しでもですね あれすれば…。
水害に遭った家には戻れないと語った
道野さんの心にも 変化が表れました。
家を解体せずに 残すことにしたのです。
仲間の力も借りながら
自宅のリノベーションを始めました。
紗喜子さん 自ら床を張ります。
わ~! 何じゃこりゃ!
久しぶりに過ごす 坂本での夜。
焼きそば食べますか?
うん 食べる。
はい 気を付け。
大きくなったね。
家族との思い出が詰まった家。
道野さんも迷い始めています。
また つかるかもしれないから
1階に物は置けないよな 住むとしても。
2階狭いんだとか…。
道野さんは 家を
コミュニティーハウスとして
開放しようと考えるようになりました。
DIYです。
坂本を離れて暮らしている
子育て世代を招きました。
おっ コウヘイ来てたの!
ジュンペイくんは? ジュンペイくんは?
多くの住民が 坂本での居場所を失う中
こうして集える場所が必要だと
考えたのです。
この日は 臨床心理士を招き
被災者同士で悩みや心配事など
今の心情を語り合いました。
道野さんは ここが 坂本を離れた人々の
よりどころになればいいと願っています。
地域の拠点として歩み始めた
道野さんの家。
住民の絆をつなぎ止め
町の再生を後押しします。
あっ すごいじゃん すごいじゃん。
ああ 本当だ すてきじゃん。
来年の九州の旅。
また鶴之湯旅館の方にいらしてください。
パワーアップしておりますので。
大変ですけど 頑張ってください。
ありがとうございます 本当に。
ありがとうございました!
気を付けて!
バッテラ?
バッテラ。 バッテラってどうですか?
いいサバ入りそうですか?
ハハハハハハ。 少しずつ やっぱ
ルーティンが戻ってきたなと…。
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