出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 佐野史郎[解][字]

~初告白…46年の俳優生活で初の“途中降板”~佐野史郎さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
俳優・佐野史郎さんがゲスト。
◇番組内容
今春、出演中のテレビドラマを体調不良のため途中降板した佐野さん。駆け出しの舞台役者時代に「役を降ろされた」ことはあっても「自ら役を降りた」のは初めての出来事だったという。詳しい病名などは降板したドラマへの影響など様々なことから判断し公にはしてこなかった。今回は、入院の詳細や病名を初めて明かす。ほか、29年前“冬彦さんと母”として共演した故・野際陽子さんとの秘話や、盟友・大杉漣さんとの思い出も語る。
◇おしらせ
☆12/11(土)よる11時からは『土曜ナイトドラマ 言霊荘』第9話
最終章…残り2話!あるアパートで発した言葉が《言霊》の魔力によって現実になる、話題の新感覚ホラードラマ!
【出演】西野七瀬、内田理央、藤井美菜/佐野史郎(特別出演)、斉藤由貴
◇番組HP
【土曜ナイトドラマ 言霊荘】
 https://www.tv-asahi.co.jp/kotodamasou/
【徹子の部屋】
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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  1. 本当
  2. 病気
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  11. 冬彦
  12. イヤ
  13. 大杉
  14. 野際
  15. カ月
  16. 医者
  17. 一番
  18. 共演
  19. 撮影
  20. 状態

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

当たり役 冬彦さんで

社会現象を巻き起こした

個性派俳優の

佐野史郎さんでいらっしゃいます。

今年の春 芸能生活46年で初めて

出演中のドラマを途中降板なさる
という事になりまして

一体 どうしたんだろうか?
っていう事で

体調など
いろいろ伺わせていただきます。

初めての事だそうでございます。

皆様に きちんと
ご報告をしたいという事で。

よろしくお願いします。
どうも。 今年の春に

体調不良で 初の… 初めての?
そうですね。

劇団時代に
役を降ろされたりとかね

なんか 逃げ出したりとかね
舞台の時はね

そういう時ありましたけどね
若い時は。

まあ… そうなんですよね。

連続ドラマの放送中だったので

3話までは
僕は出演してたんですね。

4話の途中まで撮影してて…
収録してて。

それで 途中でね ちょっと…
降りるっていうのは あとの方…

すごく迷惑を掛けるので。
そうですよね。

うーん…。

まあ ちょっと 病名をね

はっきり申し上げるのと…

ドラマの放送中なので

大変な騒ぎになってしまうのでは
ないかという事で

ちょっと 控えましょう
という事になって

すぐには ご報告
できなかったんですけれども。

そうですか ええ。

ただ まあ 最初に
皆さんにお知らせしたように

腎臓の数値がね
悪かったのは 事実で。

確かに その事で入院したのは
本当なんですけれどもね。

ややっこしい名前のやつですよね。

多発性骨髄腫?
ええ。

現在は 定期的に通院して

薬で がん細胞を抑えてらっしゃる
という状況?

そうですね 化学療法で。

ただ まあ あの…

まあ この分野は 治療が
とっても進んでいるそうなので。

ええ。

今は 自分の中の細胞…
いい細胞を取り出して

この先は それを もう一度…

悪いのを抑えて 移植し直して

それで 再生しようっていう治療が
これから…。

これから移植なさるそうですね。

まあ まあ…
順調に進んでいるので。

入院中 退院直後はね

本当に 仕事ができるのかどうか
ちょっと 不安でしたけれどもね。

こんなに普通に仕事ができるとは
ちょっと 思ってなかったので

自分でもビックリしてますよね。
それはそうですよね。

いきなりね
そういう事になるとね。

まあ 確かに もう 66ですから。

来年 もう 67ですし。

まあ あの… この年になるとね
いろいろガタがくるなあとは

やっぱり 実感しましたね。

コロナ禍で撮影が止まってた分が
こう ずれ込んで

まとめて スケジュールが
タイトになっちゃったりとかね。

かえって その…
忙しかったりもしたんですよね。

まあ まあ…
その多発性骨髄腫という病気は

それ以前から
まあ あったんでしょうけれども

ちょっと 疲れてたのは
事実ですよね。

とにかく 発表はなさって
一応 治療に専念するためと。

そうですね。 これ 放送中は

多分 きっちり治療してる
さなかだと思いますね。

そうですよね。 でも 発端は

なんか
すごい熱が出たんですって?

そうなんですよね。
まあ まあ… 仕事 忙しくしてて

あっちこっち
飛び回ってたんですけれども。

ドラマの撮影のさなかでしたけど

夜中にですね
39度 出たんですよ 急に。

随分 すごい。

それは さすがに ない事なので

これは
コロナにかかったかなと思って

翌日 検査しに行ったら
陰性だったんです。

でも まあ 撮影現場
行くわけにはいかないので

検査してもらって…
血液の検査をしたら

やっぱ 白血球の数が
ちょっと少ない…

異常だっていう事で
詳しく調べましょうという事で。

で 翌日 調べて まあ…

詳しく調べてもらったら

これは 多発性骨髄腫の疑いがある
という事で

すぐ入院ですという事で。
大変ですよね。

まあ ビックリしましたけど
もう… でも 俳優のさがで

役では いろんな役をね…
そういう役をやったし…

やってきたし 医者の側…。
言う方の役も。

医者の側も患者の側も
やってきたんだけど

あっ こういう反応するんだって
やっぱり

一番に思っちゃうんですよね。

でも 帰宅が許されず

そのまま入院って事に
なったんですって?

ビックリしますね それも。
そうですね。

だから 家族には…

妻と娘には
病気の事を知らせたのは

LINEで そのまま メールして

知らせたんですけれども。
だから 会ってないんですよね。

で 入院中 まあ やっぱり

体の状態は
良くなかったですけれども

食欲はあって。 食事は 割と
ちゃんと取れてたんですよね。

それで だいぶ回復してきた頃に

週に1回は ちょっと ごはんでも
一緒に食べようっていって

今どきは やっぱり 便利なんで
リモートで。

自宅にはタブレット置いて
こっちはスマホで

一緒に見ながら ごはん食べて。

まあ まあ…
それが楽しみでしたね。

みんなに会ったりできない?
もちろん もちろん。

それは あの…
この病気じゃなくても

今は病院は 面会は
基本的に できませんよね。

それで まあ まあ あの…

でも 1カ月ぐらいすれば

抗生剤で抑えて 退院できますって
言われてたんですけど

いくら経っても
熱が下がらないんです。

あら イヤだ。

どうも 血管の中の
血栓みたいなのに

菌が付着してるんじゃないか
とかって。

結局 2カ月かかりまして。
敗血症になってしまって。

あら 怖い!
怖いです。

で 実際に
それが一番つらかったですね。

38度から39度が1カ月 続くと…。

相当 疲れますよね。

ちょっと なんとかしてくれって
思いますよね。

でも よく1カ月 その高熱をね…
やっぱり 献身的に

お医者さんも看護師さんたちも
やってくださって。

で ある時から まあ
そういう血栓を取り除く薬とか

あらゆる手を使って
治療していただいて

グッと下がって それからは
一度も高熱 出てないですね。

そうなんですか。
ええ。

で 退院後は順調に…。

ですが まあ 直後は

もう 仕事ができるか できないか
というよりもね

生きていけるのかどうか
っていう事が まず第一ですから。

だから もう そのあと…

お仕事ね ドラマの仕事が
決まっているものもあったけど

できなかったら ごめんなさい
ぐらいの話だったんですけれども

行ってみたら
戻っちゃうんですよね 体がね。

ああ ねっ… うん。

病気の事も忘れちゃうし
現場に行くと。

まあ でも おかげさまで
その間は

面白い仕事が
いろいろ できたと思います。

よかったです でも。 今回 この…
テレビで公表なさるっていう事も

ご家族に
ご相談なさったんですってね。

そうですね。
まあ 一番は やっぱり

仕事関係の方にね
黙ってるのも変な話で。

かといって 聞かれてもないのに

わざわざ 言って回るっていうのも
なんか…

おかしな気持ちだったので。

今回 お話いただいて…。

ドラマの撮影も
全部終わりましたし。

ああ そうですか。
出演中のドラマ…。

で 『徹子の部屋』で その…
徹子さんを前にして

黙っておくわけには
いかないですね。

フフフフ…! まあね。
まあね。

でも 伺ってなければ

病気の方だとは思いませんね
全然。 顔色いいし。

まあ そうですね 普段はね。
うん。

でも 振り返ると

兆候があったのは やっぱり
腰が痛かったとかね…。

ああ そうなんですか。
あと 声が出にくいとかね。

おお…。
今 そういう事ないので

多分 順調に進んでるんだと
思います。

そうですか。 でも 松江の実家に
お帰りになったら…

おうちが お医者様なんですって?

そうですね。 代々ですけれども。

まあ 仕事もあって
帰ったんですけども

母親には
やっぱり なかなか言いづらくて。

病気がわかった時…
まあ 弟 医者なので。

弟と妹には すぐに知らせて。
「実は こんな…」。

ただ やっぱ
母親はね もう 89で

心配させるのもなと思って

なかなか
言いづらかったんですけど

これ 言わないわけには
いかないので。

「実は…」って言って
この間 帰った時に

こうこう こういう病気だと
言ったら

「そう」って…。 「そう」?

軽く?
すごい軽く…。

まあ なんか変だと
思ってたぐらいの事で。

まあ まあ 医者の家に
嫁いできた人ですしね

まあ まあ 慣れてるんでしょ。
ハハハ…!

まあね。 でも まあ あの…。

今 発表しちゃったら
どういうお気持ちです?

まあ… なんだろう…?

ちょっと楽になった気持ちと…。
うん。

やっぱり 何を見ても
僕が出演すると

ああ 病気だったんだなとか。
それも含めての…。

野際陽子さん あの時も
共演なさって 本当に まあ…。

最後に なんか
キスシーンがあったんですって?

もう それは 30年近く前の

ドラマの話ですけれども。

でも まあ 野際さんは

公私共に
それが最後だったって

おっしゃってましたね。
野際さん そう言ってますよ。

最後のキスをしたのはね
佐野さんだったって。

申し訳ない。
フフフ…。 そう言ってましたよ。

へえ…。
うん。 なんか プライベートでは

一緒に お風呂にも入ったとかって
言ってた。

いやいや 「一緒に」って…
一緒に湯船に入らないですけど。

まあ あの頃ね
ずっと共演してて

本当に 家族のように
お付き合い…。

すごいわね。 野際さん 陽気な…。

ああ これはね ドラマのロケで
ハワイのロケ行った時に…。

オフショットですね。
プライベートでっていう。

この時に
お風呂に入るわけですよ。

僕の目の前に
バスタオル1枚 こう 巻いて

平気で横切っていくんですよ。
その話。

だから もう
男としては見てないし…

なんとも思われてなかったですね。
フフフフ…!

本当に 家族みたいな状態だった
っていう事です。

家族だと思いますよね。
でも 本当に残念だった。

私 野際さん
一番 仲良かったんですよ。

そうですよね。 長いですよね。
なんか 本当に…

2017年の6月ですか
81歳で お亡くなりになった。

もう… 亡くなる3カ月前にも
ごはん食べた?

そうですね
3~4カ月前だったかな。

もう 全然 普通に…。
わからなかったでしょ?

いやいや 病気の事は
存じ上げてたんですけれども。

で…。

でも 普通に ワイン召し上がって

お話しして
いらっしゃいましたからね。

ちょっと 急でしたね。

まあ ギリギリまで テレビにも
出てらっしゃいましたのでね。

そうですね。
うん。

まあ 本当に
良くしていただいたし…。

冬彦さんの親子関係は
相当なものでしたよね。

ええ。 あの役は やはり

ずっと向き合い続けなきゃ
いけない事でしょうし。

まあ それは
誇りに思ってますけれどもね。

一生懸命やったし。

何よりも 共演者とスタッフに
恵まれたからこそ

できた事でっていうのも。
冬彦さん… 今でもね

みんな 「冬彦さん」って
言うぐらいだから。

野際さんも あのお母さん
やったのは よかったってね

いつまでも言ってましたから。

ああ そうですか。
そうですよ。

それは うれしいですよね。
ずっと そう言ってましたね。

それで あれで
彼女も 別れる決心ついて

別れたんでしょ 旦那様と。
冬彦さんがうまくいったんで

あの線でいけば
大丈夫っていう事で…。

どっちがよかったんだろうな。
ハハハハ…!

わからないけど。
でも よかった…。

彼女はよかったでしょ
仕事 いっぱい できたしね。

そうですね
お忙しかったですもんね 本当ね。

最初にお会いした時は
まだ50代だったかな。

そうですかね。
でも あなたはあなたで

66歳っていうと 大杉漣さん…。
はい はい。

ねえ 66だったんですってね。

あの… 大杉さん…

そうなんですね。
今回 だから

病気にかかって
66っていう年の時に

やっぱり 大杉さんの事が
よぎりましたよ。

でも 大杉さん やっぱり
亡くなったの 本当にショックで。

もちろん 同年代のね 俳優たち…
俳優さんたちっていうのは

やっぱり この年になってくると

仲間意識の方が強くて。
そうですよね。

友情っていうと
ちょっと あれですけど。

でも やっぱり
友情になるんじゃないですかね。

お互いにわかり合える何かが
やっぱり あるなと思います。

大杉さんは
特に 音楽がね お好きで…。

そうですってね。
ええ。

これは 吉祥寺音楽祭って…。

向こう側があなたで
こっち側が大杉さん?

漣さんで。
一緒にやろうっていう事で

漣&史郎っていう
デュオを組みまして。

本当に?
まあ まあ…

1回だけだったんですけれどもね。
まあ でも

共演も多かったですしね
漣さんとは。

何かと 音楽の話もできたし

楽しかったですね。
ねえ。

でも そういうお友達が
いたっていう事が幸せでしたね。

そうですね。

とにかく あなたのおうちは
みんな 音楽好きなんですってね。

ああ 我が家ですね?
ああ… はい はい。

まあ もともと 妻と一緒に
バンドもやってましたし。

奥様 女優さんでも
いらっしゃるんでしょ?

そうですね。 そんなに 積極的に
やってはないですけれども

まあ まあ でも
お声掛けいただけたら

やるというような感じで。
いいですよね。

でもね 家族 そんな…
娘も一緒になって

バンドやれるなんて。
まあ それこそ

その冬彦の役をやってた頃に
娘 生まれたんで。

あれから30年近いですからね。

あら! そんなですか?
イヤですね。

まあ まあ でも
娘は ドラムたたいたり…。

今は 別のバンドやってて。

かみさんとは
昔 一緒にやってたんだけど

ちょっと こう 音楽性の違いで…。
フフフ…!

解散して。
話が合わなくて? うん。

それぞれ みんな 違う音楽活動を
してるっていう状態です。

まあ でも 聴く分にはね

センスは やっぱり
共通してるところあるので

食事しながら音楽の話とかは
よくしますよ。

それ 話するさ…
芝居の話もできるでしょうけど

そういうね お話のできる内容が
あって いいですよね。

音楽の話 多いかもしれない…。
ああ そうですか。 へえー。

ただね 僕がギター弾いて… 娘が
ギター弾いたりしてるんですよ。

あっ 怒られちゃうかな? これ。
まあ いいや。 ギター弾いてて

そこに 僕がギターを持って
加わろうとするとやめるんですよ。

フフフ…。
なんかね この… なんだろうね。

イヤなの?
イヤ…。 まあ たまにあるかな。

でも ほとんど…。
やらない?

照れくさいのかなんなのか
わかんないけど。

面白いですよ そういうとこがね。
そうそう。

音楽に関しては
なんかあるんですよね みんなね。

音楽だけは譲れないっていう
ところがあるのかもしれない。

確かに。 まあ 好きなものは
それぞれ はっきりしてますよね。

でも これから しばらく
治療は続けるんですって?

もちろん そうですけれども
まあ やれる事をやって

この治療を乗り越えれば
まあ あとは経過観察しながら…。

大変ですね
そんな思ってもいない… 突然ね。

本当にね。 でも まあ…

こうした経験がね

生かせるように…。

仕事にも私生活にも

やっぱり 生かせるように
しなければと思うし

ちゃんと向かい合う事を

いやが応でも
しなきゃいけないわけですから。

それは 生半可な事ではね
いけないですし。

まあ あとは 何よりも日々が…
一日一日 一瞬一瞬が

ありがたく
感じれるようになるのは

やっぱり… うーん 本当に…。
そうですよね。

なかなか わからない事ですよね
元気な時には。

そうそう。 一回
そういう病気なんかしたりすると

毎日が あっ 今日も元気だって…。
いやいや 本当にそうですね。

幸せっていうね。
ええ ええ。

そうじゃないと
そんなの当然の事でね。

いつまでも元気でいるような気に
なっちゃうんですよね。

そうですよね どうしても。
うん。

気だけは若いつもりでいるからね。
本当 本当。

体は やっぱり ついていかなく
なってくるんですね。

でも 俳優の仕事が好きなんだ
って事は

おわかりになったんですって?
思いました やっぱり。

それでも いろいろ問題あります。

この俳優さんは やっぱりね
なんだかんだいって

何十年やっても乗り越えられない
壁っていうのがあって。

それと向き合うたびに

「ああ やっぱりダメか」って
思ったりね。

それでも出かけていって やる。

「また ダメか」「まだ 行こう」
っていう…。

その現場に行けなくなる
っていうのは やっぱり 辛い。

そうですよね。
だから 病気やなんかでね。

でも 退院して
お声掛けいただいて

「行きたい」「演じたい」って
思った時に

「あっ 好きなんだな」って。

「好きなんだな」?
うん。 思いましたね やっぱり。

今度の『言霊荘』っていうのが

怖いですよね 題名が。
これがね…。

ホラーっていうのがね。
そう。

「ええー! しかも“言霊”?」。

言った事が
そのとおりになるみたいな…。

なんか 霊が出てくるしさ。
イヤだね。

「いや どうしよう…」。

でも やりたいと思ったんですよ。

っていう事は 結構
元気なのかもしれないっていう。

まず ちょっとエネルギーが

湧くような気持ちも
あったんですよね。

(岩戸志麻)「我々は
寄り添うべきなのかもしれません」

(夏目三葉)「私が悪いの。
空さんを裏切ったから」

(須貝 空)
「嘘が魅力的なほど作品は輝くの」

もともと皆さんの
イメージどおりかもしれないけど

そういう幻想怪奇の世界とかね
ホラーとか好きなわけですよ。

お好きなの?
元気な時はね。

入院中もね
たっぷり時間があるから

本も読めるなと思って。
そうした幻想怪奇文学とかも

持ち込んで読んだけど 体悪いし

こんな状態の時に
あの世の話とか死ぬ話とか

なんか やっぱり
読みたくないんですよね。

そうですよね…。
なんで こんな当たり前な事に

気が付かなかったんだろうと
思って…。

全然 もう 読めなくなっちゃって。

だから 徹子さんのように

これからは病気を乗り越えて

80 それ以上
もっと もっと元気に

仕事ができるようにしなきゃ
っていう

言葉で言えばそうなるっていう。
そうですよ。

それと だんだんね…
おじいさんの役の人が

今 いないから。

長生きして
おじいさんの役 やれるように。

もう すでに
おじいさんの役はやって…。

まあ そうですよね。
だんだん やっぱりね…。

そのためには やっぱり
仕事ができるような体で…。

そうよ。 おじいさんやるのでも
元気じゃなきゃ

おじいさん やれないですから
やっぱり。

ドラマ始めた頃に浜村淳さんと…。
まあ! 懐かしい!

ご一緒して
もう 90歳ぐらいだったですよ。

その時
共演させていただいた時に

僕の手をギュッと握るんですよ
リハーサルから。

ものすごい力強さなんですよ。

もう 120パーセントの力で
演技を僕にぶつけてくる…。

すごいなと思って。

こうならなきゃって思ったのを
思い出しました。

なるほどね。
あの方もいい俳優でした。

俳優の仕事っていうのは やっぱり
一生できるし こんなに…

90になってもすごいんだ
っていうのを目の当たりにして。

思い出しました その事を。
本当ね。 頑張って。

でも 病気後
撮影所にお戻りになったら

いかがでした?

まあ 何よりも… 最初はね

正直 できるかな? と思いました。

「せりふって
言えるんだろうか」とか

「ちゃんと 正確に
反応できるんだろうか」とか。

すごく不安でした 正直。
うん。

でも
「テストいきます」っていうと

もう 体 フッと戻っちゃうんでね。
そうですよ。

すっかり 病気の事とか忘れて。

その間は
全く忘れちゃうんですよね。

で 終わると
やっぱり ちょっとね…。

ガタッとする?
うち帰ると やっぱり

少し疲れたりはしましたけどね。

まだまだ?
はい。

相当 おじいさんやるまで
まだ だいぶ時間あるから。

もっと変なじいさん やらないと。
本当 本当。

…と思ってます。
そうですよね。

あんな元気だった人なんでね。
その分も…。

その分もね 頑張りましょう。

じゃあね。 本当 お元気で…
ありがとうございました。

ありがとうございました。
ありがとうございました。

『徹子の部屋』は

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