出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 岡村孝子[解][字]

~“急性白血病”と闘い…支えた家族&ファンとの絆~岡村孝子さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
「あみん」としても知られるシンガーソングライターの岡村孝子さんが番組初登場。今日は、2年前に“急性白血病”を公表し、闘病を続けてきた日々を告白する。
◇番組内容
消化器系の健康診断で白血球の数値に異常があると判明し、検査の結果“急性白血病”を宣告されたという。岡村さんは大学生の一人娘をもつシングルマザー。「50代で死ぬわけにはいかない」と思いつつも、闘病のつらさで何度もくじけかけた。そんな時、前向きにさせてくれたのが同居する母親と娘。そして「女性への応援歌」を歌い続けてきた岡村さんのために多くのファンが支えてくれ、それが励みとなって病気と向き合えたと語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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  1. 本当
  2. 気持
  3. 毎日
  4. 退院
  5. 感謝
  6. 治療
  7. 大変
  8. uh
  9. 今日
  10. 最初
  11. 全然
  12. 闘病
  13. アルバム
  14. お手紙
  15. カ月
  16. コンサート
  17. スタジオ
  18. ステージ
  19. ダメ
  20. ベストテン

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

♬~「あなたの夢を」

♬~「あきらめないで」

♬~「熱く生きる瞳が好きだわ」

(黒柳)2019年の春に
急性白血病である事を公表し

闘病生活を送っていらした

シンガー・ソングライターの
岡村孝子さんです。

私は あみんの頃の岡村さん
よく お会いしていましたが。

どうぞ こちらへ。

壮絶な病との闘い

それを支えてくださった
ご家族の絆など

たっぷり伺います。

どうも しばらくでした。

初登場です。
さっきも申しましたように

あみんの時代にお会いした
『ベストテン』では…

あれ 39年ぐらい前の事
でしたけれども。

でも 『待つわ』の頃が
懐かしいですね。

もう 二十歳の時なので
本当に だいぶ前ですけども。

♬~「かわいいふりしてあの子」

お世話になりました。

懐かしい。

♬~「言われ続けたあのころ」

♬~「生きるのがつらかった」

♬~

当時は 名古屋の大学生?
はい。

テレビ出演の時には

そのたびに 東京に…?
『ベストテン』の時なんか。

はい。 授業を大学で受けて
終わってから新幹線に乗って

で テレビに出させていただいて。

泊まる時もあるんですけど

次の日が試験とかだと
ハイヤーで送っていただいて。

大変。

翌朝 学校で試験を受ける
というような毎日でした。

まあ 『待つわ』が
大ヒットだったんで

どうしても
『ベストテン』では 何回も

毎週毎週 お出になる事で。

それで 結局 あみんの活動は
1年半で休止なさって

そのあと ソロに。
はい。

岡村さんの曲は
女性への応援歌という事で

もう 大評判でした。

あの時は どんな気持ちで
曲を作ってらしたんですか?

そうですね
結婚するまでの時期は

こう 夢とか希望とか
理想とかがあって

そこに向かって 真っすぐに
突き進んでいる感じで書いていて。

そこから 結婚とか出産とか
いろんな経験をしてからは

ふがいない自分に
むち打つつもりで書いたりとか

あとは なんか そうやって

ちょっと つまずいたり
転んだりするたびに

ああ 今 私は生きている
とか思いながら書いてます。

そうですよね。 歌にも
そんな風に あなたの生活が

反映してくるんだと
思うんですけども。

2年半前に 急性白血病という…。

そういう事で
世間は驚いたんですけども。

どういう事から
それが わかったんですか?

えっと… 私は もう 本当に
健康だけが取りえだったので。

えっと…
コンサートツアーがあったり

レコーディング…
『fierte』という

アルバムの
レコーディングがあって

そのあと ちょっと疲れてたので

家族で 兼六園って…

旅行しようという事で はい。

兼六園へ行って 歩いてたら

足が なんか
上がらなくなってしまって。

で おかしいなって思っていて。

そのあと リハーサルで

歌わなければいけない事が
あったんですけど。

コンサートで 20曲 歌っても
全然平気なのに

その時は
たった3曲が歌えなくて

これは もう
疲れではないと思って…

たまたま 消化器内科の
定期健診があったので

そこで血液検査をして

なんか 血液が… 白血球が
すごく少ないよという事を

発見していただきました。
うん。

それで 結局 白血病であると?
まあ そういう…

たまに 白血球が少なくなったり
多くなる事はあるんで

じゃあ もう1回
再検査をしましょうという事で

その結果 これは もう
白血病に違いないというか

確定されて 告知をされました。

あなたは お嬢さんと お母様と

3人で暮らしてらっしゃって…。
はい。

それを聞かされた時は
どんなお気持ちでした?

母に手伝っては
もらってるんですけど

シングルマザーなので…。

いやあ まだ…
その時 大学生の娘を残して

今 死ぬわけにはいかないと
思って。

でも もう 頭真っ白でした。

そうでしょうね。
はい。

でも なかなか その病気に
向かい合うっていう事が

できなかったんですって?

1週間ぐらいは信じられなくて
毎日 先生に

「本当に白血病ですか?」って
聞いてました。

なんか いろんな治療の事を
聞いていたら

もう このままでもいいかなって
一瞬…

そんな つらい治療するんだったら
もう いいかなとか

一瞬 思ってしまったり
したんですけど

娘が 家に帰った時に いろいろ…

「疲れとかストレスに
気付いてあげられなくて

ごめんね」って
こう ボロボロ泣いて。

でも 私のために 闘病…

治療をしてくれって事を
言ってくれたので。

自分のためだったら
ちょっと しんどいけど

娘を残しては死ねないので
治療しようかなと思いました。

まあ なんていうのかしら

怖いっていうか…。
怖いですね。

どうしたらいいかしらって
お思いになったのは

とっても よくわかります。

いろんな事が
あったと思うんですけど

とにかく
2019年の4月に入院なさって

抗がん剤治療…。
はい。

目標が やはり 治療して
完治したい… 完治して

もう一度 ステージに立って
歌いたいという事だったので。

そうすると 抗がん剤だけでは
ちょっと無理で

臍帯血移植…。

ここに 中心静脈カテーテル
っていうのが…。

胸のとこに… 首のとこに?

首に15センチぐらいなのを
いつも入れて

そこから 抗がん剤を

投与してたんですけども

その抗がん剤が
全部 終わったあとに

臍帯血移植というのを…

ここから注入するんですけど。

首のとこから?
はい。

その薬の副作用で
随分 吐いたりとか…

大変だったんですってね。

最初の抗がん剤は… 最近
すごく 吐き気止めが優秀で。

そうなんですか。
はい。 全然 吐かなくて。

意外と大丈夫だなと
思ってたんですけども

臍帯血移植の前に
白血球をゼロにするので

それは やっぱり…。

抵抗力が全然なくて
もう 毎日 吐いたり…。

トイレまで行く距離が
歩けなかったりとか。

大変。 でも あれですよね。

無菌室で お一人で

耐え難い…
閉塞感っていうんですか。

なんていうか 1人でね
いろんな事を…。

気持ちが どんどん
落ち込んでいくだろうと思うから。

そういうの
どうやって立ち直りました?

えっと…
5カ月間だったんですけども。

うわあ… 5カ月?

風も何も… 日も当たらないし。

ちっちゃな窓はあるんですけど

そこの前に 素晴らしい景色が
見えるとかではなく

何も見えないので
今 季節がいつかという事も

春に入院したんですけど
全然わからなくて。

お掃除の方が 「今日は暑いから
病室にいて正解ですよ」とか

言ってくれたり。

あと 退院する時に 風…
秋風を受けて

ああ 今 秋なんだって
わかるぐらいで。

全く わからない中に
1人きりでいたりして。

でも お母様が 毎日 病院に

洗濯物 持ってきて
くださったんですって?

はい。 身の回りの洗濯物を
届けてくれたり。

あと やっぱり
どうしても 死なさないというか。

心配で心配で
顔を見にきてくれたりしました。

お嬢さんは どんな風でした?

あの もう…
なんか つらいなと思って

先が見えないなって思ってた時は

「退院したら きっと
コンサートをするに違いないから

セットリスト 決めたら?」って。
入院する前に出した

『fierte』という
アルバムの…

アルバムを入れてくれて。

「セットリスト 考えたら?」って
持ってきてくれたり。

結構 なんか 前向きな…
お尻をたたいてもらってました。

それから ファンの方が
何しろ 大変…

応援で 千羽鶴とか お守りとか

たくさん
送ってくださったんですって?

もう 千羽どころか

万羽にもなる鶴を
送ってくださったり。

優しいわね。
それから

七夕の日に
七夕ツイートって…

「元気になってください」とか

みんなで 「頑張れ」っていう
ツイートを たくさんしてくれて。

こういう お守りを
もらってきてくれたり。

そういう
いろいろな方の支えが

なんか 遠くに… 無菌室にいると
何も見えないんですけど…。

2019年の9月末に
退院なすったそうですけども。

随分 長い事… 何カ月?

5カ月…?
5カ月ですね。

本当に… やっと帰ってこれた。

もしかしたら 年を越したら
私 いないかもしれないって

入院中に何度も思ったので。
ああ そう…。

はい。 うれしかったです。

おうちに帰れた時はね。
はい。

でも 食事制限があって

ダメなものが
ものすごく多かったんですって?

そうですね。
本当に免疫が落ちているし。

最初 退院しても 免疫抑制剤
というのを使っていたので

生野菜とか 生ものとか

ヨーグルト… みそとか発酵物
ダメだったりとか。

ケーキが大好きなんですけど
生クリームがダメで。

ええー。

野菜とかも サラダ ちょっと
ゆでてあったりっていうもので。

逆にいえば
何を食べていらしたの?

普通に調理してくれたものを

30分とか1~2時間以内になら
食べてよかったりとか。

あとは カップラーメンとか

火を入れるものとか大丈夫でした。
そう。

でも 非常に 食べられるものは
限られてるでしょうから。

なんか 次第に 体力がなくなって
マイク持つのも重くて

マイクが持てないぐらいに
なったんですって?

どのぐらい
今 私は声が出るかなと思って

退院してから2カ月目ぐらいに

スタジオで
声を出したんですけども

まあ 思ってたよりは
声は出たんですけども

そのあと 1年後ぐらいに
コンサートをしようと思って

スタジオで マイクを…

ライブだから持たなきゃって事で
初めて持ったら

あれ? こんなにマイクって
重かったっけ? って思って

ビックリしました。
でも やっぱり

歌いたいっていう気持ちは
ありました?

あの… どうしても 戻って

ステージに立って歌いたい
というのが目標で

闘病する事ができたので…。

やっぱり 歌が好きなんだなって
退院して歌った時に思いました。

というか 昨日と変わらない日常が
続いていくって

こんなに素晴らしい事なんだな
って思いました。

9月7日に… この間の。

1日限りの復帰コンサートって
なさって

本当に
久々のステージだったんだけど

どうでした? その時は。

リハーサルから もう 感動して

今… 本番に お客さんの顔 見たら
泣いちゃうかなとか

いろいろな事 考えて。

もう リハーサルで
大泣きをしてしまっていたので。

本番は ちょっと…
泣いちゃったあとって

ちょっと
眠くなっちゃうんですけど。

なんか そんな穏やかな気持ちで
歌えたんですけど。

でも 最初は
前のお客さんと目が合うと

泣いちゃうかなと思って

最初の1~2曲は
なるべく目を合わさないように

上のほうを向いて歌うようにして。

徐々に
皆さんと目を合わせながら

戻ってきましたっていう感じで。
はい。

でも お客様も
喜んでくだすったでしょう?

喜んでいただいたり。
なんか 前のほうの方で

一緒に涙ぐんでくださってる方が
いらっしゃいました。 はい。

本当。 実は 今日 スタジオで
歌ってくださるというので

とても楽しみにしています。
はい。

そろそろ 準備していただいても
いいですか?

はい。
それじゃあ

今日 岡村孝子さんに
歌っていただきますので。

移動します。
では…。

闘病を見守り
応援してくださった皆様に

感謝の気持ちを込めて
歌っていただきます。

『夢をあきらめないで』。 どうぞ。

♬~

どうも ありがとうございました。

♬~

(拍手)

(拍手)

どうも ありがとうございました。
ありがとうございます。

声は変わらないのね。
いえいえ…。

いや だんだん 年齢とともに
太くなってくると思いますが。

まあ 大変な日々を乗り越えて

今日いらしてくだすった
わけなんですけど。

今の思いを新曲に
お入れになったそうですけど。

どんな新曲?

『女神の微笑み』という
曲なんですけども。

本当に 闘病中に たくさんの方に
支えていただいたり

励ましていただいたので

皆さんに感謝の気持ちを込めて
作りました。

その録音に お嬢さんも
参加なすったんですって?

はい。 初めて コーラスを
してもらったんですけども。

この『女神の微笑み』
という歌は

どこを切っても
本当に実話ですという

この2年間の闘病…

病気になってから今までの事を
歌った歌なんですけども。

えっと なんていうか…

生きてる証しじゃないですけど

なんか 娘にも 全て…
それからの仕事の様子とか

毎日を見届けてっていうか

一緒に
なんか 感じてほしいなと思って

初めて
コーラスをしてもらいました。

あっ そうですか。
ちょっと聴いてみます。

♬~「uh uh uh uh」

♬~

はい。
やっぱり いろんな思いが

あったでしょうね
お歌いになった時。

そうですね。

本当に 皆さんの励ましとか
支えがなかったら

戻ってくる事ができなかったので。

これからは そういう 皆さんへの
ありがとうの気持ちを

たくさん書いていったり…。

そういう時間を
与えていただけたので

なんか 感じた事とか
瞳に映る事を

全力で歌に変えていきたいなと
思っています。

実は お嬢さんから
お手紙をいただきましたので

ちょっと そのお手紙を
読ませていただきます。

いいですか?
はい。

お嬢様の手紙 読みます。
はい。

…というお手紙です。
はい。

なんか 普段
そんな優しい言葉を…。

フフフフ…。

家の中では 私も感謝の気持ちを

母にも娘にも
伝えなければいけないけど

なかなか言えないので
うれしいですね。 はい。

だから こういう… お嬢様も

普段 おっしゃれない事を
手紙に託してくださって。

あとで お渡しいたしますけども。
はい。

それだけの病気を乗り越えて

人生観に
なんか 変化はありましたか?

あの… もっともっと
感謝の気持ちを持って

毎日を重ねていけたらいいかな
というか

もう 本当に この瞬間を
大事にして… 重ねていって

フッと気付いたら

5年経ってたとか
10年経ってたって…

完治してると
いいかなと思います。 はい。

来年は もう 還暦に
おなりになるそうですけど。

還暦なんて言うと
ものすごいけど。

まあ 還暦になって

やっぱり 目標みたいなものって
ありますか?

いや なんか…。 なんか その…。

そういう年齢って
まだまだ先の…

本当に ずっと大人な年齢だと
思っていたので

全然 まだまだなんですけども。

本当に 毎日を 楽しく重ねて
感謝の気持ちでいけたら

いいかなと思っています。
そうですよね。

これからも素敵な歌を
どうぞ歌い続けてください。

本当に よかったですね。
おめでとうございました。

どうも。
ありがとうございます。

『徹子の部屋』は

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