出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 佐久間良子[解][字]
~女優生活支えた母が102歳で逝き…~佐久間良子さんが今日のゲストです。
◇ゲスト
佐久間良子さんがゲスト。
◇番組内容
今年4月に最愛の母を102歳で亡くした佐久間さん。高校卒業後、東映に入りすぐにスター女優になった佐久間さんが、過酷なスケジュールでも体調崩さなかったのは、料理を作り深夜になっても寝ずに待っていた母のおかげだったと語る。最近、娘一家が保護犬を引き取った。あえて過酷な状況で飼育されていた犬を引き取ることを選び、その意味や責任について話す娘と孫のやりとりを見ていて、孫の成長に驚かされたという。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- 保護犬
- オペラ
- ギャビー
- ヒマワリ
- 映画
- 全部
- ブナ
- ミミ
- 刺繍
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(黒柳)今年4月
女優生活を支えてくださった
102歳のお母様が
お亡くなりになりました。
さらに
愛犬が亡くなっちゃったとか
まあ 大変な事もありましたけど。
小学生のお孫さんが
頼もしく成長していくのが
うれしいという
佐久間良子さん
今日のお客様です。
どうも
よくいらしてくださいました。
どうも しばらくでした。
ねえ。
ねえ。 本当 お元気そうで。
さっきも申しましたように
4月に お母様 102歳で
お亡くなりになったんですけど。
大正生まれで
大正 昭和 平成 令和と。
そうですね。
よく… フフフフ…。
で 最後まで
ご自分の事は ご自分で
なさってらしたんですって?
そうですね。 もう 本当に
頂く事が好きでしたから
歯も丈夫で 入れ歯がなくて。
すごい。
それで
まあ できるかぎり
自分で色々作ってましたね
食事… 頂くものは。
すごい。
おかゆとかじゃなくて
普通のご飯で
なんでも召し上がってた…。
ええ そうです。
すごいわね。
でも 弟さんのご夫婦と
ご一緒に暮らしてらした。
そうです。 ええ。
それじゃあ 安心よね。
ええ 安心で。
あっ そう。 でも このコロナで
お母様と会う回数は
減ったんですって?
そうですね。 やはりね あんまり
会う機会が少なかったですね。
でも まあ 弟夫婦が
すごく よく見てくれて。
で まあ 私も
たまに行きましたけどね
あんまり…。
まあね。 でも すごいわね。
お母様 102歳で お一人で
身の回りの事 全部なすって
それで お亡くなりになったんで
本当に 大往生っていう感じ…。
そうですね。
まさか 102歳までとは
思いませんでしたけど
本当に 最後までね 自分の事は
自分でしてましたからね。
弟夫婦にも
それほど 迷惑をかける事はなく。
そうね。 だって ご自分で
100歳を過ぎても
お食事も お風呂も
お家の中で身なりを整えたりも
全部 ご自分で…。
まあ 昔の人ですからね
やっぱり 昼間…
どなたか見えなくても
やっぱり
きちんとお化粧して。
そうですって。
口紅なんかも
ちょっとお付けになって
なんていうの?
パジャマでいたりなんかする事
ないんですってね。
そうですね。
すてき。 ねえ。 奇麗なお母様。
お写真も今 拝見したけど
奇麗なお母様。 そう。
だから 少ない人数だったけど
お葬式も
ちゃんと できたんですって?
そうですね。 やはり
たくさんは できませんでね
いらして頂けなかったですけど
もう 本当に身内です。
見送りました。
でも
形見分けも あなた なすって
お母様が90歳になってから始めた
刺繍があったんですって?
そうなんです。
それ フクロウなんですけど
すごくおめでたいもので。
これ そうなの?
そうです。
これ 刺繍ですか?
刺繍です。
すごい。
可愛い。
フフフフ…。
これ お母様が…。
はい。
今 私の寝室に飾ってあります。
あら 可愛い。 随分 可愛いわね。
フフフフ…。
これ 刺繍なの。
ええ。 でも 90でしたからね
目が… ねえ。
ねえ。 すごい。
それから やっぱり
なんか 可愛らしい感じですね。
そうですね。
これは お花ですよね。
まあ 細かく…。
奇麗。
フフフ。
ねえ。 奇麗なお花。
あら お上手ね。
フフフ。
まあ 手先が割と器用で
そういう事は好きでしたね。
ねえ。 すごい。
でも 長生きの秘訣は いつも
笑顔でいらしたんですって?
そう。 それと 明るい人ですから
いつも 鼻歌 歌って…。
あっ そう。
なんか オペラの歌も…。
そうそう そうそうそう。
それから 私が小さい頃ね
夕飯の支度をする時
母は大きな声で
オペラのアリアを
歌ったりしてましたから。
それで
なんか 私も覚えたりしました。
でも すごいですよね。
そういう時に
オペラのアリアをお歌いになる
っていうところがね やっぱり
好きでいらしたんでしょうね
オペラ。
これ あなたかしらね?
抱かれてらっしゃるの。
そうですね。
ねえ。
ふーん。 可愛い。
もう 本当に
その時代でしたからね
いつも着物でしたね 母は。
本当ね。 すごい。 へえー。
これは どなたを
抱いてらっしゃるところ?
これ 妹です。
あっ それで 下があなた?
そうそうそう…。
ふーん。
奇麗なお母様。
ねえ。 ああやって
なんの苦もなく
スッとお着物…
和服をお召しでいらしたのね。
そうですね。
昔はね。
可愛い。
でも お母様っていう方は
一日に 当時は あなたが3本も
掛け持ちしなきゃならないぐらい
忙しい
映画の主演を
やってらっしゃる時に
夜 お帰りになっても
寝ないで待っててくだすった…。
まあ そうでしたね。
必ず… 大体 もう
映画の時は3本ぐらい…
主役じゃなくても
掛け持ちで
どなたかのお相手とか
ありましたからね 東映の場合。
朝9時 開始に…
セットが始まって。
そうすると 12時までで。
1時から違う組で。
それから 3時頃までで。
あとは次 5時までですから
3本ぐらい掛け持ちなんです。
それで 深夜にもなるんですけど。
必ず もう どんなに夜遅くても
母は待って…。
あっ そう。
温かいものなんか
作ってくださったりして。
またね
作る事が好きでしたからね。
で 自分が食べる事も
好きでしたから。
でも スタッフの皆さんにも
ごちそうを作ってくださった…。
そうですね。
あの頃は1本 作品が終わると…。
まあ 撮影所と家が近かったから
だから 皆さん お寄りになって
打ち上げやなんかは
家で したり…。
あっ そう。
はい。
そういう時に お料理が上手な
お母様だったりすると
うれしいですよね。
まあね 手作りでね。
その頃は本当に
外から取るなんていう事が
なかったから 手作りで。
家にあるもので
随分 やってくれました。
ねえ。 でも あなたは
お子さんに双子がいて 双子の…
もう大きくなっちゃったんだけど
男の子と女の子の双子で。
これは ちっちゃい時だけど。
可愛かったわね この頃ね。
フフフフ…。 で 大きい方の人は
平岳大さんというお名前になって。
今 あれですってね
ヨーロッパとか
カナダで… 活躍…。
そうですね。 ヨーロッパで…。
この夏 ずっと
イタリアで撮影をして
それが終わって
今度 9月から
なんか カナダで
来年までかかる作品って…。
あら すごい。 随分すごいわね。
でも 前 ニューヨークに
いらしたんだっけ?
ハワイです。
ハワイか。
でも ほとんど
ハワイには帰れないで 撮影で。
でも… だから とにかく
英語はできるので 外国映画…。
すごい。 そうか。 自宅に
いらっしゃるので あなたが
孫には なかなか会えない。
会えないんです。
そうです。 岳大の方の孫には
なかなか会う機会がないです。
お嬢様の方のお子さんには
会える?
そうです。 フフフフ…。
日本にいらっしゃるからね。
はい。
そうですか。
お嬢さんの方にも
2人 子供がいる。
ええ。 岳大の方は1人ね。
あっ 岳大さんの方は1人なのか。
で 娘の方には男女の… 1人ずつ。
あっ そうか そうか。
でも 岳大さんの方は なんか
なんにもしてくれなかった
みたいな事を
あなたに おっしゃるんだけど
あなた ものすごく
色々なすったんですって?
岳… 岳って言ってますけどね
…はね よくね なんにも…。
私が仕事で忙しかった時には
食事は あんまりしてくれなかった
なんて言いますけど
それなりにしましたよ 私も。
そうでしょう? そうですってね。
それなりに随分したはずなのにね。
でも… お母様の手も借りずに
頑張ったのに。
フフフフ…。
子供の前で台本を広げた事もない
っていう。
あっ 私はね… そうです。
それだけはね
自分のモットーとしてね。
どんなに忙しくても
子供たちの前では
台本は広げないで
休んだあととか
寝てしまったあととか
それは しました。
そう。
それから フランス料理の
フルコースなんかも
お作りになって
みんなに振る舞ったりとか。
でも 子供たちはね
そういうのは
好きじゃないんですよね。
ハンバーグだとか カレーとか…。
だから 私が作ったのは
ちゃんと まあ…。
作ったにしても 自分たちは
作ってくれなかったっていう事が
すごく印象に…。
フフフフ…。
でも ちゃんと ハンバーグとか
カレーライスは作った?
子供用に。
そうですね。
でも あれね 大河ドラマを
あなたが おやりになって
1年間 本当に忙しかった時が
あったんですって?
そうですね。 本当に…。
ですから 大河
1年間 やらせて頂いた時には
大体 お稽古が…
NHKに通うのが2日で…。
もちろん 稽古で。
あと 本番が3日かかりますから
1週間のうち ほとんど…。
NHKいらして。
帰ってきても 次の週の台本で…
覚えなくちゃならない。
本当に そういう意味で大変で
うちの子供たちの面倒は…
あんまり
かけてあげられなかった事が
ありました。
その時はね。
ええ。
息子さんの岳大さんは
小さい時に…
お嬢さんと双子だったんで
小さい時にお会いしたけども
随分 もう大きくなって
大人になってね。
そうですよね。
もう四十いくつですって?
そうですよ。
すごいわね。
こっちがね 年を取りますよね。
まあね。 でも あなた
そんな変わらないと思う。
いえいえ…。
でも あれですよね
岳大さん 俳優になるって
決めた時に
平さんと岳大さんとあなたと
3人で共演みたいな…。
『鹿鳴館』ね。
そう。
あれは よかったですよね できて。
まあね 大変でしたけどね。
あの子が そのね 息子役なんて
本当に信じられなかったですから。
もうピリピリしてました 私も。
ねえ。 大変でしたね。
もう あれがきっかけで
この道に入るようになったんです
岳大は。
そうなんですってね。
そうですってね。
話 違うんですけど なんか あなた
とても可愛がってらした犬が
死んだんですって?
そうです。 本当にね…。
えーっと…
そうです。
5年… 5歳だったんですけどね。
すごい難病にかかって。
あら 可愛い。
本当にね 私と よく
お話をするような子でね。
あっ そうなの。
で もう本当に 私の心情が
わかる子で。
可愛がって可愛がったんです 私。
で 去年の8月…。 可愛いでしょ?
可愛い。 お人形みたい。
8月頃か… 去年ね 朝晩
犬の先生のとこへ行って
お注射して。
あっ そうなの。
それで… そして
最後は やっぱり駄目で。
あっ そう。
目も見えなくなってしまって。
で 最後は もう私が抱っこして。
そう。 抱っこしてたんですって?
それで もう 「ありがとう
ありがとう」って 私は言って。
それで ちゃんと それを あれして
あの子は息を引き取りました。
あっ そう…。
でも あれですよね
そうやって 最後まで…
ギリギリまで抱いて
できたっていう事はよかった…。
よかった… そうなんです。
まあ 私が仕事でね
出てた時じゃなくてね。
朝方でしたけどね。 そう。
でもね 最後まで
一緒にいてらしたんだとすると
まあね。
ええ。
本当
仕事に行ってらっしゃる時に…
誰もいない時なんていう時に
比べたらね。
そうですか。
まあ 子供の頃から
あなたは犬が大好きで。
ええ。 本当に小さい時からね
犬に縁があってね。
赤ちゃんの時は
シェパード飼ってたんです。
それから 小さい犬も…
マルチーズとか。
でも これ 可愛いじゃない
この犬も。
フフフフ…。 なんでしょう。
それで マルチーズとか
色々 飼ってるんですけど
その名前が ロロとかミミとか…。
フフフフ…。
母が ほら あれが好きでしょ。
オペラ?
だから ミミって あの…。
フフフフ…。
ミミとね…。
ミミ。
それから ロロは
ロロブリジーダと。
全部 母がそういうところから
つけるんです。
あっ そうなの。
あとは
ボルゾイを飼ってたんですけど。
ボルゾイ。
ロシアの犬で
これはギャビーっていうんですよ。
これもね 映画の中のギャビー。
ギャビー。
『望郷』という映画の。
そうそう そうそうそう。
うん。 で ギャビー…。
ジャン・ギャバン。
そうそう そうそう…。
それで母がギャビーって。
そう。 全部 母が…。
でも あれですってね
犬がいなくなったらば
お家が
広く感じちゃったんですって?
そうですね。
リズっていうんですけど
リーちゃんが死んでしまって…
マンションが
100畳ぐらいあったんです。
随分 大きい。
そうそうそう。
で もう 何も… これ以上…
リズもいなくなったから
じゃあ もう これ ねっ
思い出もあるから
もう少しコンパクトなところへ
っていう事で引っ越ししました。
あっ そうなの。 じゃあ 今は
こぢんまりと暮らして…。
そうそう そうそう。
で ものも減らして。
そう。
大変だったでしょ?
引っ越しはね。
本当ね。
そう。 疲れます。
で 昔からですから
映画の出演した時の台本?
130本ぐらいあるんですけど。
それ 全部 取ってあるわけじゃ
ないですけど
まあ これっていうものは
取ってありましたし。
そのあとに テレビもあって
これも たくさん。
その上に また 舞台のでしょ。
もう 部屋が満員なんですよね。
でも これあっても
しょうがないと思って片付けて。
大量のものを処分なすって。
特に着物なんかも
お嬢様にあげようと思ったけど
いらないって。
もうね 裄がね…
娘の方が手が長いし 背も大きいし
全然 もう着られませんし。
本当に。
もう 全然。
へえー。
で 娘の… 孫ですよね。
孫も私の背と…
このぐらいありますから。
本当に。
そうなの。
すごい育ちが早いわね。
そう…。
ええー。
でも これからだと
犬を飼うのもなんだし。
そうですね。 あの子の事を思うと
私自身は飼えませんけれども
娘のところで… 保護犬?
うん。
犬を飼いたいっていう事で
保護犬を飼ったんですね。
で 一家で協議をして
飼いたいって。
それじゃあ 保護犬にしよう
っていう事で。
で 保護犬 飼って。
譲渡会
っていうんでしょうか。
なんか
そういうのがあって。
保護犬の事を…。
その中から譲って頂いて
今 いるんですけれども
娘のところに。
その子の履歴ですか
その子の小さい時から…
見るとね… これは まあ もうね
今 大きくなって…。
ちょっと やっぱり 体がね
普通の犬と ちょっと…
あれです 弱いですけど。
ここまで白くなってますけど
本当に あそこに出されてた時は
真っ黒だったんですよ。
あっ そう。
結局 繁殖犬として…。
子供産ませる犬にしてたの?
そうそう そうそう…。
それだから 檻の中で
あんまり シャンプーも
してもらえないし
それから お散歩にも ねえ
あれしてなかったんでしょう。
すごい厳しい中で
育った子なんですよね。
かわいそうにね。
それなんで 今 家にいて
子供が
よく面倒見てるんですけど。
来た時に…
生年月日がわからないから
来た時に
それじゃあ この日が
お誕生日にしましょうって。
で 名前をという事で
下のね 4歳の子が
「オモチちゃんがいい」って。
ハハ…。 オモチ?
自分がお餅が好きだから。
可愛い。
それからね 上の子は
4年生になるんですけれども
その子の昔の写真を見て
真っ黒けの。
つらい思いをしたんじゃないか
という事だと思うんですよ。
それを感じて
「ヒマワリちゃんがいい」って。
うん! 可愛い。
それは まあ…。
だから ヒマワリのように…
太陽のように明るく
育ってほしい
っていう事なんでしょうね。
「ヒマワリちゃんがいい」って。
「あっ いいわね」って。
でも ヒマワリちゃん
ヒマワリちゃんって
呼べないから しょっちゅう。
「ヒマちゃんにしましょう」って。
ヒマちゃん。 でも 可愛いわね。
可愛いわね。
でも やっぱり
なんていうのかしら。
その子にとって
生きるっていう事ですか。
そうですよね。
そういう事が大切だっていう事が
やっぱり… 認識してくれた。
小さくてもね。
だから そういう事でよかったかな
という… 保護犬を飼って。
そうね。
そんなふうに思います。
ねえ。 でもね
そういう小さい時に
つらい思いをしたんだな
っていう事が
子供たちにも
よくわかってるって事がね。
そうそうそう。
あなたの事は
なんて呼ばせてらっしゃるの?
グランマ。
グランマ。
同じですけどね おばあちゃん…。
でも ちょっとね。
でも まあ
グランマっていうとね。
ちょっとね。
おばあちゃんっていうよりはね。
フフフフ…。
言われた方がね。
うん。
最近のお家時間で
初めて 詩だとか文章とかを
書いてごらんに
なったんですって?
まあ 家にいる事が
多かったですからね。
前ね 今から…
そうですね 十何年前にね
秋田のね 知人のところへ
遊びに行った事があるんですね。
その方が秋田と青森に
ずっと県境を通して…
ブナの森っていう大きな…
今 もう
世界遺産になってますけど。
森があるんです それも広大な。
そこへ連れていってくれた時に…
その時にね ブナの木 見るとね
木から お水が湧き出てるんです。
それで 耳を当てると
すごく温かいし
音が聞こえるんですよ。
あっ そうなの。
その時… 行った時に
新緑の季節でね
木の芽生えがあって
すごく奇麗で すごく感動した事を
覚えてたんです。
で コロナでお休みの時
そんな事を思い出して
ああ そうだ あの時の事を
書いてみようかなと思って
詩みたいな事で。
もう幼稚なんですけど。
ちょっと 『ブナの森の物語』
という事で
ちょっと書いてみたんです。
これが そうなの?
まあ 私… グチャグチャに
書いてますから これは。
でも 可愛い。 『ブナの森の物語』。
でも 書は
前にやってらしたんですって?
前はね そういう…
やってましたけど
ここのとこ サボってますから。
でも あなた ちゃんと書いて偉い。
あと まだ 色々 ずっと…
あれなんですけど。
ええー。
なんか これ 西本智実さん?
指揮者の。
あの方のコンサートの時
おやりになったのって これ?
そうそう… そうそう そうそう。
それで これに ドビュッシーの
『夢』っていう音楽を
上に のせてくだすって。
それで 私が朗読して。
へえー。
ちょうど
ドビュッシーの『夢』が合って。
でも ご自分で
初めてお書きになった文章を
お読みになって
音楽 合わせたりして
よかったですか?
そうですね。 そんな事もやって。
まあ… フフフフ…。
そうね。 でも 楽しいと思う
そういう やった事ない事をね…。
そうそう。 やった事がないから。
ねえ。
演じる事ばっかりでね。
そうね。
ものを書いたりする機会が
なかったから
ちょうどいいかなと思って。
まあ 自分が体験した事だから。
そんな事をしたりして。
でも あれですよね
時代物なんか おやりになる時
やっぱり
座ったり立ったりとかって
大変でしょ?
そうですね。 立ち居振る舞いがね。
それでもって年齢が出ますでしょ。
そうそう そうそう。
よっこらしょっていうのは
してられないし。
そうそうそう。
だから 沢村貞子さんも
「80で女優は引退」って
おっしゃって
お辞めになったんだけど。
それは やっぱりね
立つ時に
どっこいしょってね
言わないと
立てなくなったんでね
それじゃ駄目だなと
思ったって
おっしゃってましたね。
あちらも やっぱり
お料理がお好きでいらしたから。
そうそうそう。
ねえ。
あなたも お料理
おやりになるでしょ?
まあ 好きですけど…。
でも お上手だったじゃない。
いつか あなたに
作って頂いたの
お宅で食べたわよ 私。
その頃はね
食べてくださる人がいますけど
今 いませんから。
そうか。
自分では なかなか…。
作っても 冷凍にして…
冷凍焼けしちゃうんです。
フフ…。 そうなの?
子供たちに作って
食べさせたりはしない?
そうですね。 もう…。
みんな
大きくなっちゃってるとね。
もうね 本当に早いですね。
ねえ。 本当ね
今 考えてみると。
うん。 ねえ。
徹子さんとも あの子たちが
こんな小さい時にね…。
そう。 お会いした時ね
まだね 2歳とか
そのくらいですもんね。
びっくりします。
ねえ。
でも お孫さんがいればね
またね…。
まあね。 そうです。
割と近くに住んでますから。
あっ そうなの。
どうも ありがとうございました。
『徹子の部屋』は
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