出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 落語家・桂吉弥[字]

~“養護学校”の教師だった父の背を見て育ち~落語家・桂吉弥さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
数々の賞を受賞し今大人気の落語家!朝ドラに“語り・黒衣”で出演し話題となった桂吉弥さんが登場。
◇番組内容
国立大卒業後、桂吉朝さんに弟子入り。その後、人間国宝・桂米朝さん宅で内弟子も経験。当初、吉朝さんという師匠がいるにも関わらず米朝さん宅で内弟子することを不満に思っていたが、米朝さんを知れば知るほどその偉大さを実感したという。父は養護学校、母は中学校の教師という家に育ち、自身も教師を目指していたが大学時代に落語と出会い進路変更。初め両親は反対したが、ある意外な理由で応援してくれるようになったと語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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  1. 面白
  2. 落語
  3. 米朝師匠
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  5. 師匠
  6. フフフフ
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  12. ハハハハ
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  15. 落語家
  16. 一番
  17. 学校
  18. 吉弥
  19. 今日
  20. 自分

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

今日のお客様は 朝ドラなどで

よくお見かけする方ですけども。

『おちょやん』でも 語り・黒衣役で

ご活躍なさいました

桂吉弥さんでいらっしゃいます。
どうぞ お入りください。

はい。

国立大学をご卒業です。

教員免許を
お取りになったんだけど

落語家におなりになった方です。

よくいらしてくださいました。
はじめまして。

よろしくお願いします。
どうも。

そして 人間国宝 桂米朝さんの
孫弟子として

お勉強なさった方でも
いらっしゃいます。

まず 朝ドラの『おちょやん』の
語りをなさった?

そうですね。
あの時 どんな感じでした?

ナレーション 語りで…。

普通は スタジオで
読むだけなんですけど

黒衣として実際に出て…
はい。

出演者の人が
いるんですけど

そこで いうたら 黒衣役で

舞台の進行を助ける
というので

実際にも出させて頂いて。
ええ。 じゃあ 面白い?

面白かったですね。
それは面白かったですね。

面白かったです。
ドラマも面白かったですけど。

で… 例えば チャップリンが
出てくるんですよ

チャップリンが初来日ですよ
なんて時には

淀川長治さん似で
ちょっと やってみようとか。

ええー。 あっ そうで…。
はい。

「チャールズ・チャップリンは
当時 日本では

変凹君なんて言われてました。
面白いですね」ってな事を言うて。

フフ…。 面白いですね。
そういうのを

ちょっと
遊びでやらせて頂いたり。

じゃあ 色んな事 冒険…。
そうですね。

そうですか。 国立神戸大学を
ご卒業でいらっしゃって

ちょうど50歳に
おなりになりましたので…。

数々の賞を受賞なさってます。

芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。

それから 文化庁芸術祭 優秀賞を
受賞していらっしゃいます。

その他にも色々と…。
はい。

吉弥さんには2人のご師匠が…
先生がいらっしゃるんですが

1人は桂吉朝さん。
はい。

本当に… あっ これ
吉朝の息子と一緒に…。

福井県で そば食べてる写真…。
フフフフ…。

もう 50歳で亡くなって 本当に…。
あっ そうなんですか。

はい。 もう亡くなって
16年になりますけど。

随分お早いですね。

だから もう
師匠の年に追いついたので…。

あらあら。
でも 本当に 上手で…。

いうたら
次の米朝になるような人やって

言われてたんですけどね。

芸に厳しい人でしたね。

ですから お稽古も
「何々を」とか 「何々は」とか

「てにをは」まで すごく直されて。
おおー。

「面白けりゃいいんじゃない」

「言葉を大事に大事にやりなさい」
っていうふうに…。

そういうとこね…

同じような意味でも
ちょっとのところで

「は」だと なんとかでは
違いますものね。

はい。
あっ そうですか。

で 米朝さん。
フフ…。 米朝師匠ね。

で うちの師匠の
吉朝のところに

内弟子させてもらおうと
思ったんですけど

うちの師匠の家が
狭かったもんですから…。

お家が。
はい。

「お前が来たら
俺が出て行かなあかんから」…。

フフ…。 面白い。
「米朝師匠のところに

若い人がおらんから
お前 米朝師匠のとこ行け」

って言われて 最初はね
ええー? と思ったんですけど。

だから 米朝師匠のとこで
住み込み 内弟子修業 3年…。

なんで ええー? と
思ったんですか?

いや うち…
うちの師匠に選んだ人…。

その時 本当に
申し訳ないですけど

米朝師匠のすごさを
知らなかったもんですから。

まあ ねっ ご自分で選んだ
先生の方が

いいと思った。
そうそう。 そうなんですよ。

で もう ええー? と
思ったんですけど 3年間。

いや ほんまに
うちの師匠には

よう 米朝師匠のとこ行けって
言ってくれたなと思うぐらい

今は感謝してますけどね。
米朝さん 今…。

何回も… 『徹子の部屋』は
4回 出て頂いたんですよ。

私も大好きな方でしたけれどもね。

すてきな
品のいい方でしたけども。

ちょっと 桂米朝さんが
こちらにおいでになった時

どんなだったかっていうVTRを
ご覧頂きます。

「この方のお顔を拝見したり

この方のそばにいただけでも
何か温かい感じが こう…

こっちの方に押し寄せてくる
っていう感じが致しますけれども」

「上方の落語を
どんどん復活なさるように…

大変なご苦労もありました。
でも お疲れは見えませんね」

「いつもお風呂に入ってらっしゃる
つやのいいお顔で」

「疲れてる。 疲れてるんですよ。
疲れてる」

「テレビの前へ出るとね やっぱり
顔が緊張するんやね ちょっと」

「映画スターでも

主役のスターの人は
男であれ 女であれ

常に見られてるという意識が
年中ありますからね

顔が緊張してますよ」

「これは やはり 老いを
ちょっと防ぐんやないかな」

「じゃあ 米朝さんだって
そうじゃないですか」

「みんなが見てる」
「いやいや

みんなが見てたって あんた もう
電車に乗ってる時なんか

もう こんななってる」
「フフフフ…」

「そしたら 知らない人が
“お疲れのようですね”なんて

声かける人はいません? でも。
そんな事はない…?」

「あれ 不思議にね 東京の方が
よく声かけられるんですね」

「どういう訳やろ?」
「大阪では そういうふうに人は…」

「あんまり…
かけられる事もあるけれどね」

「噺家に うかつに声かけたら

損するように思てんのかな?
大阪人は」

「ハハハハ…。 損する?」

「酒でも おごらんならんような
はめになれへんかなと思って

向こうは警戒してんのかも…」
「そんな事あるんですか?」

「面白いですね」

面白い。

まあ こういう方でしたけど
米朝さんって方は。

どんな方?
あなたがご覧になった時。

いや もう 本当に…
最初はね 吉朝に入門したのに

なんで こんなおじいちゃんの
車 運転せなあかんねんとか

カバン持ちせなあかんのと
思いましたけど

本当に 優しいて 温かくて
ほんで シャレてますし。

だから 落語が
とにかくすてきで。

あっ そうですか。
はい。

落語ってね やっぱり
フィクションなんですけど

その時代にっていうか
パッと こう…。

茶金さんが出てくる

『はてなの茶碗』いう話で。

京都の衣棚の道具屋さんに ねっ

「おい ちょっと 茶金さんに
会わせてえな」ってな事を言うて

「店が騒がしいが どないした?」
言うて 出てきただけで

もう 道具屋さんの…

「うわー
茶道具屋の金兵衛さんや」って

その世界になるんですよね。

いいですね。 フフフフ…。
いいですね。 なかなか…。

なんで そんな
変われるんでしょうね 急にね。

いや… やっぱりね
なんていうんですかね

僕らの落語も
面白がってくれましたし

若いヤツがやる落語…

今日は お前 どんな落語
やったんやっていうのを

内弟子やけど 外から帰ってきたら
聞きはりますし。

あっ そうですか。
テレビ見てても

「おい これ
『徹子の部屋』に出てる

これ 相手は誰や?」とかね。
フフフフ…。

僕 『紅白歌合戦』
審査員しはった時に

カバン持って
一緒についていったんですよ。

で 僕は座れなかったんで
舞台袖におったんですけど。

ほいで 全部 見終わって
米朝師匠に

「どなたが よかったですか?」
って聞いたんですね。

ほな 北島三郎さんも
出てはりますしね

演歌の大御所の方も
いっぱい出てはる…

誰 言うた思います?
わかりません。

「ああ そうやな」言うて…
タクシー乗っててね。

「うーん。 今日 一番よかったんは
安室奈美恵ちゃんやな」言うて。

フフフフ…。 すごい。

いや タクシーの運転手さんが
びっくりしましたからね。

「英語の歌でっせ」言うて。

「なんで よかったんですか?」
って言ったら

「あの子が歌ってた
歌詞の言葉の意味が

一番 よう わしには伝わったし」。
すごい。

「歌てる意味というか

気持ちが一番乗ってたな」
って言うて。

ふーん。

そういうところがね
すごいすてきやし…。

まあ いい人の… いうたら
内弟子ね できたなと思います。

なんか 米朝さんの
心に残るような言葉って

なんかあります?

僕が ちょっと 『ちりとてちん』
っていうドラマ 出たあとに

いっぱい お客さん
来てくれるようになりはって…。

ほんで
無料のイベントやったんですね。

で 僕が
お昼過ぎに出たんですけど

朝8時から
ずっとやってるイベントで

お琴やとか 三味線やとか
日舞やとかあって。

ほんで
前の方に座ってるお客さんと

後ろに立ち見のお客さんが
いっぱい いてはったんで

僕 出ていって
「あっ すいませんね

こんなに立ってもろて。
ありがとうございます」

「前に座ってはる方はね

もう座ってるから あれやけど」
言うて。

「立ってもうてる方 申し訳ない」

「落語 面白いのやりますから」
言うて やって。

ほんなら 後日 お手紙を頂いて。

私ら 前に座って
見てたもんなんですけど…。

あっ お客さんから。
はい。

朝8時から ずっと
吉弥さんの落語が見たいんで

座ってましたと。
うん。

ほんで トイレに行ったら
席 取られるんで

年老いた母親と 「吉弥さんが
来るまで待ってよう」って

ずっと待って
やっと出てきたのに

なんで あんな立ち見の人の事
ばっかり言うんですか?

あの人ら 5分前に来たんですと。

私ら ずっと待って
やっと 吉弥さんが聴けんのにと。

もう なんか
気持ちが悲しくなって

落語が面白くなかったです。
すごい。

…っていう手紙を頂いて。
へえーって。

ほいで
米朝師匠にお話ししたんですよ。

ほな 「吉弥
お前は ええ勉強したな」と。

「ええお手紙 頂いた」と。

お客さんって どういうお客さんが
座ってるか わかりませんし

例えば 男女で来てはっても

ご夫婦か ごきょうだいか
わからないですよね。

よく 我々 お客さん触ったり…
お客いじりっていうんですけど。

どこから来はったんですか?
ああ そんな遠い所からね

何にもない所やがなとか
そういう事 やんねんけど…。

「せやから お客さん いじるのは
わしは昔から せえへん」と。

すごい。 うん。

だから 舞台でできる
舞台で我々がやる芸が…

いうたら それで完結せなあかん。

それが 一番…。 「だから わしは
もう その芸を磨く事でしか

お客さんへの恩返しは
でけへんねや」っていう事をね

言うてくれはりまして。
それ 一番 心に残ってますね。

私も… 人の事だけど あんまり

お客さんを なんかしてね…
色んな事して…。

そうすると
確かに お客さん 笑いますよね。

でも 私も
あんまりね 好きじゃないです。

あっ そうですか。
あんまり… うん。

そういうのじゃないのがいいです。
だから お客さんからしたら

ちょっと
親近感 持てるっていうか

私らの事も 見てくれてるって
思うのかもわかんないですけどね。

でも あなたは なんか
高座にお上がりになる前に

歌を歌うというのを伺ったけど
それは本当なんですか?

♬~『真室川音頭』
あっ これ?

あっ これ。 『真室川音頭』。
僕の出囃子なんですけど。

これを だから…

三味線でも流れて
出てくるんですけど

「ちょっと サービスに」言うて
お客さんに。

この時に… このあとに?
そうそう そうそう。

出てきて 座って…。

♬~「私しゃ 真室川の梅の花」

♬~「あなたまた
この町のウグイスよ」

♬~「花の咲くのを 待ちかねて
コーリャ」

♬~「つぼみのうちから
かようて来る」

…いうてね。 これ 女性が花で
ウグイスが鳥なんでございますよ。

で 年頃になったら
来てくれたらええのに

若いうちから来て あんた
スケベやないう歌なんですけどね。

ハハハハ…。 山形の民謡で。

今日のお客様の桂吉弥さんは

落語家で
いらっしゃるんですけども

お二人のお子さんが
いらっしゃいまして。

大学3年生と高校1年生と。
息子と娘と… はい。

お二人いらっしゃるのね。
大学3年生。 もう随分 大きい。

そうですね。
で また お父様は

特別支援学校の教師をしてらして
お母様は中学校の教師して…。

中学校の国語の教師をして。

で 昔は養護学校 養護学校
言うてたんですけどね。

両親 教師です。
すごいですね。

あっ いいですね。 こんな…。

若い写真を出して頂いて。

いいですね 海なんか いらして。

はい。 弟と父親ですけど。

昭和19年なんで もう77ですかね。

うん。 でも あなた
柱の所から顔出して 可愛い。

可愛いですか?
うん。 可愛いです。

お母ちゃんも若い写真をね…。

いいですよね 健康そうで。

でも このお母様は
自慢だったんでしょうね。

あなたの座り方が
なんか ちょっと

お母ちゃん 自慢や
っていう感じありません?

そうですか?
まあ 弟と妹と3人

育ててもらいまして。
で まあ 2人とも 教師で

で 親父は いうたら

養護学校の教師してましたし

夏なんか まあ いうたら

その生徒さんたちと一緒に
プール入るのに

横で
ちょっと泳がせてもうたりとか。

いや あのね うちの親父が

米朝師匠のところにね
内弟子させてもらうので

ご挨拶っていって
来た時に…。

いや そんなん 聞いた事
なかったですけど

うちの親父が
「私が勤めてる学校では

子供たちが学校行くのが楽しみで

で 学校行くのも大変な子も
いるんですね」と。

「でも その子たちのために
やっぱり 学校を いい所に…

すごくすてきな思い出のある所に
したいんで」言うたら

米朝師匠が「本当に 尊いお仕事
されてますな」言うて…

言うてくれはりましたね。
うん。 いいお話ですよね。

で まあ
色んな子がいるんやという…。

お兄ちゃん お姉ちゃんと一緒にね
プールで。

ほいで 母親は母親で

中学校のやんちゃな子らを
育ててましたんで

すぐ… 補導されたとかいうたら
家 出て行ってましたし。

ほいで 卒業生の子とかがね…

こんな頭した子とかね
うちの家の周りに…

ちょっとクネクネした道なんかを
バイクで来るわけですよ。

「先生のところの近所

めっちゃ楽しいわ」
とか言いながら。

怖い人 来るなあ思て。

そんな人らにも いうたら
可愛がってもうてという…。

でも お母さんも平気で?
平気でね。

いいですよね そういうのってね。

なんか 多分 親父も おふくろも

趣味というて
これ なかったんですけど

子育てっていうか 家族を楽しく
みんなで過ごすっていうのが

趣味みたいなもんやったかなと…。
いいですよね でも そんな事って。

めったにない事ですもん
そういうのね。

はい。 だから うちも なんか ねっ
子供2人と嫁はんと

なんか こう 楽しい家にしたいな
と思いながら

してるんですけどね。
そうですか。 でも あれでしょ?

元々 あなたは
先生を目指していらしたんでしょ。

小学校の… 一応
教員免許 持ってるんです。

ええ ええ。
今も やろう思たら

やれるんですけど。

行ったんですけどね…
教育実習 行って

これは ちょっと
大変な仕事やなと。

実際に学校行くんですか?
はい。

こんな責任のある仕事は
ちょっと 俺 でけへんなと。

で その時に落語研究会というのに
入ってまして クラブでね。

で それが
すごく楽しくなってきたんで…。

それで また 桂吉朝さんの落語に
出会ってましたから…。

学校の先生になってる自分と

うちの師匠のカバン持ちしてる…

着物 畳んだりしてる自分を
こう 想像したら

吉朝さんのところに行く
っていう方が想像できたので

学校の先生は
もう諦めましたけどね。

あっ そうだったんですか。
ご両親は

なんとおっしゃいました?
いや もう 大反対ですね。

そうでしょうね。
はい。

えっ 落語家?
芸人って 何? って。

フフフフ…。
大反対やったんですけど

これが また
米朝師匠なんですけど。

住み込みは どうも

米朝さんのとこでやるらしい
ってなったら

親戚中が
「それやったら落語家なり」と。

すごいね。
米朝さんのとこで あんた

住み込みなんて… ねっ。
そりゃあ…。

できないじゃないですか。
「お金払ってでも やらなあかん」。

もうね それぐらい
関西では桂米朝っていう人

すごい人やったんですよ。
ふーん。

だから もう
手のひら返しでしたわ。

ハハハハ…。 それで もう
みんなが すぐオーケーが出て?

そうそう そうそうそう。
で また

奥様にお会いになるきっかけも
落語だったんですって?

そうです。
大学の昼休みに 向こうから

「落語研究会です。
落語 聴きませんか?」って

誘いにきた 着物着たね
先輩たちの中に

うちの嫁さんがいたんですよ。
ええー。 可愛いの?

可愛らしい…。
可愛らしい。 フフフ…。

可愛らしい人やなと思って
で 落語研究会に入って で…。

あっ それまで 落語を
聴いてらっしゃらなかったの?

いや 知らなかったです。
あっ そうなんですか。

漫才とか ほんで 関西やから

『よしもと新喜劇』とか
大好きでしたけど。

落語なんて 何がおもろいんかなと
思ってたんですけど

面白かったんですよ
その誘われて行ったの。

2年生の先輩がやってたんです。

『いらち俥』っていう
話なんですけど。 人力車ね。

ほんで 普通は
ワーッて走って こう 人力が。

ほいで 後ろで 「あっ ちょっと…
そない はよ行かんでええがな」

「いえいえ
私 足には自信がおまんねん」

っちゅう話なんですけど。

学生のアレンジでね
海 潜りますねん。

それごと?
それごと。

「おい。 ちょっと
キタ 行ってくれ」って。

キタは
ほんまは梅田の事ですけど。

「キタ 行って」
「わかりました」って。

「おいおい…
海が迫ってきた 海が」言うて。

「海も潜りまんねん」。

「ブルブル…
ブルブルブル…」言うて。

ほんで 北極行ったりね。

へえー 面白い。 フフフフ…。

いや 私 見た事なかったんで…
これ 学生のアレンジですけど。

面白い事
1人でできるなと思って

ほんで クラブに入って。

ほんで 落語の面白さに
こう 気付いて

ほんで ねえ
落語家もなりましたし

そのクラブで
嫁はんも見つけましたし。

ハハハハ…。 そうか。
ちょうどよかったですね。

でも 今のご活躍を ご両親は
なんとおっしゃってます?

いやー まあ
すごく喜んでくれてます。

あっ そうですか。
はい。

落語会のチケットなんかも
売ってくれますし…。

両親が?
はい。

これ どういう…。
私で

で うちの親父とお母ちゃんと…。

で おかんが抱いてるのが
うちの息子で。

2000年生まれなんで

もう 二十歳 超えてますけどね。

あっ そうなんですか。
これ だいぶ前の写真ですけど。

20年前の写真ですかね。
ええー 面白い。

でも あれなんですってね。
お父様っていう方は

いつも笑顔の方なんですって?
そうですね。

なんか みんなの事を
考えてくれるっていうか

世話焼きやし。
だから 親戚でね こう…

例えば 法事とか
集まったりしてますやんか。

ほんなら なんか
ちょっと隅の方で ねえ

みんなで こう 幕の内か…
幕の内 食べへんか。

精進料理かなんか食べてる時に

「おい。 あの人
ちょっと寂しそうにしてはるから

ちょっと お前 行って
しゃべってこい」とかね。

ええー すごい。
だから なんか

法事のお知らせとか そんなんも
仕切って やりますし。

親戚の。
そうそうそう。

なんか 私が小学校の時とかも

学校の先生…
ちゃんと担任の先生いるのに

なんか知らんけど 親父が来て

クラスのお楽しみ会とか
やってましたよ。

ハハハ…。 どういうんですか。
あっ これ これ これ。

これ そう?
はい。

僕の
1年3組のクラスなんですけど。

左に担任の先生いてるんですけど

あの仕切ってるの
うちの親父です。

へえー。
白い洋服 着てらっしゃる方が

あなたのお父様?
はい。

へえー。 それで 生徒は みんな
言う事 聞いたんですか?

いや… っていうか

なんで このおっさん おんねん
ってなもんですよね。

多分ね 新しい…
新任ぐらいの先生やったので

ちょっと こう
自分が仕切ったらんと

うまい事…
クリスマス会かな? これ。

いけへんから いうて
親父がしゃしゃり出てるんですわ。

ハハハハ…。
でも 面白いお父様ですよね。

面白いですよね。
で その時 面白かったですか?

お父様のやり方は。
いや もう ちょっと

恥ずかしかったです なんか。

だって でしゃばって
色々 仕切るしね

町内会でも なんか 出てくるし。
でも 今 考えたら

そういう人って
やっぱり 必要やし…。

うん。
場も盛り上がりますしね。

そうですよね。
静かになっちゃうよりはね。

私は徹子さんを… 吉朝師匠
米朝師匠っていいますけど

私 もう一人
黒柳徹子師匠やと思ってるんで。

なんで? それは。
いや やっぱり

僕 関西でラジオとかテレビで
お客さんをお招きして

お話しするっていう
仕事してるんですけど。

あっ そうですか。
はい。 とても 皆さん

楽しくお話しされてるし
徹子さんのところへ来ると。

あっ ここで? うん。
はい。 すごいなと思って ねえ。

いや…
特に すごくはございません。

すごくないですか?
お客様が

よく話してくださるんですよ。
今日も あなたが とっても

よく話してくださってるじゃ
ないですか。

いやいやいや…。
ここに来たら こう なんか

しゃべりたくなるんですよ。
徹子さんに聞いてもらいたいな…。

ああ それは いいと思いますね
その考えは。

ぜひ 皆さんが
そうだといいと思ってます。

フフフフ…。 今… 話 違いますが
50歳でいらっしゃるんですって?

そうなんです。
この年代は どうですか?

いや まず うちの師匠が
亡くなった年が50歳。

そんなお若い?
はい。

ちょっと
胃を悪くして亡くなったので。

だから その年になったのか
っていうのが まず ありますよね。

ほんで 米朝師匠も うちの師匠も
よく言ってたんですけど

落語家は50からやと。
うん。

皆さんに顔を覚えて頂いて
で 自分ができる技術と

それから 知識と
それから ネタの数と

で それを表現できる体力的にも
一番 脂が乗ってくるのは

50歳からやっていうので…。
大変。

はい。 だから これから
もっともっと 色んな人に…

聴いた事ないっていう人に
落語を聴いて頂きたいですね。

私は子供の時から
落語が好きでね。

小学校の時から
親がいない時に…

昔は布だったんですね
ラジオがね。

あそこに耳 突っ込んでね
いつも 落語聴いてました。

ハハハハ…。
「だから 嫌だって言ってんのよ」

って言ってましたけども
好きでした。

いやー うれしい。
また聴いてください 僕の落語も。

どうも。 またおいでくださいませ。
はい。 ありがとうございました。

『徹子の部屋』は

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