出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 渡辺えり[字]
~高校時代は可憐なフォークデュオを…涙で語る亡き旧友との別れ~渡辺えりさんが今日のゲストです。
◇ゲスト
女優で演出家の渡辺えりさんがゲスト。
◇番組内容
歌手としての活動も昔から行っている渡辺さん。もともと小学生の頃に沢田研二さんに憧れたのが音楽との最初の出会い。親友と2人で「やぎ座」というデュオを結成していたそうで、当時の貴重な音源を披露する。その後も親友との付き合いは続き、彼女も上京して舞台照明などの仕事をしていたが、9年前にがんで他界してしまった。親友が亡くなった直後のライブでは、彼女の娘と「やぎ座」時代の曲をデュエットして追悼したと語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- 全部
- 渡辺
- 毎日
- ファン
- 演劇
- 元気
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
♬~「あなたがくれた この幸せ」
♬~「時を止めて」
♬~「その目 その手 その声」
(黒柳)今日のゲストは
女優 演出家 そして 歌手の
渡辺えりさんです。
どうぞ こちら おいでください。
あっ どうも。
よろしくお願いします。
まあ 奇麗なお洋服で。
どうも ありがとうございます。
どうも。 実は えりさんは
女子高生時代に
かれんなフォークグループを
やってらしたそうで
その頃の貴重な歌声も
お聴かせ頂きます。
さて 2年前に
離婚なすったそうですけど
今の生活は いかがですか?
いや 寂しいですね。
あっ 寂しい?
やっぱり…。
なんで離婚したのかな
っていうぐらい
寂しいもんですね これね。
そういうふうな… そういうもの?
その時は すごい頭にきて
離婚するじゃないですか。
なんか 色々 もう
我慢に我慢を重ねるみたいな。
でも そうやって…
いなくなって1人になると
なんか 本当に
1人なんだなと思って。
すごく寂しいもんですね。
最初に
こんな話から言うんですか?
いいじゃないですか。 だって
あなたの今の心境なんだから。
でも コロナでもあったので
やっぱり 胸が こう
絞られるような孤独感
っていうのはありますね。
ただ やっぱり
演劇を書いたり 作ったり
芝居をしてたら
そこに没頭しますから
その間は全然ね
考えないんだけど。
家で1人で寝る前とか
やっぱり
ああー 1人なんだなっていう…。
子供もいないじゃないですか 私。
私の…。
あっ 黒柳さんも…。
私も いませんよ。
そっか そっか。
そういう 全世界の子供たちの
親だと思えばいいんですけど
やっぱり なかなか
そういうふうには思わないから
このあと どうするんだろう
老後は どうなるんだろうとか
このまま お風呂に入ったまま
死んじゃったら どうしようとか
そんな不吉な事を
考えたりしますね。
やっぱり 孤独…
孤独っていうのは
ずっと
生まれた時から孤独ですから。
それで 演劇の世界を
作ってるわけですから。
その孤独をバネに
16歳だと思って
新しく始めようっていう決意
してるとこです。
そんな事 考えなくたって
なんとかなりますよ。
なんとかなりますかね?
そんな事…。
自分が16歳だと思おうなんて
無理じゃないの そんな あなた。
でも ほとんど
16歳と同じなんですよ
感じとして。
うん。 気持ちは わかりますよ。
ねえ。 だって
黒柳徹子さんも そうでしょ?
精神は16歳ですよね?
16歳だか知らないけど
そのぐらいだと思ってても
だからといって
どうって事ないけどもさ。
ちょっと 心配性…
親譲りの心配性で。
ただ 本当に 自分が悩んだり
考えすぎたりして
傷つきやすい子供だったのが
やっぱり 演劇に出会った事で
助けられて 生きようっていう
生きる力を得たんで。
だから それを逆に
皆さんにお返しするっていう
そういう人生なのかなみたいな。
今日 どうして
そんな いいお洋服 着てきたの?
これは
今日 歌うつもりで来たからです。
『Rose』を歌うっていう…
最初の打ち合わせ
そうだったので。
そしたら
歌わなくていいって事で…
ビデオでって事だったんで。
ごめんなさいね
そういう事になったんで。
なんか あなた 今 猫が
唯一の話し相手なんですって?
ええ。 雪彦。
この間も…。
あら これが そう?
ちょっと すごく汚い…
書類がバックに写ってますから…。
でも 奇麗な猫じゃない。
もうね すごい奇麗で。
それ… 12年前ですかね。
2時間ドラマの撮影で
佐原に行った時に
捨て猫を獣医さんに
「これ 持っていってくれ」
って言われて
で 2匹もらって 生後2カ月。
そんなに長生きしてる子なの?
12歳ですね 今。
すごいね。
ええ。
でも 捨て猫とは思えないような
気品のある猫ですね。
奇麗な猫。
それが もうね ずっと ついて
離れないんです ずっと。
それが唯一の… まあ 恋人?
それが唯一の恋人と同時に
沢田研二さんの歌が
最近 ライブに行ったりなんかして
いいんですって?
沢田さん… こういう事 言っては
怒られるのかもしれませんけど
随分 支えて頂きました。
小学校6年生の時に
『シャボン玉ホリデー』で見てから
もう ファンになって
この人 私の半身だとか
勝手に思いながら
ずっと来たんですけど。
なんか 結婚するつもり
だったんですって?
みんな そう思いますよ
小学校6年生はね。
そうかな?
今 思ってませんよ 今は。
今は思ってませんけど
その当時は そう思ってて。
変わらないですよ
沢田さんの声って ずっと。
だから とにかく
聴くとホッとするんですね。
それで 沢田さんって
たくさん歌を出してるから
若い時の歌から現代の歌まで
全部 聴けるんですね。
それを寝る前に聴いて
それで孤独も癒やさせて頂いて…。
その時に 「ジュリー!」なんて
言わないの?
言わないですよ。
私 もう大人ですよ
66ですから。
でも ほら おばあさんで
「ジュリー」って言ってた人が
いたじゃないですか。
それ 樹木希林さんでしょ?
そうそうそう。
最近は どうなんです?
今もね すごく いい感じの…
もう 73歳で。
ええー。
本当に いい意味で年を取られて
で 歌も どんどん深みが出てきて。
へえー。
で この前の5月のも
チケット取って 行きましたけど。
それで コロナだから
騒いじゃいけないの。
「ジュリー」とか
言っちゃいけないから
みんな 守って… 規則を守って
正面 向いて こうやって…。
本当は みんな
こうやりたいんですよ。
全員 こう 立って
「ジュリー」ってやるんですけども
やらずに コロナ禍は
みんな おとなしく
もう やってます みんな。
大体 同世代の女性が
多いんですって?
多いです。 だけど 後ろ姿は
みんな 若いんですよ。
だから 昔と同じ感じで
「キャー」とか…
コロナじゃない頃は
「キャー!」とか言うでしょ。
それで 明かりがつくと
みんな おばあさんみたいな…。
こんな事言っちゃ悪いんですけど。
でも 子供の頃 地元で
ジュリーのコンサートが
あったんですって?
ええ。 それ 行けなかったんです。
行けなかったの?
山形であった時は
中止だったんです。
髪の長いヤツは みんな
不良だっていう時代で
私の小学校と高校生は。
だから… 中学までは。
だから もう
行っちゃいけないって言われて
泣く泣く 行けなかったんですよ。
で それで 高校の時に…
行けるぐらいの年になった時には
もう解散するっていうんで…。
あら。
その解散コンサートを…
山形だから
それを 署名運動をして
持っていって 山形放送…
テレビに。
それで 放送してもらったっていう
高校時代。
あっ そうなの。
ええ。 それぐらい
みんな そういうファンが…
今もファンだって人が…。
でも あれですかね
ジュリーと一緒に仕事した事は?
あります。
あります?
『フィガロの結婚』
っていう舞台で…
シアターコクーンで
やったんですけど。
ええー。
そこで 沢田さんがフィガロで
それで 吉田日出子さんが
シュザンヌで
私が公爵夫人で
小日向文世さんが
公爵の役だったんです。
本当に うれしかったですね。
当時のパンフレット 見たら
「本当にうれしい」っていう文章
載ってました。
ハハハハ…。
それで
「思ったとおりの人だった」って
その時も書いてあって。
で 私
沢田さん 忘れられないのは
普通 40度ぐらいの熱があると
稽古 休むでしょ。
ところが あの方 真面目で
体育系というか…
なんていうんですかね。
かなり… なんていうんですか
きちっとした方だから
40度の熱があっても
布団を敷いて
稽古場で見てたんですよ
氷嚢を当てて。 私 その姿が
忘れられないんですけど。
みんな 稽古してる前に
布団を敷いて 寝て…。
40度の熱ですよ。 氷嚢を当てて
稽古場にいたんですよ。
休まないんですよ。
40度の熱があっても休まない。
でも まあ 参加してればね
やらなくてもね…。
だから 普通 休むでしょ。
うん。
そういうね きちっと真面目な…
集中力があって
きちっとやる方だっていうので
ますます…。
なんか 曲を
あなたに作ってくださった事が
あるんですって?
私 サンシャイン劇場で
20代 30代で よくコンサートを
やってたんですけど。
その時にサプライズで
『スペシャルボーイ』
っていう歌を…
作詞 作曲のやつを…。
「スペシャルボーイズ」?
ええ。 『スペシャルボーイ』。
これ?
あっ これです。
♬~「逃げないでオーマイラヴ」
で この歌を…
生で
その時は歌ったんですけどね。
覚えきれなくて 譜面を置いたまま
歌ったんです 生で。
で その間
ずっと発表する時間がなくて
なんか 山形でしゃべる講演の時は
歌ってたんですけど。
でも それで 40周年記念の
アルバムを作ろうってなった時に
それを入れたくて
沢田さんにお願いして
いいですか? って
許可をもらって
CDに やっと…
出す事ができたんですね。
それが 今の…。
今のやつね。 あっ そうなの。
でも 沢田さんらしい曲ですよね。
そうなんです。
言っちゃなんですけど 全盛期の頃
『ベストテン』やってたんで…。
あっ その映像
もう 毎日 見てます。
フフフフ…。
フフフフ…。
だもんで まあ あの方の曲はね
ずっと聴いていましたけど。
他に芸能界で尊敬する方は
いらっしゃるんですか?
美輪明宏さんに
すごく 育ててもらったところが
ありまして。
あっ そう。
で これ 今… 今日 着てきて…
これも 美輪さんに
プレゼントして頂いた…
私が岸田戯曲賞を頂いた時に
お祝いにくだすって。
あら いいんだ。
これと それから
スーツ 3着 頂いて。
ずっと これ 何かあると
これをかけさせて頂いて。
いいじゃないですか。
なんにでも合うんですよ。
いいです とっても。
で こういうのを全く 私…
イヤリングとか 指輪とか
全くした事のない人間で。
山形から来て ゲタ履いて
はんてん着て
歩いてる人間だったんですよ。
今 ゲタ履いてる人 いない…。
そう。 私が上京してきた時は
はんてん着て…
ジーンズに 紺のTシャツに
はんてん着て
素足にゲタ履いて
歩いてたんですね。
それを美輪さんが ハイヒールを
履きなさいって
色々 教えて頂いて。
あっ そうなの。
あっ これ 当時の…
こんな感じで…。
あら いいじゃない。
それで
美輪さんに その時
靴も買って頂いて
ハイヒール。
それで
あとで 裸足になって
こうやって持って歩いたのを
覚えてますね
痛くて。 なので 「美輪さん
どうして こんな靴が
履けるんですか?」って
私 美輪さんに
質問した覚えがあるぐらい
ハイヒールが
駄目だったんですけど。
その時に
もう 本当に喜んで頂いて
岸田戯曲賞を受賞して…
受賞した時も喜んでくだすって。
それで コンサートで
『ボン・ボヤージュ』を
私が歌った時に 美輪さんが
「ブラボー」って
立ち上がってくださって。
あら。 来てくださったの。
それが 本当にうれしくて。
それは うれしいですよね。
本当に うれしかったです。
それで 美輪さんの
『エディット・ピアフ物語』に
二十歳の時から
ずっと つかせて頂いて。
で 裏でプロンプをして
それで 物を置いたりするのを
やってたんですね。
あっ そう。
で ずっと 演助…。
あなたがお生まれになったのは
山形の小さな村で
2歳ぐらいの頃から
もう 歌ってらしたんですって?
そうなんです。 コタツの上で
『荒城の月』とか歌うと
やけに 大人たちが何人も…
何人も同居してますが
すごい喜ぶんで…。
あら 可愛い。
その すごい…
天使のえりちゃんって
言われてたんですよ 村では。
すごい。 へえー。
ものすごい可愛がられて。
うん 可愛い。
それで 喜んでもらえるんで
歌うと喜んでくれるんだなと
思って
そこから すり込まれちゃって
ずっと歌ってますね。
山形民謡も歌えました?
ええ。
花笠まつりの時 歌う歌…。
どんなの? 山形の民謡って。
♬~「花の山形 紅葉の天童」
…みたいな歌なんですけど。
フフフ。
あと
「ヨーイサノマカーショ」とかね
色んな…。
あと 「私しゃ真室川の」とか
いっぱいあるんですよ いい歌が。
そうだわね。
とにかく 大人が喜んでくれるのが
うれしくて。
それで 人の笑顔を見るのが
一番好きなんですよ。
なるほどね。
今も。
まあね。 でも
お父様も音楽が好きだった…。
そうなんです。
よく 『新世界』を歌って…。
ああー 『新世界』。
♬~「遠き山に 日は」
それ ずっと聴きながら
育ちまして。
♬~「ターララー ララ」
そうなんです。
母は 『湖畔の宿』でしたけど
ずっと。
♬~「山の淋しい みずうみに」
そうです。
ずっと それを聴いて育ってて。
で シャンソンも好きで 父親が。
『パリの屋根の下』とかを
ずっと聴いてて。
そういう
クラシックとシャンソンで
ずっと育ってたんですね。
だから ジュリーの…
タイガースの
『ヒューマン・ルネッサンス』
っていうレコードを聴くまでは
シャンソンとクラシックしか
聴いた事なくて。
そこで ロックとジャズにいくのは
沢田研二さんとの
出会いからでした。
ジュリーからね。
なので それまではクラシック…。
でも 高校の時にフォークグループ
組んでらしたんですってね。
それで 高校で
演劇クラブだったんですけど
演劇が大好きで
芝居したいと思ったんで。
そこで 中井由美子さんって…
旧姓が犬飼由美子さん
っていう人と大親友になって
毎日 もう…。
ワンコっていうのは一人っ子で…。
犬飼で だから…。
そうなんです。
犬飼由美子さんのあだ名が
ワンコっていって
私がジュリーのファンで
じゅりこ。
ワンコと じゅりこで
いっつも2人で一緒に帰って
家で話してて
芝居の話をしたり
音楽の話をして。
で ギターが
すごくうまかったんで…。
ねえ これ 悪い…
どっちが あなた? これ。
私 右側の眼鏡かけて
左門豊作みたいなのが私で
この奇麗な方が犬飼さん。
奇麗ね ワンコはね。
もう 可愛くて 声が低音で
スポーツ少女で
スポーツ万能だったんです。
で ギターもうまくて
それで 弾き語りしてて。
それで 私が歌が好きだったんで
デュエットして。
それで 終着駅っていう
9人のグループを
まず 高校生で作って
「フォークジャンボリー」に
応募したら 3位に入賞して
ものすごい…
県営体育館でやったやつに
出たんですよ。
あら すごい。
赤い鳥 ガロ 猫
遠藤賢司とかがやったやつ。
で これ その時のメンバーで
後ろ やっちゃんっていうのが…
八文字屋の息子がリーダーで
下がワンコで
演劇部の友達と混合ですけど。
一緒になってね。
この次の年 亡くなるんですけど
がんで。
かわいそうだったね。
で ずっと一緒で。
それで そこでも歌って
で 2人で やぎ座っていう
グループを組んで
ずっと歌ってて。
で もう…
なんていうんですか。
中井さん… ワンコが
全部 テープ…
こういう カラーリールので
録音してくれて。
これは高校の2年生の時
2人で 文化祭でやって…。
ギター弾いてるの あなた?
これ
右側で歌ってるのが私で
左側でギター弾いてるのが
ワンコなんですね。
これ 学芸会って
わざとやってるんですけど
これは 文化祭の時に
2人で歌って。
文化祭のリーダー的な…
2人でやってたんで。
それぐらい親しくて。
なんか ワンコさんとの
デュエットがあるそうですよ
やぎ座の時の。
♬~(渡辺・中井さん)
「赤い屋根の家をたてたい」
♬~「丘の上に 二人」
♬~(ギター)
♬~(渡辺・中井さん)
「旅を続ける二人の夢は」
♬~「いつも同じ夢」
♬~(中井さん)「いつも同じ夢」
♬~(渡辺)
「いつか旅路が終るところに」
♬~「家をたてたい」
ソロで歌ってるのがワンコ?
高い方が… で 私と。
ちょっと低いのが私で
高いのがワンコで。
これをワンコの家で
カラーリールで…
こういうテープでやって。
それで 私が芝居をやりに上京…
東京に来た次の年に
追いかけるようにして来て
照明家になったんですね。
で もう 青年座とか
色んなのの照明のプロになって。
その時も しょっちゅう会ってて。
私が舞台芸術学院の授業
3年間やったんですけど
そこに 隠れて授業を受けに
来たりするぐらいの仲で。
で 泊まりに行って
行き来したりって
ずっと親しかったんですね。
で 結婚して山形に帰ってからは
私のマネジャーをやるって
言い出して。
それで 山形で
しゃべる講演をやったり
色んな事…
コンサートやったりするのを
全部 手伝ってくれて。
私が本のサインしてると 後ろで
こうやってやってくれたり
お客さんを帰したり
やったりっていう
マネジャー的な事を
ずっと やってくれてたんですね。
で 照明の腕も すごいんで…。
あっ これ 隣のがワンコですけど。
私がコンサートやったり
芝居すると
全部
照明をやってくれたんですよ。
すごいわね。
すごいんです。
なんでもできるタイプで。
ええー。
でも まさか
こんなに早く亡くなるとは
思わなかったんで。
いつも会えると思った人が…
空気みたいに一緒にいた人が
死んで もう 本当につらくて。
この間まで 演舞場と松竹座で
高畑淳子さんと
『老後の資金』っていう芝居
やってたんですけど
親友の話だったんですよ。
最後のセリフがしゃべれなくて
いつも泣いちゃって。
…っていうのは 最後に
奄美大島に行くっていう時に
高畑さんが驚いて
じゃあ 元気でっていうところで
「2人とも ずっと 年を取るまで…
おばあちゃんになっても
思い出話 たくさんしようね」って
言うんですよ。
ところが
ワンコとできないんですよね。
おばあちゃんに一緒になれなくて。
亡くなっちゃったからね。
それで 思い出話できない
っていうのがあるから
そこ 泣いちゃって
言えないんですよ 毎回。
舞台で もう毎回 そこで
言わなくちゃいけないんですよ。
2人とも おばあちゃんになっても
思い出話 いっぱいやろうね
っていうのが言えないというか。
だから 高畑さんが
ワンコに見えてきちゃって
離したくなくなるんですよね
抱き合ったあと。
それも 15日まで毎日やってて
毎日 思い出すんですよ
ワンコの事 やっぱり。
意識がなくなるっていう日も
たまたま 震災のボランティアで
閖上にいたんですよ
宮城県の。
山形まで
車で1時間なんですよ。
東京にいたら
間に合わないのに
その日 閖上で
ボランティアで
やってる時に
もう危篤状態
娘さんから電話があって。
間に合ったんですよ。
で 行ったら生きてて
しゃべれたんですよ。
で しゃべれて それで
ずっと私が見てたんですよ。
最後の言葉が ワンコったら
「怖い 怖い」って言うんですよ。
で ワンコに
「死ぬのが怖いのか?」って
聞いたんですよ。
「違う。 じゅりこが」って
言われたんですよ。
つまり
明かりが下から当たってて
で ワンコを
こういう顔で見てたんですよ。
わかります?
こうやって こういう顔で。
それで
下に照明があったんですよ。
で ワンコが こうやって
「怖い 怖い」って言うんで
私 「死ぬのが怖いの?」って
聞いたんですよ。
そしたら
「違う。 じゅりこの顔が」。
これが最後の言葉ですよ。
でも ワンコさんは
亡くなっちゃったんだけど
9年前に。 お嬢さんが
歌えるんだってね 一緒に。
それで 今 普通のデザイナーを
やってるんですけど
コンサートを… 追悼をやる時に
「歌ってくれないか?」って言って
練習に来てくれて
それで
舞台で同じ歌を歌いました。
これです。
これが ワンコの娘さんで…
晴日ちゃんで。
すごい格好してますね 私。
♬~(2人)「暮らしたいの」
♬~「赤い屋根の家をたてたい」
♬~「そこで 暮らしたいの」
これ 覚えてもらって…。
あら 可愛い。
だから 晴日ちゃんは
記憶ないんですよね。
だって 生まれる前ですから。
まあ そうですよね。
で それを
「覚えてくれ」って言って
テープ送って 覚えてくれて。
コンサートのお知らせが
ありますよ。
10月15日にヤマハホールで
「渡辺えり リサイタル」
だそうでございます。
はい。
色んな歌 歌うの?
ちょっと VTRがあるそうなので
見ますか。
♬~「思い出そう 眠る種を」
♬~「こごえる大地に眠る種を」
♬~「春がきて 日の光が」
この『ローズ』が ワンコが
一番好きな歌だったんです。
私が 歌詞 作ったんですけど
それをワンコが いつも
「歌ってくれ」って言ってたんで。
あっ そうなの。
だから
ワンコに歌おうと思います。
なるほどね。 そうですか。
まあ ご成功を祈ってます。
ありがとうございます。
でも なんであれ
そういうお友達がいらした事は
幸せですよね。
そうなんです。
でも 今…。 だから それがね
やっぱり 親友って
何人もいるものじゃないですよね。
そうそう。
それで 自分も消えるって事です。
自分の過去も共有してて
私も ワンコの事は全部 知ってて
ワンコも 私の事を知ってて
歴史…。 どんな苦労をして
どういう思いできたかって
知ってる人を失うっていう事は
自分の内面の一部が
なくなるって事ですよね。
だから その孤独?
心の中にあるっていっても
会ってしゃべれないですよね。
まあね 亡くなっちゃってるとね。
でも まあ ずっと 会話しながら
やっていくと思うんですけど。
中には いるんですけど
会いたいですね やっぱり。
本当にね。
それは しょうがないね。
でも ジュリーとは また
やろうと思えばできるじゃない。
やってくれますかね?
「お願いします」って言ったら。
知らない。 私は わからない。
「共演させてください」とか
「仕事 一緒にさせてください」
って言ったら
やってくださいますかね?
頼んでみれば?
頼んでみます じゃあ。
誰も頼んでみないだろうから
あなた 頼んでごらんになれば…。
そうします。
フフフフ…。
でも あなた 本当に元気ね
なんだかね。
いや 元気になりたいです。
フフフフ…。
だから 導眠剤みたいなの
毎日 飲んで寝てます。
あら やだ。 へえー。
本当に 肩凝りも治らない…。
あっ なんで こんな…
愚痴 言っちゃった。
元気に頑張ります。
フフフフ…。 すいません。
『徹子の部屋』は
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