出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 石井ふく子[解][字]

~95歳で逝った盟友…“家族のようだった”橋田壽賀子さんとの60年~石井ふく子さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
今年4月“急性リンパ腫”のため、95歳で亡くなった橋田壽賀子さん。60年来の盟友である石井ふく子さんが、今日はテレビで初めて橋田さんとの思い出を語る。
◇番組内容
60年前、ドラマのプロデューサーと脚本家として出会った石井さんと橋田さん、当時はお互い30代。「家族」を描きたいという同じ思いを持ち、数々のドラマを作ってきた2人は、年中大喧嘩を…。橋田さんは亡くなる前、電話で石井さんに「あんたは私の“妹”」と言ったという。60年で「家族のような存在」になっていたと語る石井さん。今日は、橋田さんの懐かしいVTRと共に、石井さんが亡き盟友を偲ぶ。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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  12. スタッフ
  13. ハワイ
  14. 岩崎
  15. 自宅
  16. 自分
  17. 入院
  18. 彼女
  19. お互い
  20. サブ

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

「後悔はない
っていう感じですね?」

「いっぱい仕事しました
もう本当に」

「そうですよね」
「仕事に後悔はございませんし

思い残す人もいない…
天涯孤独ですから」

「まあ
財産は何も残さないでいいし」

今年の4月4日
95歳でお亡くなりになった

橋田壽賀子さん。

60年来の盟友でいらした
石井ふく子さんが

テレビで初めて
橋田さんの思い出を

お話ししてくださいます。

よくいらしてくださいました。
よろしくお願い致します。

まあ 随分 お寂しい事でしょ?

なんか
2人でいるみたいでしたね。

うれしいです。
そう。

4月4日に
急性リンパ腫という事で

95歳で亡くなった
橋田壽賀子さんなんですけども。

前日に お医者さんが付き添って
熱海の自宅に お帰りになったら

4日の朝
容体が急変したんですって?

1日だけ どうしても
自宅へ帰りたいって。

それで 自宅へ帰ったのが
4月3日なんだけども。

それで 4月4日に亡くなって。
あら。

私 東京で電話聞いて
車で飛んで行ったんですけど

でも 30分遅れちゃって

お会いできませんでした。
そうですか。

でも その入院なさってる時に
お電話を頂いて。

その電話が
いつもと ちょっと違うんで

それで 「私の言う事を聞きなさい」
って言われた…。

「いつも聞いてるじゃない」って
言ったんですけど。

でも 今 財団を…

橋田文化財団っていうのを
やってらっしゃいます。

それを一生懸命やってほしいと
みんなと相談して。

「そんな事 ずっと
やってるじゃない」って言ったら

「念を押しとかないと
あんた 忘れるから」って

言われたんです。

それで 「わかった」って言ったら
「“はい”って言え」って言うんです。

「うん。 はい」って。
「“うん”は いらないから

“はい”って言え」って。

「あんた 私よか1個下だから。
私は1個上」って。

「そんな事 わかってるわよ」って
言ったら

「私は あんたの
1個上のお姉さんだから

絶対 私の言う事は聞きなさいよ」。
フフフフ…。

「もう一度 “はい”って言え」って
言われたの。

そんな事 言った事がないんで
びっくりしたんですよ 私。

それで 私は 「はい」って言ったら

「大きい声で“はい”って言え」って
電話で。

それで 大きい声で
「はい!」って言ったんです。

そしたら 「それでいいわ」
っていうのが最後でした。

なんか 不思議な思い出ですね。
でも その文化財団の事を

気にしてらしたのね。
はい。

亡くなったご主人と
お二人でお作りになった

財団なので それは
ずっと継続していきたいと。

あんまり そういう事を
言わない人なんですよね 電話で。

だけど なんだか ここのとこ
そういう事が多かったんで

すごい やっぱり
気になっていましたけど。

私なんか もう60年なんです
付き合って。

ああ ねえ。

初めにディレクターが
紹介してくれた…。

あっ…。
可愛い。

懐かしい。
ねえ。

右が石井さん?
左が橋田さん。

そうですね。

随分 お二人とも
若い時だわね。

そうです。
30ぐらい?

はい。
じゃあ 随分

長いお付き合いでしたね。
そうなんです。

だから
60年ちょっとなんですけども。

まあ 年中 ケンカもしてました。
あっ そうですか。

ケンカっていうか…
大ゲンカじゃないんですけど

お互いに言いたい事 言って。

それで ドラマなんかでも
作って…

こういうふうにしたいっていって

電話がかかってくると
「それは違う」。

それで 「そうじゃないだろ」って
私が大きい声で電話で言って

「私の言う事を聞きなさい」って
言ったりして

それで 電話をガチャッて切ったら
私の母の亡くなる前だったんで

橋田さんのとこへ電話をして
それで

「うちの娘が ひどい事を言って
申し訳ない」って言って。

それで 謝ったらしいんです。
ええ。

それは 私には言わないんですけど
橋田さんが

「あんたが私に
ひどい事 言ったっていって

お母さんから
おわびの電話かかったわよ」って。

「ええー 余計な事したわね」って
言って。

そういう事は やっぱり…
色んな事が思い出になりますね。

そうですね。

まあ 60年 お仕事
特にやってらっしゃったらね

なおの事…。 でも 橋田さんは
ファクスというものが

お嫌いだったんですって?
原稿 送るのに。

私にしか渡さないんです 原稿。
フフフ。

だから 雨が降っても
雪が降っても 凍っても

取りに行かなきゃいけない。
熱海でしたっけ?

はい。
だから ずっと通ってましたね。

もう 何百回か
お通いになったぐらいですって?

500回以上です。
500回以上? すごい。

橋田さんの自宅での
お仕事風景というのを

VTRで撮って頂いたんで
それもございますので

ちょっと ご覧頂きます。

まあ 静かそう。

昔のペン 使って。

(スタッフ)
「ずっと使ってらっしゃる?」

(スタッフ)「本当ですか?」
「これ 有名な筆箱なんです」

(橋田)「だから これ…」

(スタッフ)「80… 82」
「82。 82年前の」

(橋田)「これは…」

「女子大もくぐり抜けたし
早稲田もくぐり抜けたし

松竹もくぐり抜けたし
長い長い…」

「だから…」

(スタッフ)「原稿用紙と…」

「メモ…」

すごい。

毎晩 夜11時頃 お電話なさるのが
習わしだったんですって?

私も一人なんですけど
橋田さんも お一人なんで

ちょっと 気になるんで
10時から11時の間に。

ちょっと 用事があって
電話をできない事も

あるんですよね。 そうすると
ものすごく怒られるんですよ。

フフフフ…。
「あんた 忘れたの?」って言って。

「忘れてはいないけど
かけられなかった」って言って。

まあ あの方も 性格が
お強いとこがおありだったから

そりゃね…。 あっ 可愛い。
これ どこへいらした時ですか?

香港。
左側が石井さんで。

こっち側が私で。
橋田さんが右側にいらっしゃる。

若いです 2人とも。
本当ね すごく。

お互いに
なんだか不思議なんですけど

ちょっと 友達っていうか

なんか
よくわかんないんですけど…。

橋田さん 原稿が早くて…。
はい。

彼女は プロデューサーを
追いかけるほど

きちっと原稿を書く人なんです。
なるほど。

それなんで 私なんかは 逆に
ちょっと いないと連絡をして

「本ができたんだけども」って
言われて。

それで いないと
ものすごく怒られるんです。

「プロデューサーがいなきゃ
困るじゃないの」。

原稿できてんのに。
はい。

ある時
原稿が出来上がってこない事が

あったんですって? なんか。
はい。

その時は何があったんですか?

それは 私も
サブに ちょっと いたんで。

それで
サブで電話が鳴ったんで…。

サブって上の方の…。
はい。

「あっ 本できたの?」って
私が聞いたら

「できない」って言うんです。

「どうしたの?」って言ったら
「書けない」。

そんな事 言われた事なくて。

それで 「なんで?」って言ったら
「私 好きな人ができた」って。

「ええー?」って言ったんです。
フフフフ…。 可愛いわね。

そんな事 聞いた事もないから
「どうしたの?」って言ったら

「その人の事を思ったら
書けなくなっちゃった」。

それで 「誰?」って聞いたんです。

そしたら
「あんたには言うけども…」。

で 聞いたら
私と同じ制作の部屋の…。

あっ TBSの?
ええ。 …人だったんで

「へえー」って言って。

岩崎嘉一さんという方。
そうです。

「ただ あの人
独り者かどうか

わかんないから
ちょっと待ってよ」

って言って
それで 電話を切って。

社内電話で「ちょっと 出てきてよ」
って言って。

それで 「あんた 今 誰かいる?」
って聞いたら

「なんの事?」って言うんで。

「誰か好きな人いる?」って
聞いたら

「いないよ」って言うから

「橋田さんって方
知ってる?」って言って。

「うん。 知ってる 知ってる」って
言うから

「その人が あんたの事を好きで

どうしても 本が書けない
って言って

私 困ってんのよ」って言ったの。
フフフフ…。

「だから
はっきりしてあげてくれる?」

って言って。
「電話番号を あなたに渡すから

もう いい大人なんだから
それで電話してみてよ」

って言ったら
「うん。 まあね」って言って

別れたら 10日後になって…。
あら 10日後。

それで 電話がかかってきまして
付き合う事になったって。

あら。
「ええー?」って言って。

びっくりしましたよ。

だから その時に 私

「2日以内に
原稿 書いてくれなかったら

ぶち壊す」って言ったんです。
フフフフ…。 すごい。

そしたら
2日間で書いてきました。

あっ 本当に。
はい。

へえー。
岩崎さん。

いい人なんですけど
ワンマンなんですよ。

ワンマン?
ワンマン。

それで… でも まあ 当人が
もう こんななってますから

じゃあ 「2人がよきゃ
いいんじゃない」って言って。

私に立会人になれって言って。
フフフフ…。

それで ニューオータニの上で
「ちょっと 来てくれる?」。

それで
ニューオータニの上に行ったら

彼も いたんです。
うん。

岩崎さんは指輪を持ってきて

そして 橋田さんに
「何持ってきたの?」って聞いたら

なんか すごく大きなものを
出したんですよ。

「何? それ」って言ったら

カバンなんです。
うん。

「どうするの? それ あげて」って。

「私は ぶら下がりたい」。
フフフフ…。

「散々 苦労したんで
彼はサラリーマンだから

サラリーマンは
きちっと給料が入るから

そういう人を探してた」って
言われて。

だから
カバンにぶら下がりたいと。

えっ それで この時のお写真…
ご結婚のお写真ですか? これ。

このあと…
私の今 お話ししたあとに

結婚したんで。
ええー。

それで 5月の10日が
橋田さんの誕生日で。

その日に籍を入れるって。

これ 写真だけ撮って。

それで うまくいきゃいいなと
思いながら いたんですけど

ある時 夜中の3時頃…。

私も麹町で
階は違うんですけど

同じマンションにいたんで
夜中の3時に

ボンボンボンってやられて
ベル押されて

「どうしたの?」って言ったら
「ちょっと来て」って言うんです。

それで 「どうしたのよ?」って。
「ちょっと来て」って言って

上がっていったら 岩崎さんが

ボロボロの背広を
こうやって持って。

「どうしたの?」って言ったら

これがね 全部
切っちゃったんだっていうの。

ハサミで?
なんで切ったんですか? その…。

かいちさんは
とてもね いい方なんですよ。

だけど 大酒飲みでね…。
あっ そうなんですか。

お酒が好きだったんで。

だから 帰ってくるの
遅いんですよね。

それで 怒って
チョキチョキやったんです。

ハサミで切っちゃったの?
ハサミで。

すごいわね。
びっくりしました 私。

「これじゃ
会社へ行かれないじゃないの」

って言ったら
「行かせない」って言うんです。

フフフフ…。
どっちもどっちなんで

「まあ なんとかさ
2人で話し合いなさいよ」

って言って。
そういう事は度々でした。

本当に。

でも まあ
仲のいいご夫婦だったんでしょ。

そうなんです。
だから 色んなドラマの事で…。

他局の1年のドラマを
書いてくれって言われた時に

岩崎さんが具合が悪くて
慶應に入院してたんです。

それなんで… その原因を
彼女が言わないで入院させたんで

それで その仕事を断るって
相談 受けたんで…。

1年のお仕事。
「でも あなたが断ったら

自分が病気だっていうの
わかっちゃうわよ」。

「だから あなたは
ちゃんと本を書きなさい」

っていって言ったんです。

その時のお話を
ちょっと 橋田さん

テレビでしてらっしゃるので…。
はい すいません。

『徹子の部屋』で。 ちょっと
聞いて頂いていいですか?

「『春日局』の9週目に
そういう事がわかったので

もう 実は降りた方がいいって。
これは降りようかなって 一回…」

「降りなきゃ駄目だと思いました。
書けるはずがないと思いました」

「書き続けられるはずがないと」
「その時 お医者様は

あと
どういうふうにすればいいとか

あと どのぐらいとかって
はっきりおっしゃったの?」

「おっしゃいました。
“もう半年だ”って…」

「半年…」
「ですから 告知しなかったんです」

「で ふく子さんに…」
「石井ふく子さんに…」

「ふく子さんに まず ご相談したら
“あなたは書き続けないと

かいちがわかるよ”って 病気だと」

「ご主人 かいちさんって
おっしゃるのね お名前」

「とにかく 書く事だけが…
“あなたが もし隠したかったら

書く事しかない”って言われたの」

「でも 本を書きましたけど
書かなきゃいけないと思って」

「そうすると 亭主が
暇だから読むんですよ」

「けなすんですよ。
“こんなもん書いて お前 もうね

情熱がなくなった”とかね」

「3回書いた時 もう 私
とても やっぱり駄目だって」

「これは書き続けられないと
思いましたけど

また ふく子さんに怒られて」

「ふく子さんは
鬼のおふくですけども

やっぱり そういう時は鬼ですね」
「でも それは告知を

ご主人にしていらっしゃれば
別だけど

していらっしゃらないんだから。
で しないって決めたんだから

もう 手の施しようがない…」
「彼をだましてると

自分まで
だまされちゃうんですよ」

「ああー そうか」
「それが やっぱり…

だから エゴイズムも
あったと思うんですね

言わなかったのは」
「最後に お別れになる時も

割と軽く…」
「“バイバイ。 あした またね”

とかって言って 別れて
で あした行ったら

もう意識がないんです。
お世話になりましたでも

ありがとうでもない
君を愛してたでも

なんでもないんですよ。
前の日に

“バイバイ。 じゃあ またあしたね”
って それで おしまい」

そうですね。
まあね かわいそうなお話。

だけど 本当に 壽賀子さんも
よく頑張りましたね。

本当に 状況が悪かったけど
本当は看病したかった。

そうね。
だけど 病院行くと

「帰れ 帰れ」って言うんです。
なるほど。 ご主人がね。

私が なんか 今のあれで
鬼って言われたんですけど。

そんな鬼じゃないんですけども
彼女には

はっきり ものを
お互いに言う事にしてたんで。

なるほど。

なんか
橋田さんと石井ふく子さんは

生まれも育ちも性格も
全く違うんですって?

はい。 彼女は関西です。
もう違いますよね。

はい。 下町なんで。
江戸っ子。

橋田さんは船の旅がお好きで

でも 石井さんは
船酔いするんで…。

嫌なんです。
フフフフ…。

それで 船から降りて
原稿 持ってきて

読ませて頂くと
あんまり面白くないんですよ。

「遊んで書いてるから
こういう事になるんだ」って

私に怒られるんです。
フフフフ…。

でも 船の中でも
お書きになってたの? 原稿は。

へえー。

あっ これ…。
これはハワイですね。

ハワイには
ふく子さんは いらしたの?

ハワイに 船でグルッと回って
着くっていうんで

原稿を取りにハワイまで行った…。
うわ すごい。

面白い。 へえー。

ここも そうですね。
ええー。 そうですか。

そうですか。
でも このコロナ禍で

橋田さんとお会いに
なれなかったんですって?

ずっと。
そうなんです。

それで 電話はね
かけてるんですけど

ちょっと 入院するっていって。

それで 4月4日に亡くなった。
あら。

でも 天涯孤独だって ご自分の事
おっしゃってたけども

ある日
「私は一人じゃなかったのね」って

おっしゃったんですって?
はい。

それをドラマのラストシーンに
したいって言ってたんです。

あっ そうなんですか。
それで きょうだいのドラマを

やってましたから ずっと。

それで 次女が 話があるからって
集まる時に ひと言

「私は一人じゃなかったんだ」

「みんなに助けられたんだ。
だから ありがとう」って言う。

それをラストシーンに
書きたかったって。

それを まだ書いてませんので…。

あっ そうなんですか。
そう おっしゃってただけで。

はい。 私が
メモってはおいたんですけども

やっぱり 橋田先生の作品

全部じゃないと
やっぱり いけないので

これはこれで
皆さんに伝えるけども

とりあえず
やらないっていう形を取ったの。

うーん…。

まあ お互いに
家族のような存在だったので

橋田さんとの60年間をつづった
本をお書きになったんでしょ?

『家族のようなあなたへ』っていう。

私も 家族 いませんので。
本当にいらっしゃらないの?

はい。 もう亡くなりましたから
父も母も。

で 一人っ子なの。
あっ 一人っ子で。

で お父様とお母様も
お亡くなりになったから。

それで
橋田さんも一人っ子なんで。

だから 一人っ子同士だから
家族っていうのを大事に…

家族のドラマを書いていこう
っていう事を言い合って

ずっとやってたの。
あっ そうですか。

だから いつも 家族のドラマを

おやりに
なってらっしゃいましたよね。

あっ そうですか。
2年前の最後のご出演の時に

橋田さんは
こんな話をしてくださったんで

ちょっと ご覧ください。
はい。

「文学者の墓っていうのが
ありますから

そこへ
主人と私の時計を選んだって」

「その時計を
一緒に入れてください」

「死んでも
時を一緒に刻もうという」

「いいじゃないですか」
「それだけで もう 十分だと」

「で 『千の風になって』っていう歌
聴いてたら

空を回ってるんで
お墓なんかには入ってないわと

思ってます」
「そうですよね」

今 橋田さんにおっしゃりたい事が
あったとしたら

どういう事ですか?

腹が立ちます。

自分だけ いなくなっちゃうなんて
そんなの嫌です。

そうですね 本当。

それしか言えないです。
そうですね。

本当。 そうか…。

そうね。

やっぱり きょうだいもいないし
ずっと仕事やってると

寂しいですよ。
そうですよね。

でも 石井ふく子さんが
すごいところは

今も仕事してらっしゃる。
はい。

90… 90歳?

94です。
94? すごい。

橋田さんが1つ上なんで。
あっ そうですか。

あんまり 気にしないんですよ。
気にしない。

あんまり 年は考えないで
やってます。

でも 本当
お寂しいと思いますけど

お元気で。 どうも。

『徹子の部屋』は

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