出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 下重暁子[解][字]

~夫が緊急入院…人の情けに感謝し~下重暁子さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
80歳を超えてからベストセラーを連発している作家・下重暁子さんがゲスト。
◇番組内容
昨年、軽井沢の山荘で夫が階段から転落。救急車で病院へ運ばれるも骨折などはなく帰宅したが、翌日、吐き気とめまいに襲われ緊急入院することに…。そんな状況の中、手助けしてくれたのは友人達。その親切心に心から感謝の思いでいっぱいだったという。また最近、友人が次々と突然死したことで「いつ死んでも悔いの残らない生き方」を改めて考えるように。最後まで精一杯生き悔いなく逝った母、友人・野際陽子さんへの想いを語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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  12. 徹子
  13. 母親
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  16. ドア
  17. 一緒
  18. 運転
  19. 階段
  20. 簡単

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

(黒柳)まあ 素敵な山荘。

これは あの…

コロナ禍のためにですね

去年 ちょっと
ここで… この山荘で

事件があったそうですが
それは ともかく…。

私の古くからの友達の
下重暁子さんが

今 山荘にいらっしゃる お写真

ちょっと
お見せしたんですけども。

今日は また お着物で お美しく。
どうも。

かつては
NHKのアナウンサーで…

美人アナウンサーで。
いやいや とんでもございません。

アナウンサーは
野際さんと同じぐらいの時?

私が1年下ね。
何年ぐらい…?

どのぐらいやってらしたの?
アナウンサーは。

私はね 9年ですね。
あっ そうですか。

そのあと 名古屋に
野際さん 行ったじゃない?

その時も…。
ううん その前ね。

前ね 職員の時。
そうそうそう。

NHKにいる時に
転勤で行ったらば

隣の部屋同士で…。
そうですってね。

そう。
1年間 暮らしましたよ。

いい事も悪い事も
全部 教えていただきました。

そうですか。 野際さんね
亡くなっちゃって

ちょっと残念…。
本当 本当。

寂しくなりました。

その後 執筆活動で ご活躍で
80歳過ぎてから

ベストセラー作家に
おなりになったんですけど。

お書きになるっていう事に
関しては

昔から書きたい人でした?

私ね 最初から
そういう道 いこうと思って

そういう新聞社とかね 出版社とか
受けようと思ったら

どこも あの頃 ほら

採ってくれるところ
なかったの 女は。

男しか採らなかったでしょ?
うん。

それで
アナウンサーっていうのだけ

「女」って書いてあったから
受けたら

なんだか入れてくれた…。
NHKがね。

はい。
そのまま入ってしまいました。

そしたら
徹子さんに お会いしましたね。

もう 60年以上のお付き合い…。
もうね 本当に長いですね。

俳句も ご一緒にね。
ええ。

この頃 あれですよね。
今 こんな具合で

句会 休みで。 ねえ 寂しいわ。
いやあ 本当ね。

句会でね いつもね
ひと月に1回ね

おしゃべりしたり おいしいもの
食べたりしてたのにね。

あれができなくて
つまらないですよね。

つまらないと思います。
うん。

でも あの… 最初に
お出しになった写真だけども

あれは 軽井沢の山荘で?
はい。

あそこで いつも書き物…?
そうですね はい はい。

仕事の時には
大抵 軽井沢行って

仕事してるんですけども。

キレイね。 周りの緑が

すごくキレイね。
そうですね。 あそこ行くと

生き返りますよ。
そうでしょ うん。

やっぱり 鳥になったか
花になったか…。

花は ちょっとね
無理かもしれませんけど。

でも まあ 鳥になった… 素敵。
なんか 気持ちになりますよね。

ところがね これ 寒いのでね
夏の家だから。

もう1軒 私の仕事場兼
っていうのを造ったんですね。

そっちに 日頃は
暮らしてるんですけれども。

そしたら 去年
緊急事態宣言の前に行きましてね

そして 私と連れ合いと…。
連れ合い うん。

去年の時 着いたのが… いつもは
新幹線で行くんですけれども

その時に限って
車で行ったんですね 東京から。

ご主人 運転?
そうそう そうそう。

それで 着いて その夜中にね

大音響でね 朝の2時頃。

それで 飛び起きてね 私は。

すぐ思ったのがね
あっ 落ちたって思ったわけ。

っていうのはね
ちょうど この寝室の…。

寝室は
東京では別々なんですけど

向こうでは狭いから
同じ部屋なんですね。

彼のベッドから起き上がって
真ん前にドアがあるの。

そのドアを開けると
下が 私の仕事部屋なんですけど。

東京は別々なんだけども
開けると

目の前のドアが…
トイレのドアがある。

すぐ トイレに
行けるようになってる。

多分 あれね
寝ぼけてたんでしょうね

着いたばっかりでね。
東京と間違えた?

うん 間違えたんだと思う。

それで 開けた途端に
大音響とともに転げ落ちてね。

階段?
階段。

12段で すごい急なんですよ。

それで 私が落ちたと思ってね
下 のぞいたらね…。

背が高いじゃないですか。 なんか
長いものが伸びてるわけですよ。

まあ 意識はあったからね。
でも 痛そうだったから…。

でも 頭なんか
ぶつけたらしいの?

あの… どこもね 骨折は
してなかったんですけどね

救急車呼んで すぐ…。

それで 来てくれて
行ったのは いいんですけれども。

骨折はしてなかったから
少し安心したんですけど。

いっぺん うちに帰ったんですよ。
大した事ないんじゃないかって。

山荘の方にね。
うん うん。

そしたらね どうもね
頭を打ったらしくて。

翌日になったら 吐き気がするとか
なんとか言って。

どうも調子が変なので
もういっぺん診てもらったら…

CT撮ったら あの…

だんだん時間が経つと
出てくるんですってね。

硬膜下出血っていうんですよ。
くも膜下じゃないのよ。

なんか
血が こう にじみ出てきて

日が経つにつれて
出てくるんですって。

うん。
それで…

「ともかく入院させてください」
って言って

無理やり お願いしたんだけど

何せ コロナが
はやりだした頃ですから

「東京から来た人なんて
入れられません」って。

あら!
もう 断られたんですけれど

それを 無理やり お願いして
入れていただきまして。

そしたら そこで もう
面会謝絶 私と。

あっ そう。
だって みんなそうですよ 今もね。

大体 病院っていうのはね。
だって そうしないと

何が入ってくるかわからない
っていう事もあるわけですからね。

じゃあ
頭は ぶつけたらしいの?

やっぱり
頭を ぶつけたらしいのね。

あら…。
そう。

でも 一番困ったのは私なんでね。

向こうは ほら 入院してるから
ごはんも食べられるでしょ?

だけれども 私… うち ほら
向こうが作るじゃない。

あっ いつも ご主人が

お食事 お作りになるんですってね
お宅はね。

そういう うちじゃないですか。

ですから 私が
食べられないなって思ってね

どうしようと思って。

まあ 東京から
買ってきたものあるから

ちょこっと食べればいいか
なんて思ってたのね。

そうしたらね 軽井沢一の

私たちが 割とよく行くね
レストランのご夫妻が

どこかで聞きつけてね

もう それから
うちのが入院してる間中

毎日 私のために

フランス料理から
日本料理もね 含めて

毎日 2食ずつ
届けてくだすったの。

本当に?
まあ 感激しましたね。

それで 向こうと
電話では しゃべれるから

電話でしゃべってると…

向こうは 病院食じゃないですか。
決まってますよね。

私なんて もう 本当に
おいしいものをいただいてね。

…っていうような具合で。
さて 東京へ 5日ぐらいして

もう帰ってもいいよ
っていう話になったので やっと。

それで 帰る事になったら…

運転して来てるから。
そうそう。

「運転ダメだ」っていうのね。
ご主人がね。

うん。 それで
どうしようって思ってたら…

私は できないし。

そしたら
友達が また聞きつけてね

「行ってやるよ」って言って

東京からね
新幹線に乗って 来てね

うちの車 運転してね
帰ってくれたの。

親切!
私ね もう 本当に…

割と 私も勝手な人間なのでね

あまり 人様に
感謝した事がないという

厚かましい人だったのが
今年は もう…

それ以来は 本当に
人様の情けに感謝して もう…。

本当に 私も…。

でも ご主人が
階段から落っこった時…

物音 聞いて ご主人が
落っこったんだと思った時

どんな感じだった?
いや…

もう ちょっと
やばいかなっていう…。

何しろ 階段が急なのでね。

どうしようと思って。 なんで
私が 心配したかっていうとね

その前後ね 本当に
不吉な事ですけど

亡くなる方が多かったの。
ああ そう。

お友達でね。
それもね 普通じゃなくてね

みんなね 今まで健康だったのに
あっという間に亡くなってね。

1人は 一緒に仕事してた

フリーのライターの方でね。

それで 「明日 電話で 打ち合わせ
しましょうね」って言って

「そうね」なんて言って…
電話 切って。

次の日 こないから
もう1日 待ってみたら

3日目ぐらいに
ご主人から電話があって

「ちょっと 遠くへ
いってしまいました」って

おっしゃるのよ。
あら。

本当にビックリしましたね。

こんな簡単に… ねえ 人って

亡くなってしまうものなの?
って。

それからね やっぱり… 男の方で
私と よく いろんなとこ…

旅先ね 一緒に出かけて。

アンコールワット行ったりなんか
してた人がいるんですけど

その方の奥様からも
電話があってね。

それが もう
1週間経たないうちよ。

続けてですね ほぼね。

電話があって
「主人が亡くなりました」って。

「ええー?」って言ったら

自分で運転して 病院へね

ちょっと様子がおかしいからって
行ったら

1週間で亡くなっちゃった。
あら…。

もう あっという間ですって。
うん…。

だから なんていうのかしら

人の死っていうのは
目の前にあったから

うちのが落ちた時も
やばいなって

ふっと
思ったんだと思うんですね。

人って すごい簡単に 死…

簡単に死ぬって言うと
変な言い方ですけども

簡単に いつ死ぬかわからない。
まあね うん。

明日 死ぬかわからない。
あさって 死ぬかわからない。

10年先か 20年先か…。
随分 そういう事

今 あなた
本に書いてらっしゃるじゃない。

うん。 だから それがね

『明日死んでもいいための
44のレッスン』

っていうんですけれども

そういう本を書きまして。

それが原因なんですね
その前後の事が原因で。

やっぱり いつ死ぬかわからない。

黒柳さんって そういう事
やっぱり 考えます?

あんまり考えないけど

でも やっぱり 急に皆さん
この頃ね いなくなるから

それは ちょっとね。
うん。

でも 結局 その…

自分が死ぬ時ってわからないから
いつだか。

今 一生懸命 生きてるしか
ないんですよね。

本当に そう。
うん。 結局

それと もう1つね

良寛さんっていう… 江戸時代の。
良寛?

うん。 良寛さんっていう
お坊さんがいますね。

あの人が言ってるのはね

「災難に逢ふ時は
逢ふがよろし」。

「死ぬ時は 死ぬがよろし」って
言ってるわけ。

なるほどって
すごい 気が楽になった。

そうよね。
うん。

それしかないもんね。
ねっ。 もう

死ぬ時は しょうがない…。
そうそう そうそうそう。

だから 結局は
今 一生懸命 生きた…

生きなきゃしょうがないな
っていう気がする。

なんか それからすると あなた
お母様 すごかったんですって?

お母様とおばあ様とが なんか

同じ日に
亡くなってるんですって?

そうなんですよね。
それがね もう 本当に

不思議っていうよりもね

これは 母親の意志だなって
思うのね。

あっ そう?
うん。 あの…

普通の… 日頃ね
生きてる時から

よく言ってましたね。

自分の母親を
割と尊敬してたのね。

福祉に尽くした人
だったものですから

それも そう思ったんでしょうね。

それで 自分の母親と
同じ日に死にたいっていうのが

希望だったんですね。
それが 3月18日なんですよ。

「3月18日に 自分も死ぬ」って
言ってたの。

そしたら あの…

急に脳梗塞で倒れまして。
えっ! うん。

倒れて入院したんですよ。
ええ。

それで あっという間に
死んじゃったんですけれど。

私が看病する間もなくね
死んじゃったんですけど

おばがね 言ったのが

「暁子さん 3月18日よ 今日」って。

「お母さん いつも言ってた日と
同じよ」って。

それで… 祖母ですよ。
私の祖母ですね。

祖母と同じ日に死んだわけですよ。
本当に亡くなったの?

言ってたとおりに死んだの。
すごいわね。

ねえ。 私ね 思う…
その時 思ったのは

やっぱり 一生懸命 念じてると

ひょっとして
うまくいくかもしれない。

どう思います?
わからない。

わからないけど…。 でもね

念じてない人には絶対ないね。
あっ そう?

やっぱり 念じてると…?
うん。 念じてると

ひょっとしたら
あるかもしれない。

母親は 本当に…。
あっ お父様は

職業軍人でいらしたんですって?
そうです。

当時の軍人っていうのは なんか

大例祭とか なんとかあると

こういう格好をしていかなきゃ…。
そうね。

サーベルもお持ちになっててね。
…いけなかったんですよね。

ただ うちの父は 本当は
絵描きになりたかった人で。

あっ そうなの。
だから

全く向いてない人だったのね
軍人なんかにはね。

だから 気の毒で
しょうがなかったですね。

戦後 追放になってからは。
そうね。

どうしても
追放にならざるを得ないもんね。

もう 本当に気の毒でね。

絵を描いてれば どんなにね

幸せな人生だったかって
思うんですけれど。

うちの実家の廊下っていうのは

ずっと 父が
絵が好きだったもんだから

描いた油絵が… ずっと
画廊みたいに飾ってあったのね。

廊下のとこに?
そうそう そうそう。

それで 亡くなった日に
おばと一緒に実家へ戻って

私が 写真とかなんか探してたら

あの… 葬式用のね。

そしたら 地震が なぜだか
私たちが行った時に突然きたのよ。

それでね その中の1枚が
ガタッて落ちたの。

うん。
それで 落ちた絵を見たらば

それは
父が母を描いた絵だったの。

それが ちょうどね
お葬式用の写真…。

これ そう?
あっ これ これ これ。 ねっ?

うん。
…ぐらいの大きさなのよ。

それでね あっ 母親は

これを使ってほしいと
言ってるなって

私は思った。
なんていう事でしょうね。

キレイなお母様。
それでね この周りに

好きだった 紫と白い花を
いっぱいうずめて

それで お葬式に使ったら
まあ… 来た人たちが

「あら… 生々しくなくて
写真よりいい」って。

だからね 私も 亭主に 絵を
今から描かせておこうかしら

っていう反応が
一番多かったんですけど。

それから
お母様がお作りになった短歌?

はい。
お母様 お歌もやってらしたの?

ええ。 あのね 短歌が好きで

若い時から作ってましたね。

多分 これが 辞世の歌だろうなと
思ったのが

「世の中のなべてのことに
耐えてきし

今さら我にものおじもなし」
っていうのね。

すごいわね。

「ものおじもなし」っていうとこは
すごいでしょ?

私なんて
ものおじだらけだけどね

って思うのにね。

「今さら我にものおじもなし」って
すごいですよ 覚悟がね。

そうですね。
やたらに意志が強くてね。

本当に 迷いのない人でしたね。

だから まあ
多少は受け継いでますけれども

私は もっといいかげんだしね。

遊び好きだしね。

遊びの中で… そうですね
ですから

思い出してみると ほら

バレエを48歳から。
そうそう バレエね

クラシックバレエ。
48歳から始めたのよ。

そうおっしゃってた。
みんなが

「よく恥ずかしくないわね」
って言いましたけどね。

でもね
やりたかったんでしょ?

うん やりたかったから
やったのね。

可愛い。
ほら 「私の娘か?」って

言われましたよ この写真。
フフフフ…。

可愛いわ。
それから 還暦になった時はね

「還暦リサイタル」って称して…
それも 前 お話ししましたね

徹子さんと…。
ソプラノ? フフフフ…。

徹子さんと同じで 私も

オペラ歌手が
憧れだったんですよね。

それで 親しい人 集めて。

これ 還暦記念のリサイタル?
リサイタル。

すごい!
それでね

皆さん… 呼んだ人 60人ね
全部に もう

フランス料理のフルコース
食べていただいて

そのあとで歌ったの。
だってさ 歌が先だと

みんな
帰っちゃうかもしれないでしょ。

そうよね。
だからね

ごちそうを食べたら
帰れないじゃない 義理で。

だから それをやろうと思って
落語に『寝床』っていうのが…。

ある。
あれは あの…

ご隠居さんが 下手な義太夫を
聴かせるっていう話ですからね。

それをやってみようかなと思って
やったりね。

そんな事ばっかりして。

やっぱり
好きなものをやらないと

死ぬ時に後悔しますよね。
そうよね。 でも その時

お歌いになった時は満足した?
いやいや いやいや…!

私ね あんまり しゃべるので

あがったりする事は
なかったんですけど

あがるっていうのを
初めて体験しました。

そう。

歌って こんなに あがるんだ
っていうのがね。

全然違うものですね あれは。

っていう事が よくわかりました。

亡くなったといえば
あなたは 野際さんとね

NHKで 1歳違いだって
おっしゃいましたけど。

野際さんが
お亡くなりになった時に

おうちにいらしたんですって?
はい 行きましたね。

やっぱり 野際さん
亡くなったっていうのは もう

すごい 精神的には
ショックなんだけど

いわゆる涙が出るっていう
感じじゃなかったのね。

もっと なんか
心が痛む感じだった。

ところがね
おうちへ行ったらば…

祭壇があるでしょ。

そこの真ん前に…
リビングの真ん前に

大きなグランドピアノが
置いてあったの。

あったでしょ?
ありました。

あのグランドピアノは あの…
あれかしら? 五百円…。

…玉? 五百円。
ご自分でおっしゃって…。

ちょっと いいですか?
じゃあ この『徹子の部屋』で

野際さんが話してらしたの
ちょっと見てくださる?

「あなた 私
ビックリしたんですけど

五十円玉を集めて… あっ 五百円」
「五百円玉」

「五百円玉」
「五百円玉って 出てから

何年ぐらい経ちますかね?
三十…

三十何年ぐらいですかね?
出た時 そんなになかったから

もらうと 絶対 それは使わないで
取ってたんですよ」

「それで 五百円玉が
お釣りをもらえるような風に

こっちから お金も出したり
するんですって?」

「そうなんです ええ。
750円だったら 1250円…」

「出して
とにかく五百円玉はもらう」

「だいぶ たまりましたので
前から欲しかったピアノを…

グランドピアノを買いました」
「私 ビックリしたのよ」

「この方のおうち行ったら
すごいグランドピアノがあったから

あら この方 前から ピアノ
弾けたんだっけな? と思って」

「五百円玉で買ったの? あなた」

「五百円玉だけでは
足りなかったので

半分ぐらいは五百円玉です」
「でも すごいです やっぱり」

そうなの。 ねえ。
ねえ。

でも 何? グランドピアノを
ご覧になって?

私 なんかね 涙 出ましたよ。

私たちの時ってね
少女の時って…

野際さんもそうだし
私もそうだけれども

本当に 戦後
大変だったじゃないですか。

グランドピアノなんて買えない。

普通の縦ピアノも
買えないぐらい…。

もう 本当に
そういう生活だったでしょ。

その中で こう 夢っていうのはね

やっぱりピアノがあるっていう事。
そうね。

大きな夢だったんですよ。
黒柳さんちはね もう…

音楽家でいらっしゃるから
別ですけどね

だからね それをね 野際さんも
死ぬまでね ああやって…。

本当ね。
本当にね その…

それを お嬢様が またね

そうやって リビングルームに
ちゃんと飾ってね。

真ん前に置いてあるのよ。

他に なんにもなくて
あと 祭壇しかないのにね

グランドピアノが
ドーン! と置いてあるとね

いやあ ノンちゃん! って。

もう 本当にね
そこで叫びたくなりましたよね。

野際さんっていう人も 本当にね

あんまり こう 自分の事を
言わない人でしたけれども

毎日毎日 とっても真剣に
生きてたと思う。

あの人は 最初から
女優になるって言ってたし

私は 物書きになりたいって
言ってたし。

あっ そうなの。
うん。 ですからね

野際さんがいなかったら
私も やっぱり…

今のようにね 自分の思いを
遂げるっていうか。

死ぬ時が
一番個性的っていう生き方が

一番素晴らしいと思うの。
最後まで…

ギリギリまで仕事しててね。
そう。 そのとおりね。

だから 黒柳さんも そのとおりに
おやりになると思うけれど

野際さんも 本当に最後まで…。

あんまり 病気の事は
人には言わない…。

言わなかった。
言わなかったでしょ。

一番最後が 一番

あの人らしかったんじゃないかな
って思うのね。

そうね 本当ね。
だから そういう人生っていうか

そういう死に方っていうのが
一番いいかなって思ってますね。

まあ 自分らしく。
うん。

孤独の本を出したら
その次は死に方の本でしたよ。

そうですよね。
はい。

どうも ありがとうございました。

『徹子の部屋』は

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