出典:EPGの番組情報
NHK地域局発 ラウンドちゅうごく▽鉄の街はどこへ向かうのか~製鉄所閉鎖の波紋[字]
ことし9月に高炉の火が消える事となった日本製鉄の呉製鉄所。番組では閉鎖の背景を取材。再就職に悩む従業員、生き残ろうとする協力会社を追い、閉鎖の波紋を見つめる。
番組内容
ことし9月に高炉の火が消え、2年後の2023年9月に全面閉鎖されることが決まった日本製鉄の呉製鉄所。およそ3000人が働く拠点が無くなる事の影響は、地域経済や雇用に現れ始めている。番組では、呉の戦後復興を支えてきた製鉄所が閉鎖される事になった背景を取材。さらに配置転換や再就職に悩む従業員や、取引先を失う中、事業転換を図り、生き残ろうとする協力会社を追うことで、閉鎖の波紋と人々の選択を見つめて行く。
出演者
【キャスター】出山知樹,【出演】榎嶋愛理ジャンル :
ニュース/報道 – ローカル・地域
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 報道特番
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
鉄鋼と造船の街 呉市。
去年2月
この街に衝撃が走りました。
鉄鋼最大手の日本製鉄が
呉の製鉄所を 2023年に
全面閉鎖することを発表したのです。
戦後の経済成長を支えてきた…
およそ3, 000人が働く製鉄所は
今 大きく変わろうとしています。
これまで製鉄所を支えてきた
地域の協力会社は
大きな取引先を失う一方で
培った技術で
生き残りの道を探しています。
更に 製鉄所で働く従業員たちは
転勤するか
地元に残るため転職するか
選択を迫られていました。
大きく揺れる 地域経済と雇用。
鉄の街で働く人々を通して
閉鎖の波紋を見つめます。
50年にわたって
製鉄所に勤務してきました。
昭和44年に 高校卒業とともに就職。
フル稼働で
鉄をつくっていた当時の風景は
脳裏に焼き付いているといいます。
要するに…
延谷さんの歩みは
鉄鋼業の歴史と重なっています。
入社当時 24時間稼働する炉では
大量の鉄が生産され
活気に あふれていました。
ここでは 自動車向けの鉄鋼などを生産。
高度経済成長からバブル期にかけて
日本の製造業を支えてきました。
♬~
従業員の中で
歌われてきた…
延谷さんは 製鉄所に勤めていることが
大きな誇りだったといいます。
しかし 50歳を越えた2000年代初め
製鉄所は 転機を迎えます。
経済成長に合わせて 生産量が急増。
今では 世界でつくられる鉄の
半分を占めるようになり
日本メーカーを
圧迫するようになったのです。
2008年
上海に出張した延谷さん。
その成長を まざまざと
見せつけられたといいます。
その後 日本国内の市場も縮小。
競争が更に激化する中で
日本製鉄は 生産設備の削減を決断。
製鉄所の閉鎖を決めたのです。
東京ドーム30個分の広大な敷地で
年間およそ300万トンの鉄を生産してきた
製鉄所。
日本製鉄と行政による公での協議が
初めて行われました。
議論となったのが
製鉄所と取り引きを行っている…
協力会社では
およそ2, 000人が働いており
呉の雇用と経済に
深く関係しています。
実は 製鉄所の中には
50社以上の協力会社が
作業スペースや事務所を構え
仕事を請け負っています。
協力会社の売り上げのほとんどは
製鉄所との取り引きが占めており
まさに 今
大きな岐路を迎えているのです。
取材によれば 協力会社の中では
少なくとも 3社が廃業。
9月の高炉停止後には
廃業する会社が
更に増えると見込まれています。
理由を尋ねたところ…
…と答えています。
一方で 生き残りをかけて
動き出した会社もあります。
従業員11人。
製鉄所の配管の取り付けを行ってきた…
取り引きのほぼ全てが
製鉄所の仕事だったため
閉鎖に 大きな衝撃を受けたといいます。
週明けの作業いうことで…。
発表以降 先行きに不安を感じ…
江上さんは
会社を畳むことも考えました。
しかし そんな中
同じ配管の仕事をする協力会社から
江上さんに声がかかります。
一緒に新しい仕事に挑戦しないかと
持ちかけました。
まず 2人が始めたのは
仕事場を探すこと。
閉鎖されると 製鉄所内のスペースが
使えなくなるからです。
2人は 呉市内で共同で使う工場を
2, 500万円の借金をして購入しました。
これが 壁から2メートル。
費用は折半。
再出発のためとはいえ
大きな負担です。
更に 仕事の幅を広げるため
300万円の大型機械の購入にも
踏み切りました。
大型の配管の取り付けを得意とする
江上さん。
耐久性が求められる配管づくりを
専門とする 村上さん。
製鉄所で培った技術で互いを補い
あらゆる施設の工事に関わっていきたいと
考えています。
閉鎖までに
少しでも新たな取引先を開拓したい。
この日 2人は
呉市内の自動車部品メーカーを
訪れました。
依頼されたのは 倉庫の屋根や壁の補修。
これからは
製鉄所では経験のない仕事でも
積極的に引き受けることで
活路を見いだしたいと考えています。
6月。
2人は 新たに開拓した
造船関連会社からの依頼で
船の操作盤の土台づくりを
行っていました。
設備投資もあり
今は赤字が続いていますが
高炉の火が消えるのは9月。
事業をいち早く軌道に乗せたいと
考えています。
ここからは
閉鎖の発表から取材を続けている
呉支局の榎嶋記者とお伝えします。
榎嶋さん 製鉄所の閉鎖は
製鉄所で働く人たちだけではなくて
呉市全体にも
大きな影響を及ぼしますよね。
はい。 呉市の経済発展は
製鉄所の成長とともにあっただけに
地域の人たちからは
今後 呉が どうなるのか
不安の声が聞かれます。
例えば 製鉄所と同じ地区にある
タクシー会社は
製鉄所の従業員の売り上げが
最も多く占めていました。
多い時で 年間350万円以上あった
という売り上げが なくなり
大きな影響を受けます。
また
飲食店を経営する人からは
今 新型コロナウイルスの影響で
客足が大きく落ち込む中
製鉄所の閉鎖が
追い打ちをかけることになるといいます。
先行きが見通せず 閉店を検討している
という飲食店もありました。
経済界からは 3年前の
西日本豪雨からの復旧のさなかに
新型コロナウイルスの感染拡大
そして 製鉄所の閉鎖が決まり
呉市は 三重苦の状態だと
その苦しい現状を語っていました。
ふだん 呉市で取材をしていますと
従業員や協力会社の社員
そして その家族が 呉から いなくなり
人口減少が更に進み
街全体の活気が失われる
中長期的な影響を懸念する声が
上がっています。
地域経済に与える影響も
大きいと思うんですけれども
行政は どのように支援していこうと
しているんでしょうか。
県や市は
閉鎖発表直後に対策本部を設け
大きな影響を受ける
協力会社や取り引きのある会社を
支援しようと取り組んでいます。
具体的には
事業転換を進める企業を後押ししようと
新しい生産拠点をつくったり
機械の導入にかかる費用などを
助成しています。
また 転職する人を対象とした
雇用面での支援を行っています。
呉市の担当者は
次のように話しています。
また…
ただ 協力会社を取材した実感では
ほとんどの仕事を
製鉄所に頼ってきただけに
事業転換に取り組もうと考えても
まさに ゼロからの挑戦となるだけに
新たな一歩を踏み出せずにいる会社も多い
と感じました。
VTRで紹介した協力会社も
新しい仕事が
少しずつ増えてはいますが
まだ 経営が
軌道に乗っておらず
事業転換は そう簡単ではない
と感じました。
協力会社の多くは
製鉄所で培った高い技術を持っています。
そうした技術を絶やさず
いかせる場をつくっていくために
こまやかな支援が必要になると思います。
2年後に迫る製鉄所の閉鎖は
働く従業員の雇用にも影響を及ぼします。
日本製鉄は
雇用を維持する方針を示していますが
閉鎖されれば
県外への転勤を余儀なくされます。
選択に揺れる従業員たちを取材しました。
呉市内にある運動公園。
夕方 勤務を終えた製鉄所の従業員たちが
集まってきました。
仕事のかたわら 駅伝の全国大会を目指す
陸上部のメンバーです。
10人の部員のほとんどは
地元で採用された
呉採用と呼ばれる社員たち。
これまでは 転勤がなく
定年まで呉で働くことができました。
しかし 製鉄所の閉鎖に伴い
陸上部は廃部。
部員たちは 今 選択を迫られています。
じゃあ いくよ。
はい よ~い はい。
仕事を辞めて地元に残るか
それとも
転勤を受け入れて ここを離れるのか。
部員たちも 指導する自分も
落ち着かない日々を過ごしています。
製鉄所の保全部門に勤務しながら
ランナーとして全国大会にも出場した
松岡さん。
3人の子どもを連れて転勤すべきか
悩んでいます。
じゃけど…
陸上部では 転勤を受け入れて
部を辞める決断をした人もいます。
選手たちのサポートを行う
マネージャーの…
陸上部で活動しながら 一日3交代で
鉄の品質を管理する部署に
28年間 在籍していました。
9月の高炉停止をもって
北九州へ異動することになった久藤さん。
転勤先では 職種も変わり
生産現場で働くことになるといいます。
呉市やハローワークでは
地元で働き続けたいという従業員を
サポートしようと
転職説明会を開いています。
今年2月に行われた説明会に参加したのは
およそ200人。
しかし 転職希望者を取材すると
新型コロナウイルスの影響のため
地元企業の求人は多くはなく
転職は簡単ではないと語ります。
そうした中 陸上部の中には
転職し 広島に残ることを
決めた人もいます。
今日は 夜勤初日なので。
これから 今日 明日と
3日続く感じですね。
去年6月に製鉄所を辞めて転職した…
ただいま。
え~ カメラの人?
転職を決めたのは
閉鎖が発表された直後の
去年2月のことでした。
冨田さんが勤めていた部署は
今年9月の高炉停止に伴い
なくなります。
妻が 転勤ではなく
地元 広島に残ることを強く望んだため
経験のない警備の仕事に
移ることにしたのです。
仕事は 全て夜勤ですが
広島を離れるよりはと
製鉄の仕事も 陸上も
諦めたといいます。
ねっ。
まさかの。
従業員の皆さんは 今 まさに
大きな選択を
迫られてる状況なんですね。 はい。
製鉄所で働く人の大半が
地元で採用された
呉採用といわれる人たちです。
日本製鉄は
今年9月に高炉が停止するのに伴い
協力会社を含めて
製鉄所で働く人の半分にあたる
およそ1, 500人の仕事がなくなることを
明らかにしています。
こうした中
呉に残りたいと考えても
仕事を求めている人
1人に対して
企業から
何人の求人があるかを示す
有効求人倍率は
1倍を割り込む状況が
去年5月から続いています。
県内のほかの地域に比べて
とりわけ厳しい状況で
必ずしも 十分な雇用の受け皿があるとは
言えません。
個々の事情に合わせた雇用の支援が
行政だけでなく
日本製鉄にも求められていると思います。
基幹産業を失うことになる
呉市ですけれども
今後 街づくりを どのようなふうに
考えているのでしょうか。
大手鉄鋼メーカーの製鉄所の全面閉鎖は
極めて異例なことだけに
呉市も強い危機感を持っています。
呉を支えてきた製造業は
製鉄所の閉鎖にとどまらず
今 造船業も
厳しい状況に置かれています。
このため
重厚長大産業からの変革を
目指しています。
例えば 呉市では
軍港都市だったことをいかした
観光産業の強化や
脱炭素社会に向けた
新しい産業の誘致
そして 製鉄所跡地の活用などに
取り組みたいと考えていますが
まだ方向性は示せていません。
閉鎖まで残された時間は
僅か2年しかありません。
新たな産業の柱づくりが
急がれていると思います。
呉支局の榎嶋記者でした。
「ラウンドちゅうごく」
今日は 製鉄所の閉鎖の波紋について
お伝えしました。
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