出典:EPGの番組情報

開運!なんでも鑑定団【徳川家康の超貴重お宝&魯山人の織部焼に衝撃値】[字]

■家康が残した…秀吉<天下統一の戦い>
超貴重お宝か!?驚き値■美食陶芸家<魯山人>…織部焼6点に仰天鑑定額■<サッカー秘宝>に衝撃値…青春の思い出鑑定大会■

詳細情報
番組内容
8年前、3000万円の古民家を移築し、50年かけて集めた自慢のコレクションを披露する
ギャラリーカフェをオープンするも全く客が訪れず、3年前あえなく閉店。現在は店の片付けやコレクションの断捨離を進めている。お宝は20年ほど前に250万円で手に入れた、とっておきの品。夢の高額鑑定で骨董人生のフィナーレを華やかに飾りたい!果して結果は?
つづき
1000円スタートがあれよという間に40万円に!?数々の小説を手がける歴史家がネットオークションで競り落とした戦国武将のお宝が登場!偽物だったらとんだ赤っ恥だが…
驚きの鑑定結果にスタジオ騒然!
出演者
【MC】今田耕司、福澤朗
【ゲスト】篠井英介
【アシスタント】片渕茜(テレビ東京アナウンサー)
【出張鑑定】第10回青春のお宝鑑定大会
【出張鑑定MC】原口あきまさ
【出張鑑定コメンテーター】中尾ミエ
【ナレーター】銀河万丈、冨永みーな
鑑定士軍団
中島誠之助(古美術鑑定家)
北原照久(「ブリキのおもちゃ博物館」館長)
安河内眞美(「ギャラリーやすこうち」店主)
増田孝(愛知東邦大学客員教授)
八木正自(「安土堂書店」代表取締役)
関連情報
【番組公式ホームページ】
www.tv-tokyo.co.jp/kantei/

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
バラエティ – その他
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸

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キーワード出現数ベスト20

  1. 万円
  2. お宝
  3. 家康
  4. 魯山人
  5. 年前
  6. 料理
  7. オープン
  8. サイン
  9. 当時
  10. 本物
  11. 間違
  12. 結果
  13. 秀吉
  14. ジャカジャン
  15. デッサン
  16. ホント
  17. 依頼品
  18. 出陣
  19. 徳川家康
  20. 武将

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

定価半額。

どうだ?

大入り 間違いなしです!

<俳優の…>

<小学生のときに見た
映画 『サウンド・オブ・ミュージック』の

ヒロイン ジュリー・アンドリュースに魅了され…>

<顧問に

と 申し出たところ…>

< それでも 舞台
『欲望という名の電車』に出会い

上流階級で育ちながら
複雑な過去を抱えた

主人公 ブランチを演じた
杉村春子さんの演技に

大きな衝撃を受け…>

< と 強く決意しました。

そこで 大学卒業後

<常に女形としてヒロインを務め

その妖艶な演技で
演劇界の注目を集めました>

<小劇場から商業演劇まで
多数の舞台に出演>

< その年 ついに

<意気揚々と
稽古に臨みましたが

原作の著作権者から

<舞台は 中止に。

それでも諦めきれず

<9年後の
2001年 ついに許諾が下り

念願のブランチを
演じることができました。

その活躍は 舞台のみならず
映画やテレビドラマにも。

映像作品では 主に男役を演じ
独特の存在感を放っています>

患者が死んでも?

それは 結果論でしょう。

(今田)依頼人の登場です!

(片渕)東京都からお越しの

(福澤)ようこそ 「鑑定団」へ。
よろしくどうぞ お願いします。

どうぞ お願いいたします。

こういう番組出るの
珍しいんじゃないですか?

そうですね あんまり
出てきませんね。
ですよね。

もう やっぱり1回見たら
忘れられない存在感ですもんね。

ちょっと悪い人とか
怖い役は もう。

『下町ロケット』で
ご一緒させてもろうたときも

すごいイヤな人でしたもんね。
それは本当に。

もう自分でやってもイヤなヤツだと。
イヤな人でしたわ。

これだけ こういう役が
来るってことは やっぱ

上手なんですかね?
そうですね。

さあ お宝ですけども
こちらでございます! オープン!

はい。
(篠井)きれいでしょ。

きれいです。
ルドゥーテっていう

ベルギーの植物学者でもあり
画家でもあられたという。

ルドゥーテの版画。
版画。 ただ手で彩色してると。

3年くらい前なんですけど
還暦を迎えたときに

お友達が
お誕生日お祝いでくださったの。

そしたら
去年 コロナになっちゃったでしょ。

そしたら その方 優しくて

英介さん
役者さんも今年は大変でしょ と。

どうぞ お売りくださいと。

領収書まで送ってきてくださった。
そう これ買ったときの。

70万くらいしたんですよ。

お言葉に甘えて
画廊さんに お預けしたんです。

売ってくださいって。 聞いたら

これは1万6, 000円~1万7, 000円
ですねって言われたんですよ。

あまりにも お求めになった
お友達との差があるので

なんか皆目
え~っ!? って感じで…。

どっちなの? ってことですよね。
そうなんです。

それで こちらにお願いして…。

それで 逆オファーで ご出演ってこと
ありがとうございます。

テレビをご覧の芸能人の皆さん
そういうのアリなんで

お待ちしております。

ご本人 評価額になります。
おいくらでしょう?

70万ということで
お願いいたします。

そうですよね わかりました。
まいりましょう オープン ザ プライス!

さあ いくらでしょう?

10万! おぉ~。

微妙 もう1つ
ゼロついてもらいたかった。

ピエール=ジョセフ・ルドゥーテの銅版の
植物画に間違いありません。

あっ 本物は本物。
ただし

ご購入された
70万円という金額は

かなり高いと
言わざるを得ません。

ルドゥーテは マリー・アントワネットに教授した
とも伝えられてるほどの作家です。

1827年 144枚からなってる
画集 『美花選』を作りました。

点描による濃淡をつけた

高度な
銅版画技法で摺られてまして

その上から
筆で彩色がなされております。

ボタニカルアートの中では 一線を画す

すばらしい出来の
画集となっております。

144枚 全部そろって出たとしたら
1, 500万円という値で

取り引きされると思います。

これは その中の1枚ですので

このような値段になって
しまいます。

いくらか すっきりしましたか?

かなり気持ちは
すっきりしました。

70万だと思うと
怖かったんですけど…。

あぁ そうか そうか。
このくらいのお値段なら

玄関に飾っちゃおうかなって。
そうですね!

はい どうも
ありがとうございました。

ありがとうございました。

<続いては 東京都 中央区から。

高層マンションの一室で
ひたすら仕事の真っ最中。

次なる…>

<職業は

数々の本を執筆しています。

歴史家になろうと決めたのは
中学生のとき。

司馬遼太郎の 『竜馬がゆく』を
読んだのが きっかけでした>

< そんな熱い男

濱田さんが
近頃ハマっているのが武士メシ。

戦国武将たちが
実際食べていた料理を

再現しているそう。

で 今 作っているのは…>

< できあがりは…。

あらま~ 焦げ焦げ。

見栄え的には大失敗ですが…>

< そ… そうですか。

ところで お宝は何ですか?>

<4年前のこと。

歴史家という職業柄

いつかは戦国武将の
お宝が欲しいと思い

探していたところ…>

< しかし 迎えた落札最終日。

終了時間が近づくにつれ

値段は競り上がり

なんと 40万円に!>

というのも…。

<気配を察した
妻から

どうしたのと
尋ねられ

正直に話すと…>

< しかし
最近になって妻から

「あれ 本当に本物よね?」
と尋ねられ…>

鑑定 どうか お願いいたします。

依頼人の登場です。

東京都からお越しの

ようこそ 「鑑定団」へ。

よろしくどうぞ お願いします。

おいしいんですか?
その武士メシって。

結構 あれ おいしいですよ。

ホント 皆さん
食べてほしいくらいです。

レシピみたいなのはあるんですか?
はい 文献とかにもありますし。

一番のオススメは
何かあるんですか?

納豆汁というものですね。

徳川家康が 養生で食べた
というものなんですけれども。

養生で食べた。
はい。

味噌汁の中にですね
納豆とか 野菜とか

それから
お肉とか魚を入れるっていう…。

肉も入れてた?
具だくさん味噌汁みたいな。

たしかに そうですね。

さぁ 今回のお宝ですけれども
まいりましょう オープン!

いいですね 怪しくて。
(笑い声)

徳川家康の書状です。
家康。

っていうことは
2番目に好きな武将は

徳川家康なんですか?
そうですね。

天下泰平 250年の基礎を作った
武将として尊敬できますし

昔から 家康の書状
欲しかったんですよね。

これは
絶対に落札しようと思ったんは

どういうところが
ポイントやったんですか?

この花押。 堂々と
しっかりしていると思います。

ちゃんと 読めますね。

読めすぎるくらい読めますね。

最終的に 40万で

ネットオークションで
落札したってことですか?

最後は 55万でした。

えっ また上がった?
上がりました。

奥さんの後押しもあったので…。
はい そうです 思い切って。

これ でもやっぱり
歴史をお仕事にされてますから

偽物をつかまされたっていったら
イメージよくないですよね。

そうですね。
もう下がっちゃいますよね。

間違いなく
これまでの出された

本の売り上げ 下がりますよ。

<苦虫を噛み潰したような
相貌こそ 『顰像』である。

三方ヶ原の合戦で
武田軍に大敗を喫し

命からがら逃げ帰った姿を
描かせたもので

みずからの慢心を戒め

2度と同じ失敗を
繰り返さないよう

家康は 生涯 この絵を
座右のものとしたと伝えられる。

30代は 信長のもと

幾多の戦をくぐり抜け

40代は 不本意ながらも
秀吉に仕え

ついには
江戸幕府を切り開いた

忍耐の武将である>

<今回の依頼品
家康の書状というが

いったい
何が書かれているのか。

詳しく見てみよう。

「御状 則ち
中納言殿へ

持たせ
参らせ候。

なお
出陣の節

面を以て

申し承る
べく候。

恐々謹言」。

つまり 手紙は
中納言殿へ

送って
おります。

ついては
出陣の際

直接
お会いして

話を
伺いたいと。

文末には 7月1日の日付と

家康の署名。

宛名には 浅野弾正少弼殿とある。

これは
秀吉の正室 高台院の義弟

浅野長政のことで

行政手腕に長け

秀吉の信頼も厚く

太閤検地を
任されたほか

朝鮮出兵の際は
軍監として従軍。

ついには 豊臣政権下の
五奉行に任じられた武将である。

重要なのは
書かれた時期であろう。

年号こそないが
「七月朔日」とある。

家康が豊臣に仕えたのは

1586年 天正14年から

1600年
慶長5年までであり

その間 7月に出陣と

書き送る状況に
あったのは

1591年
天正19年のみである。

いったい
何があったのか>

<世にいう…>

<秀吉にケンカを売ったのである>

< この年の3月 下北半島から

北上川中央一帯を治めていた

南部氏当主 南部信直に反発し

同じ一族で 勢力を二分していた

九戸政実が挙兵した。

これはすなわち 信直を
当主と認めた

<秀吉は これを鎮圧すべく…>

<豊臣秀次を総大将に

浅野長政 徳川家康

伊達政宗 石田三成ら

そうそうたる武将を

奥州仕置軍として
派兵したのである>

<依頼品は この出陣にあたり

江戸にいた家康が
陸奥にいた長政に

送ったものと推察される>

<九戸政実の乱の
戦況について書かれた手紙は

中納言 すなわち
豊臣秀次に進呈したので

出陣の折にお会いして
話しましょうと>

<九戸政実の兵 5, 000に対し

仕置軍は
6万と兵力の差は歴然だったが

政実は 難攻不落の九戸城に籠城。

苦戦を強いられた仕置軍は
謀略をめぐらせ

政実の旧知の僧を
使者に立てると

政実の…>

< との和議を
提案。

政実は これを受け入れ
投降したが

城を出るや…>

< この乱の終結をもって
秀吉の天下統一は

完全に達成されたのであった>

<依頼品が自筆なら 家康50歳

辛抱を重ねた時代の
貴重な資料となるが

ここまでわかるんだ。
史実がしっかりわかる。

すごいな。
いや~。

本物であってほしいですよね。
本物であってほしい!

ご本人の評価額です
おいくらでしょう?

期待を込めて100万円で。

込めたいですね それくらいは
まいりましょう オープン ザ プライス。

150万円!
150万!

これは やりました!
面目 保ちました。

そうですね プライドがなんとか。
いや~。

本物 間違いございませんですね。
うわ~ 家康だ。

家康が 確実に自筆を
ふるってるのは花押の部分。

堂々たる将来 天下を
制覇する花押ではありますね。

文章のほうですね。

自筆であるか右筆であるかって
難しい問題があるんですけども

家康の場合は そこまで
研究が至ってないんです。

ですから 家康もかなり
上手であったというふうにも

考えられるし しかし
右筆が書いた可能性もあるんで

どちらかっていうことが
今の段階では決められない。

わからない?
残念なことがありまして

手紙の前半が
切断されてるんですね。

この手紙は文章の後半なんです。

どうして そんなことしたかと
いうとですね

江戸時代以前は一幅の絵として
これを飾るということが

考え方としてあったんですね。

徳川家康の花押が どんと真ん中に
あるということはですね

非常に大事で… 文章そのものは
二の次三の次という結果

こうなったんじゃないか
全体が 揃った場合には

やっぱり250万円くらいは
するであろうと。

いかがでしたか?
ほっとしました まずは。

ほっとしましたね これ
奥さんにいい報告できますね。

ホントにはい よかったです。
でも 前半を探すべく

これからもネットオークションに
ハマるんじゃないですか?

あります はい。
ぜひ探してきてください。

はい 頑張ります。
どうも ありがとうございました。

どうもありがとうございました。

<青春 それは
人生で最も光り輝くとき。

甘く切ない思い出に
彩られたお宝が

今宵 感動と笑いを巻き起こす>

第10回 青春の思い出鑑定大会!

<本日の鑑定士は…>

<ゲストコメンテーターは
歌手の中尾ミエさん>

中尾さんってどうですか
青春の思い出。

電話?

引いてもらう?

(笑い声)

< まずは

< これが 59年前の私です>

<大学2年の夏休み 知人から…>

< と誘われ
乗り気になったものの

費用は…>

<当然 そんな大金は
あるはずもなく

父の相談すると
何事も経験と

快く捻出してくれました。

当時

<待っていたのは

えっ!
(中尾)ハハハ…。

森繁さんには ホントに
お世話になりましたから。

<父のおかげで エーゲ海には
無事たどり着いたものの

知人が用意した2人乗りのヨットは
かなりのオンボロで

出発早々 エンジンが壊れた。 更に…>

違うの?
ええ。

わかんないです ホントに。

< お宝は…>

<ヨットクルーズを終え 帰国する際

カイロに立ち寄ったときのこと>

こんなに名刺を持ってるんです。

その名刺に書かれてるんですか?
何枚かある そういうのが。

<値段交渉の末
市内観光を頼むことに。

早速 博物館に行きたいと
伝えると…>

<着いた先は 映画に出てきそうな
怪しげなバザール。

薄暗い店に案内されると
ここで何か買えと迫ってきて…>

<値段は なんと
現在の10万円ほど。

予定外の大出費に
怒りが込み上げ

タクシーを降りる際…>

と書いて渡したんです。

(笑い声)

<本人評価額は 買った金額と同じ
10万円。

この面を見るたび
苦い記憶がよみがえるが

捨てようにも祟られそうで
いかんともしがたい。

果たして 結果は!?>

ジャカジャン! こい! 20万円!

< やった~!>

20万円!
うわぁ 倍ですね。

価値があったんだ!
ありがとうございます。

紀元前3世紀くらい。
エジプトのミイラの棺の顔の部分。

今はもう ほんのわずかしか
残ってない レバノン杉で

出来たものなんですが…。

それが アイシャドーの始まりです。

恐らく 山のようなニセモノと
お土産品の中で

これを選ばれたというのが
すごいと思うんですよ。

向こう行くと 博物館行きたいって
日本人 みんな言うんですよね。

で タクシーの運転手が
今日は休みだよって言うのは

もう

休みでもいいから…。

<続いては

< これが 53年前の私です>

<2年間の基礎コースで
卒業するつもりでしたが

より技術を身につけたいと
もう1年 通うことに。

すると とってもすてきな先生に
出会ったのです>

どんな先生やったんですか?

ハンサム。

< こちらが その先生>

うわっ! かっこええ!
岩城滉一さんかと思った。

<鴨居玲は 人間の
もろさや醜さを

つぶさに描いた
洋画家だが

当時は まだ無名で
デッサンの講師をしていた>

ヒャ~って。

っていう感じでした。

憧れますよね。
ねぇ。

< お宝は 鴨居玲のデッサンである。
モデルは…>

えっ!? 鴨居玲先生が描いた?
そうなんですよ。

<卒業間近のある日
記念にと クラス全員20名ほどを

デッサンしてくれた>

私は ああやって ちゃんと
描いてくださったんです。

(笑い声)

<実は 卒業後 このデッサンを

ずっと ほったらかしに
していたのだが

20年ほど経った ある日

鴨居の回顧展を観に行った際

たまたま こんな会話を耳にした>

って言って 聞いて えっ!?

<以来 家宝として
大事にしている。

本人評価額は 当時の年齢にちなみ
21万円。

最近 クラスメートたちに連絡したが

みな とうにデッサンは捨てたか
失くしたと言っていた。

果たして 結果は!?>

ジャカジャン! こい! 100万円!
えっ!?

< これはすごい!>

これは すごい!
(拍手)

ホントにね。
もちろん 本物です。

鴨居っていうのは
すごく華やかで

周りに集まってきた人
全員が好きになってしまう

それくらい魅力的な方だった。

一方で センシティブな感情面というのが
強かった方で

生命と死というものを
キャンバスにどう表現できるか

っていうことと向き合い続けた
作家なんです。

この依頼品は そういった側面では
ないですけど

髪の毛から首
あるいは肩回りにかけての

ループするような
線の使い方なんていうのは

すごく特徴というのが
よく出ていると思います。

先生として 生徒さんと
向き合った愛情みたいなものが

作品からも
よく感じ取れますし

ぜひ きちっと額にして
大切にして。

<続いては

< これが 25年前の私です。

父の仕事の関係で

<心細かったのですが

スペインでは 日本のアニメが大人気。

おかげで
みんなと仲よくなりました。

あの頃 芽生えた 「世界は広い!

もっとたくさんのものを見たい」
との気持ちは ずっと変わらず

6年前
ある会社を立ち上げました>

どういう会社ですか?

アーティストと一緒に
アートホテルを作ってます。

アートホテル?

<今年4月には
4軒目となるホテルを日本橋にオープン。

泊まれる作品として

国内外のアーティストが
客室の内装を手がけている。

こちらは 寿司をテーマにした部屋>

えっ これ… 真ん中 あれ トロ?
トロ? あれ?

お寿司が宇宙へ行ってるような
コラージュ作品ですね。

いやぁ。

< こちらは ズバリ ゲームルーム>

あれ オセロとか。
そうですね。

あれ全部 マグネットになってて
あれで遊べたりとか。

え~っ。

あぁ。
世界展開していきたい。

< お宝はFCバルセロナの選手18名の
サイン入りボールである>

<小学3年生のとき
日本に帰国する際…>

親友だった

って これ くれたんですよ。

<誰のサインかは
まったく覚えていない>

ドリームチームと言われてた時代のね。

<大切にしまっていたが

久々に出したら
すっかりしぼんでいた。

本人評価額は
あてずっぽうで10万円。

色は きれいなままなので
もし いいものなら

ケースに入れてホテルに飾るつもり。

果たして 結果は!?>

ジャカジャン!

3, 000円!

< う~ん 残念!>

残念ながらですね
有名選手のサインは

1つもないですね。

1990年代前半のバルセロナ。

全盛期のものだとは
思うんですけれども

バルセロナのDがありますし

その下も
たくさんチームがありますからね。

そういったところの選手たちに
書いてもらった

というものであれば

サインの価値としては
評価なしという。

<続いては

< これが 19年前の私です。

小学生の時

両親が連れていってくれた
お寿司屋さんで

職人の包丁さばきに感激!

高校卒業後 地元・福山を離れ

飛騨高山にある和食店で修業。

当時の高山は

陸の孤島と呼ばれるほど
不便でしたが

簡単には帰れない場所を
あえて選びました>

<4年前には 松山に移住し
出汁茶漬け専門店を開きました。

新鮮な愛媛産の魚介を
ふんだんに使った茶漬けは

酒のシメに最高と大評判です>

なぜ愛媛に?
日本中 見て歩いたんですけど

<看板メニューは

実は この鱧…>

普通ならば
骨切りをする鱧なんですが…。

< そのお味は…>

いただきます。

おいしそう。

まさに これ

まさに そう。
すばらしい。

< お宝は こちら。

イタリア…>

メディチ家と違う家紋が
入っとるので…。

何年くらい前のお皿かは。

500年くらい前?

<30歳のとき

< すると その帰り…>

クローゼット こう開けて 選んで。

<以来 とても大事にしており
5年前 家を新築した際…>

玄関 開けたところに。

< それが こちら>

(原口)玄関入って。

塩沢さん家の玄関入って…
あ これ?

(塩沢さん)これ。
(原口)え~っ!

家に帰ると毎日これを見ると。
(原口)毎日これ見る?

お宝っていうのは
こういうふうに

やっぱり飾って
毎日 鑑賞するものです。

<本人評価額は
これくらいはするはずと 50万円。

この皿を見るたび

若き日の情熱を思い出し
気が引き締まる。

それはまさに お金には
変えられない価値があるが…。

果たして どうなるのか

<19年前 フィレンツェでいただいた
メディチ家伝来の皿。

果たして 結果は!?>

ジャカジャン こい!

< まさか~!>

あれ~!
いやいやいや。

残念ですが コピーなんです。

1575年くらいから8年くらい。

メディチの当時の当主が
お金を大量に出して

中国の磁器 復元させるんです。

でも カオリンっていう石の粉が
手に入らなくて全然できない。

しようがないから
半分ガラスみたいなものを作る。

きれいにはできたんですけれど
ガラスだから もろかったんです。

今 50~60点くらいしか
残ってなくて

もし これが そうだったら
数百万。

これは おそらく
20世紀になってから

セラミック粘土のようなもので
コピーされたもの。

<最後は

< これが47年前の私です>

<翌年の本戦で 日本が
銅メダルを獲得したため

すっかり サッカーファンになった私は

当時 珍しかった
専門誌を欠かさず買い情報収集。

するとある日 あの

自分は 野球やってたのに

サッカーが好きになっちゃった。
そうなんです。

誰が来日したんですか?

出た!
はい。

< お宝は
そのペレのサイン2点である。

1974年の来日時…>

大学に行かずに。

<先着100名とのことだったので

早朝から並び 色紙にサインをゲット。

できれば 持参した雑誌にもと

だめ元で係員にお願いすると>

優しく言ってくださいました。
え~っ。

< しかも ペレはこの雑誌を見て>

みたいな感じを
言われたと思うんですけども。

そうですね はい。

<本人評価額は
神様のサインなので200万円。

あの日は
2度もペレと握手できて大感激。

がっしりとした手の感触は
今でも忘れられない。

果たして 結果は!?>

ジャカジャン こい! 30万円。

<ダウンするも大健闘>

相当な数あるんですね。

サインを請われれば 必ずすると。

これは 非常に高い評価。

ファーストネームのエドソン。
これが入ってる。

だいたい P E L E

それをね 筆記体で
書いてるだけのものが

ほとんどですよね。

日本に来て 相当気分が
よかったんじゃないですかね。

それから 文字が丁寧ですね。

私が 見たなかでは
いちばんきれい。

やっぱりね 自分の
写真が入ってるものに

サインをくださいっていったら

無意識にきれいに
書くんじゃないでしょうかね。

<青春の思い出鑑定大会

<続いては 愛知県 豊橋市から。

こちらのギャラリーカフェに
お伺いしました。

こんにちは>

< あれ 誰もいない?

というか 何もない?

誰かいませんか?>

はい。

< あっ いた>

いらっしゃいませ。

< あぁ よかった。

こちらが店主の
楠見一徳さん 79歳>

< あの 今日はお店は?>

いや もう

< えっ 辞めちゃったの?

聞けば こちらの骨董ロマンJAPONは

3, 000万円ほどかけて
移築した古民家の中で

楠見さんご自慢の
骨董を見ながら

お茶を楽しんで
もらおうというコンセプトで

2013年にオープンしたのですが…>

< と同時に自身の
コレクションを整理し

現在は ほとんど残っていません>

<今回のお宝は
そんななかにあっても

手放す気にはなれない
とっておきの品。

このお宝で 「鑑定団」に出演し

骨董人生のフィナーレを
飾りたいそうです>

< えっ フィリピン?
これまたどうして?>

< なんと妻のエルサさんは
フィリピンのご出身で

現在は

<今すぐ飛んでいきたい
ところですが

新型コロナが収まるまではと

毎日のテレビ電話で
我慢しているそうです>

はい わかりました。

< というわけで
骨董人生のフィナーレを飾る

お宝の登場です>

依頼人の登場です。

愛知県からお越しの

ようこそ 「鑑定団」へ。
よろしくどうぞお願いします。

今日 持ってきたお宝っていうのは
これを最後に見てもらいたい?

そうですね。
で それを土産に

奥さんとこ行きたい?
はいはい。

そもそも 奥様とはどこで

どういうふうに
知り合ったんですか?

ちょっと 不動産で
調子がよかったものですから

夜は 遊びに結構行ってまして。

フィリピンの方が よく集まっている
パブ的なものですか?
そうです。

さぁ それでは
お宝見てみましょう オープン!

あっ きれい。
これなんでしょう?

魯山人の織部 草花紋小皿6枚。

石川県のね
陶芸家と知り合いになって

これをいっぺん見てみろと。
見ましたら

どうしても
欲しいなという気持ちが。

気持ちになった?
はい。

これを買えんじゃ
男じゃないなと思ってね

意気込んで買ったんです。

ちなみにおいくらで?
250万。

マジですか。

その人 信用できるんですか?

いや この物が
私は気に入ったものですから。

そうか 物を気に入ったんですね。
はい。

その人じゃなくてね。

篠井さんいかがですか?
素朴ですね。
きれいですよね。

一枚一枚 草が全然違うね
模様になってて。

でも 魯山人も偽物多いですよね。
多いですね。

<鯛がある。

まだ料理ではない。

切ってみる…
これも まだ料理ではない。

器に盛られて 初めて料理になる。

陶芸家にして希代の美食家
北大路魯山人は

こう言っている>

<以後 養家を転々とした。

木版業を営む
福田家の養子となったのは

6歳のとき。

奉公に追われながらも
日本画家に憧れたが

当然 かなうはずもない。

そこで目をつけたのが

当時 流行していた
一字書きの懸賞であった。

まったくの独学で挑戦すると
たびたび入賞。

更に 日本美術展覧会で
一等賞二席を受賞すると

濡額や看板などの依頼が

舞い込むようになった。

そんななか 金沢の実業家

細野燕台の知遇を得た。

燕台は
煎茶をたしなむ趣味人にして

美食家でもあった。

料理を振る舞われた魯山人は

味はもちろんのこと
食器の品のよさに心惹かれたが

それが 燕台自身の絵付けと知り

料理と器の調和に目覚めた。

36歳のとき 大雅堂美術店を開業。

表向きは古美術店であったが

2階では 古陶磁の名品に

自ら手料理を盛り提供。

美食倶楽部として話題を呼んだ。

そして 1925年

赤坂の会員制
高級料亭 星岡茶寮の

顧問 兼 料理長に就任。

星岡茶寮は 夕食が10円と

当時としては破格だったが

魯山人の創意に満ちた料理が

古陶磁の名品で
楽しめるとあって

たちまち

< そのため 器の古陶磁が
足りなくなってしまい

魯山人は 急きょ
北鎌倉に星岡窯を開き

作陶活動を開始した。

特定の師を持たず
独学であったが

なかでも魅せられたのが

黄瀬戸 志野 織部などの
いわゆる桃山陶で

その再現に心血を注いだ。

魯山人いわく…>

<例えば この織部長板鉢。

緑釉の鮮やかさや文様の大胆さは
いかにも織部だが

このような造形は
まったく例がない。

また 滑らかに仕上げるのが
基本とされる器の表面を

あえて石でたたき
細かい凹凸をつけることで

緑釉に複雑な濃淡と
輝きをもたらしている。

まさに 伝統と革新が織りなす
魯山人の織部といえよう。

生涯に手掛けた器は 実に20万点。

作風は驚くほど多彩だが

いずれも気取りがなく
大らかな気品に満ちている。

それゆえ 魯山人の器は

料理を盛りつけたときにこそ
美しく映え

いっそうの美味となる。

まさに 器は料理の着物として。

改めて 依頼品を見てみよう。

北大路魯山人作
織部焼の向付6枚である。

鮮やかな緑釉と素朴な草絵が
実に すがすがしい。

魯山人は
織部焼だけを使った食事会を

たびたび催すほど
数多くの作品を残している。

裏には カタカナの 「ロ」の字が

うっすらと判別できるが…>

いかがでしょうか?
VTR ご覧になって。

500万。
まだ早い。

まだです。
まだ早いです。

まずは ビデオを見ての
感想を聞かせてください。

間違いないと思います。
間違いない?

ご本人の評価額ですが。
500万。

500万持ってフィリピン行ったら

さすがお父さん!って
なりますから。

まいりましょう。
オープン ザ プライス!

さあ ご覧ください。

(歓声)

500万には届かなかったが 200万。

昭和20年代後半の作品ですね。

たたらと呼ばれる粘土の板を
丸く削り取ってね

角材を横にして ちょっと押して

周りを軽く持ち上げて
簡単な造作ですけども

器としての完成度は
実に高いですね。

魯山人の皿というのは
縁を見ろって言われるように

ざっくり削り取ったところに
力強さがございますね。

透明度の高い織部薬を
桶に入れてね

そのお皿を ポチャっと
片側だけつけて

その余白に 鉄釉を
たっぷりと含ませた絵筆で

骨太に草を描いておりますね。

魯山人は じゃあ この器に
何を乗っけようと思って作ったか。

これ考えるの楽しいですね。

大切になさってください。
ありがとうございました。

骨董人生のフィナーレを
飾ることはできましたか?

思い出になりました。

今日 テレビ電話で
ぜひ報告してくださいね。

どうも ありがとうございました。
どうも ありがとうございました。

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