出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 中村鴈治郎&扇雀[字]

~坂田藤十郎さんが逝き…涙に暮れた母・扇千景さん~中村鴈治郎さん&中村扇雀さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
昨年11月、老衰のため88歳で亡くなった人間国宝で上方歌舞伎の第一人者・坂田藤十郎さんの長男で歌舞伎俳優の中村鴈治郎さんと、同じく歌舞伎俳優の次男・中村扇雀さんがゲスト。今日は藤十郎さんの思い出や母・扇千景さんの近況を語る。
◇番組内容
夫を亡くして以来、毎日涙に暮れ何も手につかなかった母・扇千景さん。最近はパソコンを始めようと息子達に相談するなど少しずつ自分の時間を取り戻している。生前、一人では何もできなかった父は、どこへ行くにも母と一緒。子供から見てもお互い代わりのいないお似合いの夫婦だったと語る。そんな父・藤十郎さんとは、キャッチボールどころか子供の頃の思い出はほとんどなし、通知表も見たことないと思うと兄弟でうなずき合った…
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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  15. 母親
  16. キレイ
  17. 今度
  18. 芝居
  19. 写真
  20. 主人

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

「なんと 31歳と29歳?
息子さん2人」

「もう 歌舞伎に お二方ともね
出てらっしゃるんですが」

「逆に言えば なんといいますか…
ライバルですからね」

昨年 人間国宝で
上方歌舞伎の第一人者

坂田藤十郎さんが
お亡くなりになりました。

今日は お子様2人に
おいでいただいております。

ご長男の中村鴈治郎さんと

そして ご次男の
中村扇雀さんでいらっしゃいます。

よろしくお願いいたします。

坂田藤十郎さんを偲びたい
という風に思っております。

坂田藤十郎さんは
去年の11月12日に

亡くなったんですけども。

88歳でいらしたそうですね。
そうです はい。

もっとね 長く 芝居 お続けに
なれると思いましたけれどね。

そうですね。
本当に 元気でいましたしね。

本当 大きな病気一つせず

舞台もいっぺんも…
1日も休まず

ずっと出ていた人だったので

まだ 舞台には
立てるだろうという気では

なんとなく
ありましたんですけどね。

本当に 残念ですよね。
まあ… はい。

お母様の扇千景さん
お元気ですか?

はい。
ずっと納骨するまではね

家に 当然 お骨も
あったわけですけど…。

コロナでね その… 本葬とか
送る事ができなくて。

先日 やっと

偲ぶ会のようなものを
やらせていただいて。

約1年 お遺骨を

ご自宅に お置きになった
扇千景さん。

偲ぶ会でのお言葉を
ちょっと ご覧ください。

はい。

「ずっと あの…
この遺骨が うちにありまして

朝から晩まで
私 出られないんですね

この人が いらっしゃるから」

「何かにつけて
涙 涙でしたけれども…」

「少し 私もしっかりしないと

あんまり
早く迎えに来ないでねって

する事が
いっぱいあるからねって

主人には言ってるんですけれども
どうなりますか…」

「しばらく頑張って 後片付けを
したいと思ってますけど」

「やっぱり うちに
遺骨でもいいから いてくれれば

うれしいんですけど。
明日 納骨するんで

覚悟を決めなければと思ってます」

あら…。

本当にね
悲しそう。

で 扇さんは 今 遺品の整理を
してらっしゃるそうですけど…。

進んでるんですかね? 少しは。

なかなか 捨てられないみたいでね
あの…。

多分 手に取ると 一つ一つが
こう 思い出が出てきて

なかなか 捨てるっていうのは
できないみたいですね。

でも 扇さんは なんか
新しく始めようとしている事が

なんか あるらしいんだって?
うん。

まあ あの… これから いろいろ

したいと思う事が
あった方がいいと。

基本的に あんまり
趣味のない人なんでね

何か でも あった方が
いいというんで

まあ いろんな事を…
これ 父が亡くなってからも

いろんな事を感じたんでしょうね。
パソコンがやりたいと。

おおー! すごい!
自分で…

とにかく なんでも
自分でしてしまいたい人なんでね

今度 パソコンが

ある事によったら
いろんな事ができるって事が

なんとなく
わかってきたらしいんですね。

父がいませんから 時間が
ありますのでね 逆に言うと。

それで パソコンは やりたいとは
言い出してますけども。

スマートフォンは
持たせてるんですけれども

アプリが いろいろ入って
これでインターネットが… って

「えっ! これでインターネットが
できるの?」って

そういう事から
始めなきゃいけないんで

ちょっと大変なんですけれども。

藤十郎さんと扇さん…。
藤十郎さんと扇さんと

ご夫妻で『徹子の部屋』に
ご出演くださいました時の

VTRを ちょっとご覧ください。
(2人)はい。

「結婚式のお二人 なんて可愛い
お人形のよう なんて言ったら

あの時 おなかに
子どもがいたのよとかって

あなた おっしゃって…。
本当なの?」

(扇)「そうそう そうそう」

「主人とは
結婚するつもりはなかったの」

「子どもだけ産もうと思って」
「でも あれでしょ?」

「今 深いため息
ついてらっしゃるけども」

「藤十郎さんは それで
およろしかったんですか?」

「そんなので」
「ええ あの…」

「私は やっぱりね うーん…」

「その時 子どもが できたとか
なんとかというよりも

やっぱり 結婚したかったです」
「あっ 扇さんと」

「もし 来世というものがあって
結婚するんだったら

やっぱり 扇さんがいいと
思ってらっしゃるんですって?」

(藤十郎)「ええ そのとおりです。
それはもう はっきり言えます」

「今度 生まれても
あなたと結婚したいって

ご主人は おっしゃって
らっしゃるんですけど

あなたは どうなんですか?」

「私はイヤ。 イヤ」
「なんで?」

「だって
なんにもできないでしょ」

「もう なんにもできないんです」

「どうです?
そんな事 おっしゃってるけど」

「本当かどうか それはね
わかりませんからね それは」

「だけど やっぱり…」
「いい方ね」

「本当かどうか わからないって」
「やっぱりね

今は本当に幸せですからね」

「あなたが
“もし今度 生まれ変わったら

お互いに誰と結婚しますか?”
って言ったら

主人は “また 私と結婚する”って
言ってくれたんです」

「そうです そうです」
「私は イヤだと」

「乳腺っていうのが
ここにあるんですね」

「その腺に がんがあったの」
「あら…」

「それで 主人が…
私 初めてですから

1週間の病院に
一緒に 毎晩 寝てくれて

病院から歌舞伎座へ
1週間 通ってくれたの」

「本当?」
「それで 宗旨変えしたの」

「あら!」
「フフフ…!」

フフフ…! 宗旨変えだって。

その時 おなかにいたのが
兄ですからね。

一番初めね そうですけどね…。

まあ でもね あの…
それは 私…

子どもの私が言うのも
おかしいですけど

あの父で あの母で。

他 誰も… お互い 誰であっても

ダメだったんだろうなと思う
2人ですね 本当に。

今 宗旨変えしたっていう事は
次に生まれても

また同じ方と結婚する
っていう事だったでしょうね。

なんか 藤十郎さんと扇さんは

いつも
お散歩してらしたんですって?

ご一緒に。
そうですね。

やっぱり 足が
丈夫でなきゃいけないという事で

2人で
散歩は よくしてましたですね。

でも いつも 先を歩くのが

扇千景さんに
なっちゃうんですって?

そうですね。
さっさと行っちゃうんですよ。

まあ 今は…。 当然 母は
この時もそうですけども

議員を辞めてましたんでね
よかったですけども

まだ… いわゆる 議長であったり
大臣だったりっていう事は

SPの方が付きますのでね。
あら 大変!

だから 母が歩いてると

SPの方が
先に囲んじゃいますから

そのあとを父が歩かなきゃ
しょうがない状況っていうのは…。

大変でしたね!
そう それがありましたから。

今はね もう 誰も
付いてくる事ないので…。

議長をなさってたんですものね。
藤十郎さんは

お一人では お食事が
できなかったんですってね。

そうですね。 1人で
どこかの店に入るっていう事は

できなかった人だと思いますよね。
メニューも 全部

母が ほとんど 食べるもの決めて。

「あなた これ 好きでしょ?」って
好きかどうか聞かずに

決めてましたね。
ハハハハ…!

でも お子さんの時に
お母様と遊んだ事は?

いやあ…。
母親とはね

なんか ちょっと遊んだような気が
しないでもないんですけどね。

お父様と遊んだ事は?
これが 逆にないです。

それもない?
父親は もっとないですね。

そうですか。
珍しいわね これ。

父とは珍しいですね
同じフレームに入るという事は。

父も 多分…
通信簿っていうんですか。

成績も 多分
見た事ないような父ですので。

たまたま この時は
時間が空いて

来てくれたんだと
思うんですけど。

でも これ 随分
キレイなご夫妻ですよね

こうやって見るとね。
目立ちますね 確かに。

目立ちますよね。
だから いわゆる

入学式 卒業式はね
まず 来た事ないですからね。

そう… この時はね よっぽど
時間がうまくいったんでしょうね。

そうですか。
それで 藤十郎さんも

息子の舞台を
褒める事はなかったって?

まあ なかったですね。
本当に?

自分の話は
いつも いろいろしてくれたり

前の方の
芝居の話 するんですけれども。

僕も 勘三郎のお兄さんとね
よくご一緒させていただいてて。

ニューヨーク公演を
一緒に行きましてね

『ニューヨーク・タイムズ』に
僕と勘三郎のお兄さんの写真が

もう 一面で出て。
あっ そうなの。

『ニューヨーク・タイムズ』の…
劇評が 素晴らしくて。

それを持って帰って
父に見せたんですけれども

「お疲れさま」でも喜ぶ…

「わしな 来月 この役すんねん」
って。 ひと言も…。

そっちの方?
「おめでとう」もなければ…。

「わしな
これ すんねん 来月」って…。

お父様の藤十郎さんは
子どもの頃から運動が…

運動神経が ちょっと。

どうもね… 例えば

ボール遊びでもなんでも

危ないっていうんで させて
もらえなかったらしいんですね。

そういう事なのね。
それもあったんですね。

うちの祖父が やっぱり

鴈治郎家というか
成駒屋家の…

父は お坊ちゃまなので
けがしちゃいけないので

小学校の時は
その授業の…

体育の授業の時には

日陰で乳母さんがいて

ずっと座って

なんにもやらせてはいけない
という事で…。

とにかく けがをさせないように
という事で…。

だから もう
スポーツ なんにもできないです。

キャッチボールも
なすった事ないんですってね。

すごいわね。 なんか
藤十郎さんがボールを投げると

大変な事になっちゃうって?
そうなんです。

とんでもない方向…。
僕たちが 稲尾和久さんって

亡くなられた
ピッチャーの稲尾さん。

うちの父が
兄弟のように仲良くして

うちに遊びにいらした時に
小学校で

稲尾さんとキャッチボールさせて
いただいたんですけど

父にボールを渡すと
投げると 45度違う方にいって。

父は もう
ボールひとつ 投げられないんで。

稲尾さんが代わりに
やってくださったんですけど。

逆に 贅沢でしたですよ。
子どもの頃に

稲尾さんとキャッチボール
できたんですから。

そうですよね そりゃあね。

でも ハワイで ご一緒に
ゴルフをなすった時には

藤十郎さんは
また 大変なんですか?

大変でした。
僕が学生時代

ゴルフやってたんで

父 一応
ゴルフ場 連れてって。

ドライバーショット
最初 打つ時に

一応 ちょっと 練習場 行って
打ち方 教えたんですけれども

こう 構えましたらね
20秒ぐらい動かないんですよ。

ずっとボール見て
もう 死んだんじゃないかと…。

何を考えてたんでしょうね。

まあ いろんな事を考えたと
思うんですけど じっとして

パッと こう
慌てて打つんですけど

それが もう おかしくて
しょうがないんですけど

本人は必死なんですよね。

まあ 楽しんでたと
思うんですけれども。

運動神経が ちょっと
違うのかもしれないわね。

なんか 日本舞踊だと
スムーズに動くんですけど…。

扇さんは
ゴルフは おやりになるの?

おふくろは
さっさと

散歩で
先歩くように

1人で どんどん どんどん
先行っちゃうもんですから。

父は 後ろから
なんだか こう…

「それ いいから持ってらっしゃい」
なんて言われながらね

付いてましたね。
ゴルフになってないですよね 結局。

「持ってきて! いいから」
なんて言われて。

それで やってました。

でも あれですかね 全員が
そういう風に歌舞伎のおうちって

なかなか
そういう事ないだろうけど

ご飯なんか召し上がる時には

どんな話題になるんですか?

まあ でも 父がいればね

芝居の話に
なったりしますけどね。

やはり 父は…
僕たちが見た事ない

昔の方の話をしてもらうのが
一番大事なので。

それは必要でしょうね。
あの方は こうだった

あの時は こうだった。
自分は こうしてるけど

あの人は こうだけど
自分は こうしてるとか

そういう… 見た事ない方

ビデオにない方の話を
してもらうのが

やっぱり 僕たちにとって 一番…。
それはそうですね。

歌舞伎って そうやって
続いてきてるんだなと

思うんですね。
いろんな事 やっぱり

おもむろに
思い出すんでしょうね。

おもむろに思い出して パッと
話してくれたりしますからね。

突然ね
パッと思い出したりとかね。

その時だけは
やっぱり 母親は

一切 口挟まないですよね。

それ以外は ずっと
しゃべってますからね 母親が。

そうなの? フフフフ…!

でも そうやって 仕切り屋が…。
芝居の話の時は お父様ですけど

他の時は お母様がいらっしゃって
食事会は どうなるんですか?

とにかくね よく言うのは
一つの家に

仕切り屋2人いらない
ってやつですからね。

どうも 性格的に
母親に似てるらしくて

ぶち当たるんですよね。
仕切る… さっきのように

何食べるのっていう事を
なんか 勝手に決めますんでね

そうすると腹が立ちますわね。

別にあるでしょ
という事があるじゃないですか。

そういう時
お母様が決めてらっしゃって

お父様 どうしてらっしゃるの?
ただただ じーっとしてます。

じーっと…。
ひと言も発しないですね。

ひと言も発しない…?
しゃべらないです しゃべらない。

黙って 本当に黙って…。
待ってます。

それもまた面白いですよね。
ハハハハ…!

で たまに 食べ物…
「ほら 早く食べなさいよ」。

「もういい」って。
いらないっていう時は

「もういい」っていうのは
言うんですけれども。

あれ食べたい これ食べたいは
あんまり言わないですね。

そう。 じゃあ いつも お母様が
決めちゃうから もうね きっとね。

だって 随分
ご結婚 長かったでしょ?

そう もう 50年過ぎてましたから。
60年…。

いや もっとでしょうね。
だから 私が生まれて

さっきも
言いましたけど

おなかにいた時に
結婚してますんで。

私は もう 62なので
60年は超えたわけです。

キレイですよね
このお二人の この写真は。

すごいですよね。

亡くなったのが
昨年 2020年ですから…。

62年ですね。

62年?
はい。

キレイね お二人ともね。
輝くような美男美女ですよね。

あなた方は
2歳違いなんですって?

はい そうですね。
いわゆる年子なんですけど

1年10カ月…。
兄が早生まれなので

学年は こう 2年…。
そうなんですか。

子どもの頃は
一緒に遊んだりなんかなすった?

あんまり遊ばなかったですね。
それぞれの友達と

それぞれで遊んでた感じが
ありますね。

そうなんですか。
でも あなた方 ある晩

気を合わせて
2階かなんかから逃げて

夜中に遊びに…。
逃げたって事は…。

夜中… 遊びに行こうと。
いやあ もう やんちゃしてね

遊んでる頃…。
いわゆる夜抜けってやつですよね。

夜中 抜けてね
遊びに行ったりする時に

ばったり兄貴と…。
えっ? みたいな…。

じゃあ 一緒に… 六本木まで
タクシー 一緒に乗ろうかって…。

そうですね。 それは いいんです。
よかったんですけど

その時に それがわかった時の
扇さんの怒り方が

すごかったんですって?

それはありましたね。
おふくろが いろいろ悪さすると

母親は やっぱり 「そんな風に
育てた覚えはない」って

よく怒ってましたけど。

父は 「まあ ええんちゃうか。
ええ経験やな」みたいな。

そういう時も我関せずというか…。

ありましたね。
でしたね。

よく母親に言われたのが

「目噛んで死ね」って。
うん?

「目噛んで死ね」って。
「目噛んで死ね」…。

目噛んで死ねないじゃないですか。
ああ…!

目を噛んで死ぬ…
「目噛んで死ね」って言われて

だから もう なんか それぐらい
悔しかったんでしょうね。

「死んでしまえ」って言いたいけど
「死んでしまえ」は

息子には言えないから
「目噛んで死ね」って…。

豆腐の角に頭ぶつけて…。
そうそう… みたいな感じ。

関西の方ね よくおっしゃる…。
あっ そう。 「目噛んで死ね」。

扇さんから… お母様から

政治家になれって
勧められた事はない?

それはね 私が 次男坊で。

兄も
舞台 ちょっと また出始めて

僕は たまたま
学校が法学部の政治学科で。

あら!
それで 体育会に

入ってたもんですから 学校で。
「あんた どこか就職して

ある先生に
もう一生頼んでるから

ちょっと働いたあと
その先生のとこ行って

あんた
政治家になりなさい」って…。

二十歳の時に
一度 僕 言われまして。

あら 大変。

「とりあえず ちょっと
ひと晩 考えさせてくれ」と。

ひと晩 経ちまして

やっぱり 僕は 役者になろうと
思ってましたので。

やはり 政治家は
母の天職であって

それは もう 決して
僕がなれる職業じゃないと

思いましたのでね ひと晩して

丁重に
お断りをしたんですけれど

やってたら
どうなってましたでしょうかね…。

でも 僕は 本当に もう
今は 歌舞伎役者やって

よかったなとは思ってるんです…。
そうですよね。

あの… 鴈治郎さんも扇雀さんも
お子さんたちを歌舞伎役者に?

ええ。
そうですね。 まあ おかげさまで。

壱太郎さん?
はい 壱太郎です。

みんな
すごい いい写真ですね

これ すごい。
右から壱太郎さん。

壱太郎が うちの兄の長男で

虎之介が
私の… 扇雀の方の長男で。

そうなんだ。
お父様 でも

すごく お元気そうですね。

そうですね
はい。 元気でしたですね。

「当時86歳」って
書いてありますね うん。

2~3年前ですね はい。

この時も しっかり ちゃんと
舞台 もちろん出てましたしね。

一緒に家族… この5人で踊りを
米寿記念で踊りを…。

させていただきました。
それは ようございましたよね。

いい記念ですね
でも 壱太郎さんは

藤十郎さんの遺品の
ネクタイを締めて

楽屋入りを
なすったんですって?

もう あの… いろいろ…。

それこそ 形見分けじゃ
ないですけどもね

ネクタイ みんな
分けましょうっつって…。

お母様が…。
私も持ってますけども。

たまたま
締めてたんでしょうね

壱太郎が。
そうですって。

壱太郎が 父にとっては
初孫だったものですから。

で お芝居大好きなんで 壱太郎。
本当に 父は 壱太郎に…。

僕と… やっぱり 孫の方が
しゃべりやすかったんですかね?

僕たちには あんまり
芝居の話 しなかったんですけど

壱太郎には
もう 本当に 手取り足取り

女形の事を
随分 教えてましたね はい。

ああ これね…。
一緒に出てるんですね。

一緒に出たんだね
『徹子の部屋』にね。

お父様とお母様と
ご一緒に

壱太郎さんも
出てらしたのね。

で 虎之介さんは…?

私の… 今 23になりましたかね。

これはまだ小さい時の。
この子ね。

藤十郎さんから
トラって呼ばれて。

トラって
呼ばれてるんですけど。

これ お初天神って
大阪にあります お初天神…。

『曽根崎心中』の
お初と徳兵衛が こう…。

後ろに 銅像が
あるんですけれども。

父は そこに 必ず

お正月 初詣に
行くんですけれども。

大当たり役ですものね。
そうなんです。 それを

心斎橋のホテルから
この梅田まで

地下鉄3駅分を
歩くんです 母と父と。

それが
12月31日が父の誕生日なので…。

その日に みんな 家族集まって
お祝いするんですけど

1月の1日が いわゆる 松竹座…

大阪の舞台の時には
あそこへ行くという事で。

東京の時は
そうじゃなかったんですけど

ここ何年間か ずっと 松竹座の…
1月の舞台が松竹座だったもので

あそこへ行って…。
あっ そうでいらしたんですか。

坂田藤十郎さんという方は

立役っていうんですかね。
はい そうですね。

立役から女形まで 品格のある

本当に みずみずしい芸で
歌舞伎界の頂点を極めたと。

あっ これ…。
祖父と父ですね。

これ 最も有名な…。
私 これ 拝見しましたよ。

『曽根崎心中』。
これは見とかなきゃって思ってね。

父が21歳で
初めて勤めた時の写真ですね。

随分 じゃあ 長く
なさいましたでしょ? 何十年も。

1400回ですからね。
すごい。 1400回。

すごい。
60年以上

ずっと やったわけですから。
うん?

(2人)60年以上。
60年以上?

お初を… 同じ役を ずっと この…
19歳の役ですから。

その時も ここへいらして
おっしゃってましたよね。

歌舞伎は不思議なものでね

自分の父親を恋人と思って…。

そしてね なんだ…
死ぬのなんのってね

言ってるんだけど 考えてみると
おかしいとかってね。

それを12月の
京都の顔見世で

追善として。
兄と僕で

今度は兄弟で

お初 徳兵衛の
心中を。

兄弟で心中というのも ない…。

12月の京都で

また 父の
追善としてね…。

そうなんですか。
『曽根崎心中』

兄と… 今度は僕が
そのお初を

引き継がせていただいて

兄の徳兵衛で。
あら すごい。

「扇雀」と
書いてありますが

これは おやじではなくて
私なんですけど。

鴈治郎は 私です。
これは あの…

私と兄の時の
写真なんですけども。

ええー… キレイね。

でも 本当に
歌舞伎っていうものは

こういう… なんですかね。
お衣装やなんかっていうもの

キレイなものですよねえ…!
ビックリしちゃう。

でも それにしても
『曽根崎心中』のお初を

通算1400回以上なさった
藤十郎さんは

生涯の当たり役でしょうね
きっとね。

やっぱり
大事にしてましたですね

その お初という役を。
その お初は

父以外は 私と
先ほど出てきた 壱太郎。

兄の…。 その3人しか
してないんですよ。

他の歌舞伎役者さん
どなたも演じてないんで。

そうでいらっしゃるんですか…。
はい。

だから やはり 父は

誰にも譲りたくないというのは
ずっと生涯…。

それと 長い間やってらっしゃる…
21歳から83歳まで

お父様は その役を
おやりになったんだから

他の人は できないですよね。
そうですね。 どなたも

手をお挙げにならないですね。
そうですよね。

でも あの… 最後の時の
八十何歳の時の お初も

19歳に見えたってね。
はい。

本当に若い…
19歳の お初でしたしね。

初々しい?
はい。 可愛いんです それで。

あっ そうなんですか。
可愛かったですね。

父は 何百回… 毎回毎回

初めてのつもりで
勤めるっていうのは

もう 口癖のように

毎回 最初だと思うっていうのは
いつも言っていましたね。

でも あの… おじい様も
おっしゃってましたよ。

やっぱり その…

自分の息子を恋人に思って
やるので

歌舞伎は変なものだけども

それは
仕方がないもんだとかってね。

逆に その… 歌舞伎だから
許されるっていうのは

いわゆる 70 80になっても
10代の役を

やらせてもらえるという事がね。
それも そうですよね。

でも ご両親はハワイがお好きで。
(2人)はい。

家族初めての海外旅行も
ハワイだったんですって?

そうだったですね。
これは まあ

たまたま うちの家族だけ
写ってますけども。

ずっと… 休みになると

2人で ハワイに
行ってましたんでね。

逆に 僕らがそこを訪ねて行く
という状況だった事が

多かったですね はい。
ハワイ 好きでしたね。

なんか 扇さんの希望は
もう一度 みんなで

ハワイに行きたい
っていうのだったんですって?

そうですね。
ですから あの…

骨を小さい器に移してましてね
手持ちできるようにして。

私が落ち着いて ハワイ行く時は
一緒に連れて行くと言って

今でも家に
大事に置いてあるんですけど。

父を連れて行くと言って。
そうですか…。

今ね コロナで なかなかね
海外が… できないですけどね。

今 天国のお父様に
お伝えしたい事があれば

どういう事ですか?
まだ 母は元気ですと。

(一同 笑い)
呼ばないでください。

お初を引き継がせてもらいますよ
という事を

はっきり言いたいですね。 はい。
ご公演のご成功を祈ってます。

(2人)ありがとうございます。
ありがとうございました。

『徹子の部屋』は

Source: https://dnptxt.com/feed

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